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連載

#18 ナカムラクニオの美術放浪記

割れた茶碗を「雪解けの渓流」に見立てて…〝金継ぎの父〟本阿弥光悦

ナカムラクニオの美術放浪記

江戸時代初期の元祖アートディレクター本阿弥光悦
江戸時代初期の元祖アートディレクター本阿弥光悦 出典: イラストはいずれもナカムラクニオ
【ナカムラクニオの美術放浪記】 文・イラスト:ナカムラクニオ
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本阿弥光悦(ほんあみ・こうえつ)の芸術には、幾何学的な美しさがある。

ある時は四角、ある時は丸。まるで現ウクライナ・キーウ出身の美術家カジミール・マレーヴィチの抽象画のような世界観とも似た雰囲気を持っているのだ。

その創作の秘密を知りたくて、京都に残されたゆかりの場所を巡った。

天才芸術家、光悦を読み解く

本阿弥光悦(1558-1637)といえば、江戸時代初期に活躍し、日本文化に大きな影響を与えた芸術家だ。

書家、陶芸家、漆芸家、茶人として、独自の世界観を作り出し、琳派(りんぱ)の祖とも呼ばれる。

まずは、樂(らく)美術館へ向かった。陶芸に関しては、樂家二代の常慶(じょうけい)から作陶の手ほどきを受けたと考えられている。

確かに、光悦の茶碗を見ると形だけでなく焼き不具合まで樂家の作と似ている。おそらく窯も同じものを使っていたのだろう。

本阿弥光悦作の赤楽茶碗 銘「雪峰」(重要文化財)
本阿弥光悦作の赤楽茶碗 銘「雪峰」(重要文化財)

しかし、光悦にはかなり作為がある。わざと丸くしたり、四角くしたり、絵付けしたり、遊び心を最も大切にしていたのだと強く感じる。

例えば、赤楽茶碗「雪峰(せっぽう)」などは、窯の中で割れたものをわざと漆で直し、金を蒔(ま)いている。破れたジーンズに可愛い刺繍を施すような感性だ。

光悦は、偶然に割れた赤楽茶碗を面白いと感じ、この壊れた部分を「雪解けの渓流」に見立てた。そして白い釉薬の部分を積もる雪と考え「雪峯」と銘をつけた。

失敗作だった茶碗を逆に傑作に仕上げるというような遊び心は、樂家の茶碗には見当たらない。

光悦は、樂家と遠い親戚というような立場だったからこそ、自由に創作できたのだと思う。

そして、この遊び心は、多くの漆工芸に影響を与えることとなった。光悦の「雪峰」は、金継ぎを修理としてではなく、芸術の域に高めた記念すべき作品なのだ。

修復した跡を「景色」と呼び、異なる趣を楽しむ独自の文化は、ここから始まったとも言える。そう考えると光悦は「金継ぎの父」だと言えるだろう。

本阿弥光悦ゆかりの地、鷹峯へ

1615年、本阿弥光悦57歳の頃、徳川家康から京都北部の鷹峯にある約9万坪の広大な土地が与えられた。

そして、この地に一族と移り住み、芸術家を集めて「光悦村」を築いたのだ。

この村には、光悦の呼びかけにより陶工、絵師、蒔絵師、筆屋、紙屋、織物屋などが大集結。村には50以上の屋敷が軒を連ねたそうだ。

今では、ほとんど何も残っておらず、光悦の屋敷が死後に光悦寺となって保存され、墓地もそこにあった。

光悦寺には、独自の竹の透かし垣が、茶室と寺の境内を仕切っていた。光悦垣と呼ばれている。

菱形に組んだ割竹を組み合わせた「光悦垣」
菱形に組んだ割竹を組み合わせた「光悦垣」

菱形状に組んだ割竹を組み合わせた光悦お気に入りの垣根は、高さもなだらかなカーブを描き、端が低くなって庭と調和していた。

「光悦垣」は、イギリスのアーガイル柄にも似ていてとても美しい。やはりここにも、光悦好みの幾何学的美意識があると思った。

光悦が晩年を過ごしたとされる場所に建てた茶室「大虚庵」だけでなく、境内には7つもの茶室が点在していた。

光悦は若い頃から茶道が好きで、どこに住んでいても必ず茶室を作り、茶を点てることを暮らしの中で大切にしたらしい。

これは、現代でも趣味人が別荘を建て、お洒落なコーヒースペースを作るのと、どこか似ていると思った。

「見立て」と「ダジャレ」の庭園へ

最後は、本阿弥光悦作の枯山水庭園「巴の庭」がある本法寺へ向かった。この寺には長谷川等伯の巨大涅槃図もある。

廊下を抜けると、光悦が作庭した庭が見えてきた。書院の正面には、見たことがない十角形の蓮池。これもどこか奇妙なデザインで、10本の細長い切石を組んで幾何学的な池の囲いを作っていた。

なんとも珍しい哲学的な池となっている。伝統の日本庭園というよりは、現代のデザイナーが作ったようなモダンなデザインだ。

この十角形の池には、ぎっしりと蓮が茂げっていた。池を大きくするよりも狭くすることで、蓮を引き立てることを狙ったのかもしれない。

隣には、2枚の半月形の石が並んでいる。この円い石は太陽である「日」の漢字を表し、日蓮宗の開祖「日蓮」と読めるように工夫されている。

じっと見ていると石が「日」、池が「蓮」となり、日蓮という言葉が浮かび上がってくるのだ。

本阿弥光悦の庭園はモダンなデザインだった
本阿弥光悦の庭園はモダンなデザインだった

光悦は、かなり「見立て」と「ダジャレ」が好きな遊び人だったのではないかと感じた。

真面目な芸術家というよりは、遊び心が溢れた粋な人だったと思った。

来年は、大きな展覧会も久しぶりに開かれるので、光悦ファンはぜひ一度ここを訪れて、そのセンスに衝撃を感じてほしいと思う。

 

ナカムラクニオ
6次元主宰/美術家、東京都生まれ。画家、金継ぎ作家として活動し、山形ビエンナーレや東京ビエンナーレにも参加。著書は『金継ぎ手帖』『古美術手帖』『描いてわかる西洋絵画の教科書』『洋画家の美術史』『こじらせ美術館』『こじらせ恋愛美術館』など多数。
東京国立博物館で、特別展「本阿弥光悦の大宇宙」が2024年1月16日(火)~3月10日(日)に開催

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