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連載

#12 イーハトーブの空を見上げて

戦地の父から「届いた」手紙44通 時を超えた言葉をかみしめる

戦地から送られた手紙
戦地から送られた手紙
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。
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イーハトーブの空を見上げて

母が保管していた軍事郵便

花巻市にある妙円寺の86歳になる前住職、林正文さんのもとに初夏、78年前に30歳で戦病死した父・正教さんが戦地から送った手紙が「届いた」。

母が保管していた手紙の束の中にあった。全部で44通。数年前に死去した林さんの妹の自宅を遺族が整理していたときに偶然見つけた。

中国に出征中だった父が家族へと送った軍事郵便。

表に「検閲済」の印を押されたものも多く、文面の一部が墨で塗りつぶされたものもある。

「カラダヲタイセツニシテベンキャウヲシテクダサイ」

 林さんに宛てた手紙は2通。子どもでも読めるよう、家族の身を案じる文章が、カタカナでしたためられていた。

1939年、妙円寺の25代目住職だった父が出征したのは、林さんがまだ3歳のときだった。その後、1944年に中国の重慶で戦病死したとされる。

戦後は母が住職の代わりを務め、貧しいなかで林さんと妹を育てた。

林さんは母が苦労する姿を見て育ったこともあり、長年、戦病死した父にどこか恨めしい思いを抱いていた。

死の間際、戦友に託した言葉

ところが1989年、同じ部隊にいたという男性が寺を訪ねてきて、父が亡くなるまでの状況を教えてくれた。

「作戦中に敵兵に追われ、山中に逃れた。食料が尽き、ヘビやトカゲを食べて生き延びようとしたが、命が尽きてしまった」

死の間際、こう託されたという。

「もし花巻に行くことがあれば、息子には『愚かな戦争をしてはいけない』と伝えてほしい」

林さんは大学卒業後、高校教師になり、28歳で寺を継いだ。

手紙を読みながら、「戦場にいた父がどれほど家族に会いたかったかが伝わってくる」とまぶたを閉じる。

「お父さん……」

境内にこだまするせみ時雨が、わずかな嗚咽をかき消してくれる。

(2022年8月取材)

三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。
書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。
withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した
 

「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。

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