連載
#15 イーハトーブの空を見上げて
幽閉23年、儒学者・芦東山の軌跡を追う 資料はまだ山積みだけど…
岩手県一関市大東町の山間地で、ある韓国人研究者が学問をしている。
韓国・江陵市出身の張基善(チャンキソン)さん。52歳。
江戸時代を生きた儒学者・芦東山(あし・とう・ざん)(1696~1776)の研究を始めて、もう10年になるという。
「東山が代表作『無刑録』(全18巻)で訴えたのは、『刑罰は見せしめや懲らしめではなく、人の更生にあるべきだ』という思想でした。犯罪が起こらない社会を作るためには刑罰ではなく、教育刑こそが必要なのだと。極めて現代的な思想だと思います」
1696年、東山は現在の大東町で生まれ、仙台藩の儒学者として第5代藩主・伊達吉村に仕えた。
しかし、1736年に仙台藩に初の学問所ができた際、当時の社会的な慣例に反して「学生の席順は身分の高い順ではなく、年齢順にするべきだ」などと意見したことで、処罰されてしまう。
結果、1738年から23年間、現在の加美町や栗原市の家屋内に幽閉された。
東山はその長い幽閉生活の中で「無刑録」を執筆し、81歳で亡くなった。
生前、その書籍が世に出ることはなかったが、死後約100年の1877年に内容が評価され、その後、国費で刊行された。
張さんは自嘲気味に笑った。「今の監獄とは違い、家族も一緒に暮らすことができましたし、監視していた役人ともそれほど仲が悪くはなかった。それでも、23年という長い年月を考えると、大変だったと思います」
東山は幽閉生活中に膨大な書面を残している。
張さんが勤務する「芦東山記念館」には所蔵の資料だけで5千点以上あるといい、その解読だけでもあと4、5年は必要だという。
張さんはなぜか嬉しそうだ。
「日記や手紙を読むと、彼の学問的な思想だけでなく、当時の生活や、周辺人物の動きなどがよくわかります」
「彼の思想は当時の世界の中心だった欧州にも劣っておらず、世界に誇るべきものでした。解読すべき資料が大量に残っているということは、研究者にとっては喜ばしいことなのです……」
記念館を出て一人、東山が幽閉された23年の歳月を想った。
「人は真面目に仕事をすると、生涯に3度は左遷される」と説いたのは誰だったか。
歴史はいつも生きる勇気を与えてくれる。
(2021年9月取材)
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