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連載

#9 イーハトーブの空を見上げて

ダムに水没した〝漆器の里〟最後の伝承者 名品「増沢塗」は残せるか

漆器を制作する及川守男さん
漆器を制作する及川守男さん
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。
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イーハトーブの空を見上げて

集落はダム底に消えた…

岩手県奥州市の山奥に戦後、ダムに水没した「漆器の里」があった。

増沢集落という。かつては約60世帯が暮らし、木を切り出す人や漆の下塗り、本塗り、製品を運搬する人など、漆器の分業体制が敷かれていた。

集落がダム底に沈むと名品「増沢塗」の担い手たちは離散し、ふもとで暮らす塗師・及川守男さんだけになってしまった。

奥州市の工房を訪ねると、ピンと張り詰めた空気のなかで、及川さんが金箔(きんぱく)の施されたトキ色の漆器に紅の線をひいていた。

「毎日使ってもらえるものを作りたい。そのためには、まずは丈夫なこと。そして、何百年たっても修理ができることです」

及川さんの父は幼児期に鍋のかかった囲炉裏に落ち、全身にやけどを負って左手が不自由だった。

16歳で塗師に弟子入りし、漆器制作に取り組んだ。及川さんは父の後継者として、幼いころから仕事を手伝っていた。

ところが戦後、巨大台風で下流の北上川流域で水害が発生すると、増沢集落を治水ダムに変える計画が持ち上がる。

1950年の工事開始と共に住民は移住を余儀なくされ、集落の大半がダム底へと沈んだ。

「漆器で成功した増沢には電気も電話もラジオもあり、比較的豊かだったのです。でも移住した農村ではまだそれらが珍しく、厳しい生活を余儀なくされました」

当初、増沢集落では集団移転が検討されたが、まとまった土地が見つからず、分散移転になった。

結果、漆器制作の各工程で、木地師や塗師などの職人が互いに連絡を取り合えなくなり、それぞれが廃業へ追い込まれた。

受注生産で器を作り続ける

増沢塗の特徴はシンプルな絵柄と、問屋を通さずに制作者と購入者が直接取引する販売方法だ。

購入者が安く買えるだけでなく、信頼関係の上でやりとりするため、制作者が商品の質を落とせなくする仕組みでもある。

及川さんは今もその伝統を守り続けている。

1989年に父が死去した後も店は出さず、父の代から受け継いだ顧客からの受注生産で器を作り続けている。

名品「増沢塗」を後世に残したい

「商品を手渡したとき、購入者がその漆器をどれくらい欲していたかが表情でわかる。お金ではなく、その反応こそが、作り手にとっての財産なのです」

父が漆器制作を始めて100年になる。

歴史ある増沢塗を後世に残したい――。

そう願うが、後継者がいない。

(2022年6月取材)

三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。
書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。
withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した
 

「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。

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