話題
「皆かいで!」と言われたらどうする? 古語にもつながる方言
大阪府内の病院に、患者がストレッチャーで搬送されてきたときのことです。医師が看護スタッフに声をかけました。「皆かいで」――。意味を知っている人と知らない人とでは、動作が異なります。指示を受けたスタッフは、一体どうするのでしょう。(朝日新聞校閲センター・佐藤司)
大阪に住む知り合いの看護師から聞いた話です。
「皆かいで」と言われ、患者の周りに駆け寄った数人のスタッフが、患者を持ち上げようとしました。その時、ひとりのスタッフは患者に顔を近づけ、においを嗅いだのです。
ほかのスタッフは「えっ?」「なんで?」と思うばかり。
看護師の説明では「かいで」は大阪南部のことば。「持ち上げて」とか「担いで」とか、そういう意味だそうです。
そのスタッフは大阪出身でないため、「かいで」を「嗅いで」と受け取ったと言います。
看護スタッフは患者の状態を知るため、においを嗅ぐことも重要な役割を担っています。
それが偶然にも患者を持ち上げる場面で、嗅ぐ指示の表現と同音の方言を聞いたことから、起きた出来事のようです。
複数の方言辞典にあたってみました。方言から意味を調べる辞典で「かいで」を探しても載っていません。
今度は、共通語から全国各地の方言が分かる辞典で「担ぐ」を調べると、大阪での表現の中に「かく」がありました。
「2人(以上)で手で持ち上げる」などの意味を記します。医師が口にしたのは、この方言のようです。
とすると、疑問がわいてきます。相手に依頼するときに使われる「かく」の表現は「かいで」と濁るのではなく、「かいて」と澄むのでは?
例えば、同音の「書く」なら「書いて(ください)」となり、「書いで(ください)」とはならないはず。
なぜ「かいで」と濁ったのでしょうか。
関西のことばに詳しい京都先端科学大の丸田博之教授は「力のいる動作のため、力強く聞こえる濁音になったのではないか」と推測します。
ほかの方言辞典も見ると、「そっちかいてんか(そっち持ち上げてくれないか)」という大阪での用例を載せていました。
濁る「かいで」の用例はなく、濁らない「かいて」が本来の表現のようです。
その「かいて」の表現を旅行で訪れた香川県でふと目にしました。ローカル鉄道の駅構内に貼ってあるポスターです。
「かいていたぁ!!」
大きな文字の横にイラストが描かれています。電車内で男性の背負ったリュックサックが、つり革を握った女性の背中に当たっているようです。
「さぬき弁のマナー講座」12編のうちの「リュック編」。方言でリュックサックの乗車マナーについて呼びかけています。
このポスターから方言の意味を推測してみましょう。電車内での手荷物についての啓発ポスターは、ほかの地域でも見かけますので、もう見当がついたのではないでしょうか。
意味と解説が記されています。「かいて」は「抱えて」、「いたぁ」は「ください」。
混雑時はリュックを背負わず、体の前に「抱えてください」と伝えているのです。
旅先から戻り、「かく」が使われている地域を知るため、方言の分布を記した「日本言語地図」を調べてみました。
「かく」の分布を表す記号は、大阪では一部で、四国ではまとまって見られ、山口や九州北部の東側に及んでいることがわかります。
「かく」は四国でよく使われているようです。ただ半世紀以上も前の方言調査なので、今はどうでしょう。
四国の主な郷土資料館の職員に普段の会話での使用例を教えてもらいました。
「一緒に机かいてくれん?」(香川・40代女性)
「この箱おもたいけん、そっちかいて」(徳島・60代女性)
「(山車の一種の)太鼓台を皆でかくぞー」(愛媛・70代男性)
「1人じゃよう持たんき、一緒に荷物かいて」(高知・50代男性)
全国各地の方言が分かる前記の辞典で、四国4県を見てみました。「かく」の説明に共通点があります。
「2人以上で物を持つ」「荷物を2人以上で運ぶ」「大勢の人が肩で支え持つ」など、どれも動作する人数が2人以上。1人で物を「持つ」「運ぶ」「担ぐ」などの表現が2人以上では「かく」になるのです。
そういえば、時代劇に登場する、人を乗せて運ぶかごは、担ぎ手を「かごかき」と呼びます。
なぜそう呼ぶのか、辞典の説明を知って納得しました。
担ぐ人数が2人(以上)なので「かく」が使われ、絵をかく人を絵かきと言うのと同様に、かごをかく人を「かごかき」と言ったのです。
郷土資料館の職員に聞いた話の中には、1人でも「かく」を使う人や、何人でも違和感がないという人もいました。
過去に初めて耳にして誤解したことがある人や、不思議に思ったことがある人も。
ある職員は「新人のころ、机のそばにいた上司に『ちょっと、かいて』と言われ、メモ帳とペンを取りに走ったことがありました」。
別のある職員は「『机をかいて』と言われ、机の表面を爪で引っかくのかなと思いました」。
今では口にする人が当時に比べ少なくなったのかもしれません。日常的によく使われる「書く」や「搔(か)く」の同音語に紛れて混乱することもあるようです。
香川の50代男性は「『かく』は懐かしい響きのことばになりました。若い世代は使い慣れていない表現のようです」と少し残念そう。
「かく」が方言として使われていれば、「かごかき」などの古いことばの意味を知る手がかりにもなります。いつまでも残していてほしい方言の一つです。
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