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連載

#15 ナカムラクニオの美術放浪記

「鷲の巣村」に眠る、色彩の魔術師シャガール 〝夢の世界〟を描いた

ナカムラクニオの美術放浪記

「色彩の魔術師」と呼ばれる画家マルク・シャガール(1887–1985)
「色彩の魔術師」と呼ばれる画家マルク・シャガール(1887–1985) 出典: イラストはいずれもナカムラクニオ
【ナカムラクニオの美術放浪記】 文・イラスト:ナカムラクニオ
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南フランスで、マルク・シャガールの足跡を辿ねた。

シャガールといえば、幻想的で詩情溢れる世界を描き続けた画家として人気があるが、あの独自の表現は誰にも真似ができないと思う。

シャガールは、キュビスム、フォーヴィスム、シュルレアリスム、象徴主義などさまざまなスタイルを混ぜ合わせながら、物語性のある具象絵画を追求した。

いつまで経っても民俗画のような素朴さが溢れているのだ。鳥でも魚でも馬なんでも混ぜて描いてしまうリミックス感覚が面白い。

シャガールといえば、ふわりとした「浮遊感」だ。まるで夢の世界を描いたようにも見える。

浮遊は、夢、希望、幸せの高ぶりをビジュアルで表現できる裏技だ。見ているだけで幸せな気持ちになる。

シャガールが手がけたモザイク壁画

まずは、1950年から15年以上住んでいたヴァンスに向かった。ニースから約20kmほど山を上った場所にあり「コートダジュールの宝石」とも呼ばれる美しい街だ。

実は、シャガールの最初の妻ベラは1944年、ナチスの迫害を避けてアメリカに亡命中、病死しているが、ふたりの思い出の地こそが、南フランスだった。

シャガールは、初めて南フランスを訪れた時、毎日市場でベラが買ってくる花束と強い日差しに感動した、と回想している。温暖な気候と美しい環境が、彼らに幸せと希望を与えたのだと思う。

ベラが亡くなった後、娘のイダは、フランス語が話せるイギリス人女性の家政婦ヴァージニアを父に紹介する。2人は恋に落ち、息子がひとり生まれた。

この頃、シャガールたちは、パリ近郊に住んでいたが、1949年からヴァンスにアトリエを借り、新しい家族のために邸宅も購入した。

しかし、このアトリエでシャガールを撮影に来ていたカメラマンとヴァージニアが恋に落ちて、家を出ていってしまったのだ。

そんな悲しい事件もあって、シャガールのヴァンスでの暮らしは寂しいスタートだったが、しばらくすると新しい恋人ヴァヴァ(ヴァレンティーナ・ブロドスキー)と再婚。穏やかさを取り戻し、精力的に創作を続けた。

歴史が重なるヴァンスに暮らしたシャガール
歴史が重なるヴァンスに暮らしたシャガール

ヴァンスは、中世の面影が残る城壁が、なんとも美しい。

実は、旧石器時代から人が住み着き、古代ローマ、中世、現代と地層のように歴史が重なっているのだ。

多くの画家が惹かれるのは、この積み重なった時間なのではないかと思った。

歩いていると突然、ローマ遺跡が出現し、その中で子どもたちが遊んでいる。横では、おじいさんたちがペタンク(金属製のボールを投げ合う競技)を楽しんでいる。素晴らしい現代的なホテルも建っている。マティスの「ロザリオ礼拝堂」もある。時空を超えた美しい日常こそが刺激的なのだ。

さらにヴァンスで見応えがあるのが、旧市街にあるノートルダム・ド・ラ・ナティヴィテ大聖堂だ。

ここにシャガールが手がけたモザイク壁画「モーゼの発見」があった。パピルスの籠に入れられてナイル川を漂っていたモーゼが発見される有名な聖書のシーンを、石のモザイクで表現している。モザイクは、ろうそくの光に照らされ、神々しく輝いていた。

モザイクの技法は、古代ギリシャ、ローマ、そしてビザンチン時代に大きく発展し、地中海沿岸の装飾技法として定着したので、ヴァンスではあたかも昔から、ここにあったかのように馴染んでいた。

「鷲の巣村」と呼ばれる天空の城へ

さらに足を伸ばして、サン・ポール・ド・ヴァンスへ向かった。

切り立った岩山の上にあるので、まさに天空の城という佇まいだった。小高い丘に孤立した集落が点在するので「鷲の巣村」とも呼ばれている。

14世紀に作られた石造りの門を抜けると、絵に描いたような小さな村が現れた。今では観光地化されて、ギャラリーが溢れているが、村には静かな中世の街並みが残されている。

敵の攻撃を避けるため山の上に作られた村、サンポール・ド・ヴァンス
敵の攻撃を避けるため山の上に作られた村、サンポール・ド・ヴァンス

ここに来るのは、30年ぶりだが、まったく何も変わっていなかった。サン・ポール・ド・ヴァンスは、中世から時が止まっている感じがする。

昔ながらの美しい街並みと石畳、鮮やかな光は、シャガールだけでなく、ポール・シニャック、ラウル・デュフィ、シャイム・スーティンも魅了した。

シャガールは、1985年に98歳で亡くなるまでの約20年間、この小さな村で創作を続けた。

もしかすると最初の妻ベラと過ごした故郷ヴィテブスク(現在のベラルーシ共和国)と似た村だから、ここを選んだのかもしれないと思った。村は、昔のロシアの素朴な田舎町のような雰囲気もあった。

シャガールのお墓 棺に詰まれた小石

村の反対側まで歩くと、展望台があり、街全体が見渡せる。そしてシャガールの墓が見えてきた。空に一番近い場所だ。

ユダヤ式のお墓なので、長方形の石棺だけが置いてある。

お墓には、世界中からファンがやってきて小さな石をたくさん積み上げていた。天空の村にある天空の墓地。シャガールの絵画に出てくる夢のような空間だった。

小さな石が供えられたシャガールのお墓
小さな石が供えられたシャガールのお墓

そして、小さな石を一つ、お墓に供えた。うまく説明はできないけれど、何か大切なことがわかったような気がした。

シャガールが生涯をかけて描きたかったのは、夢や幻想ではなく、限りなく現実味のある生活の中での高揚感や浮遊感だったのではないかと思った。

 

ナカムラクニオ
6次元主宰/美術家、東京都生まれ。画家、金継ぎ作家として活動し、山形ビエンナーレや東京ビエンナーレにも参加。著書は『金継ぎ手帖』『古美術手帖』『描いてわかる西洋絵画の教科書』『洋画家の美術史』『こじらせ美術館』『こじらせ恋愛美術館』など多数。
国立西洋美術館(東京都台東区)で2024年1月28日まで「キュビスム展─美の革命」展が開催

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