MENU CLOSE

連載

#28 名前のない鍋、きょうの鍋

オレガノたっぷり味噌味 異国の食文化が交じり合う〝名前のない鍋〟

冬になると、ハーブやスパイスをたくさん入れる「ちゃんこ鍋」をやるという萩原カオリさん、スタブロス・シディロプロスさんご夫婦
冬になると、ハーブやスパイスをたくさん入れる「ちゃんこ鍋」をやるという萩原カオリさん、スタブロス・シディロプロスさんご夫婦 出典: 写真はいずれも白央篤司撮影

みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。

いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。

「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。

今回は、異国のスパイスと味噌の鍋をつくるご夫婦のもとを訪ねました。

【PR】手話ってすごい!小学生のころの原体験から大学生で手話通訳士に合格
名前のない鍋、きょうの鍋
※クリックすると特集ページに移ります。

カオリさん:1972年、兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、アパレル企業に3年ほど勤めたのちフードコーディネート業に転職、2002年独立。2020年にギリシャで結婚する。現在は夫とともに京都の漬物店に勤務。

スタブロスさん:1983年、ギリシャのアテネ生まれ。専門学校卒業後は電気技工士として働き、フォークリフトなどのバッテリー製作に携わる。2022年9月より日本に移住、愛称はスタちゃん。西宮市に夫婦で暮らす。

言うまでもなく、現代日本には外国からの方も多く暮らされている。

彼らは日本の鍋料理を自分たちの食生活に取り入れているだろうか。あるいは自国の鍋料理的なものを、日本の食材や調味料とミックスして新たな食の形を生み出してはいないだろうか。

「名前のない鍋」企画を始めたときから気になっていたことである。

あるときSNSに「日本で暮らす外国の方と、お知り合いの方はいませんか?」と書き込んでみたら間もなくして1通のメールが届いた。

「夫が料理好きのギリシャ人です。冬の時期はほぼお鍋を食べておりまして、ハーブやスパイスをいっぱい入れるちゃんこ鍋をよくしています」とある。

住所を見れば兵庫県の西宮市。すぐに行ける距離ではなかったが、どうしてもこのご夫婦に会ってみたくなった。

アテネ生まれのスタブロスさんと萩原カオリさんが暮らしているのは、西宮市の中でも甲子園口(こうしえんぐち)というところだった。

高校野球で有名な甲子園があるエリアで、カオリさんはここで生まれ育ったとのこと。

おふたりのマンションに入れてもらえば、ベランダの緑がまぶしい。ミントやバジル、レモンの木もある。

「料理によく使うんですよ、でも今年は暑すぎて生育がイマイチで。きょうの鍋に入れる肉団子にもミントを入れます」

はきはきとした口調でカオリさんが説明してくれた。うち解けやすい感じというのか、初対面と感じさせないくつろいだ雰囲気のあるひとというのが第一印象。クラス替えがあってもすぐに友達が出来そうな感じだ。

「そう、私も初めてカオリに会ったとき思いました。“白”……という感じ。明るくて、やさしくて、どこにも悪いものを感じなくて」

夫のスタブロスさんが嬉しそうに続ける。色に例えるのが面白いなと心に残った。

ふたりが出会ったのは2019年のこと。京都の錦市場にある立ち飲み屋をカオリさんが手伝っていたとき、観光客だったスタブロスさんが訪ねたのだった。いわゆる、ひと目惚れ。

小さい頃から日本文化に興味があり、ギリシャで放映されていた『日本昔ばなし』などもよく見ていた
小さい頃から日本文化に興味があり、ギリシャで放映されていた『日本昔ばなし』などもよく見ていた

翌日もスタブロスさんは店を訪ねる。2週間の滞在中、何度もカオリさんに会いに行ったが、悩みもあった。

「だってこんなに短い間で告白するなんて……軽薄と思われるでしょう」

その表情がなんともピュアで、いわゆる含羞(がんしゅう)とはこのことかと私は感じた。さて、スタブロスさんの思いはカオリさんに伝わったんだろうか?

10年前ぐらいから使っている伊賀焼の土鍋はカオリさんの私物
10年前ぐらいから使っている伊賀焼の土鍋はカオリさんの私物

「ええ、信用できると思いました。だけどまあ……『これが国際ロマンス詐欺ってやつ!?』なんて友達とも言ってましたけど(笑)」

クシャッと笑うカオリさんと、てへへという感じのスタさん。うーん、鍋が始まる前からアツいなあ(笑)。ではそろそろお鍋の準備、お願いします。

キッチンに入ったスタブロスさん、居間で話していたときは柔和でおっとりした雰囲気だったが、いざ包丁を持つと「さあ、やるぞ!」という感じで眼光がちょっと鋭くなる。

きょうの鍋は昆布出汁で味噌がベースとのこと。

「水炊きやキムチ鍋もよくやるんですけど、鍋となると『味噌にしていい?』ってスタちゃんがよく言うんです、味噌が好きなのね」とカオリさん。

183センチあるスタブロスさん、好物は味噌ラーメンらしい。キッチンではちょっと窮屈そうだが、無駄のない動きが見事だった。

ただ作って終わりではなく、洗い物をまとめておくなど台所仕事をてきぱきとこなされて、細やかなお人柄を思う。

白菜や水菜、長ねぎにきのこを手際よく刻まれて、カオリさんがそれらを盛りつけていく。息の合ったふたりの動き、なんだか餅つきのリズムのよう。具材でいっぱいだった台所があっという間に片付いていった。

おや、合いびき肉に卵を落とし、塩、胡椒、砂糖を入れて練り出される。さっき言われていた団子だな。

ドライオレガノと刻んだミント、こんなにたっぷり入れるのか……。

「ギリシャのスープによく入れる肉団子、本当はお米も入れるんですけどね、きょうは無しで」と、スタブロスさん。

「ギリシャの料理はオレガノを本当によく使うんです」と言いながら別の器にオリーブオイルをどぶどぶと入れる。

そこにレモン1/2個をしぼり入れ、塩こしょうして、オレガノをたっぷり入れて、フォークで攪拌し始めた。

「鍋のたれにします、これがおいしい」と抜群のスマイルで教えてくれる。さあ、一体どんな味になるのだろう?

料理はお母さんがしているのを見ながら覚えたという
料理はお母さんがしているのを見ながら覚えたという

客間のテーブルに戻れば、野菜や肉がきれいに盛りつけられていた。

小皿やカトラリーなどの趣味も実にいい。聞けばカオリさん、なんとフードコーディネーターとして働いていたのだった。

「大学を出てアパレル会社で事務員として働いていたんですが、3年ぐらいで辞めて。小さい頃から好きだった料理関係の仕事が出来たらいいな……って思ってました」

しかしツテはまったくない。たまたま参加した飲み会が縁で広告代理店の知己を得、その人がフードコーディネートの会社を紹介してくれた。

「人がいないから、すぐに来てほしい!」

ひょうたんから駒を得た。1998年、カオリさんが26歳になる年のこと。

「料理が好きとはいえ素人ですから、とにかく実践で覚えていく毎日で。社長からは『教えてるんだからこっちがお金ほしいよ』なんて言われてましたね(笑)」

飲み込みは早かったようで、だんだんと指名の仕事が増えてくる。2002年に独立、関西企業の食品広告やテレビ局のフードコーディネートの仕事で忙しい日々を送っていた。

しかし、2020年にすべての仕事を失ってしまう。

「スタちゃんが暮らすアテネに3か月ほど旅していたんです。“お試し”で一緒に生活してみようとなって。そしたらコロナ禍に入って帰国出来なくなってしまったんです。日本が『受け入れない』となったまま時間が経って……大使館に何度も通いましたよ。でも『もうちょっとお待ちください』と繰り返されるのみで」

期間は2年半に及んだ。フリーランスとして築いてきたものが自分の選択ではないことによって崩れていく。言い尽くせない苦悩があったろうと思う。

「もうね、開き直って楽しもうと思いましたよ」とカオリさんは言われたが……。

「救いは、スタちゃんが本当にいい人だと分かったことでした。ギリシャというところを深く知ることも出来ましたし」

そう言いながら、カオリさんは鍋から具をよそってくれた。

秋の乾いた空気に湯気が広がる。鶏と豚肉のほか、がんもどきや豆腐も入れるんだな。

そして先のオレガノとオリーブ油が香るレモンだれを取り鉢に少々たらす。スタブロスさんはたっぷりと。さて昆布出汁と味噌で煮た具とどんな相性を見せるのか。

ああ、味の予想がまったくつかないものを食べるのはいつぶりだろう……と思いつつ口に運べば、う、うまいッ! こういうおいしさもあるんだなあと驚きつつ、ばくばくと食べてしまった。

決して珍奇でない、確かな味の世界がある。

先のミント&オレガノ入り肉団子も違和感なく味噌鍋に溶け込んでいて、クセになるおいしさだった。

ちなみに使われているオレガノ、日本で市販されているものより香りが鮮烈、特別に仕入れているものだそう。

それでいて味噌味と違和感がないのだから、私はまだまだ味噌のポテンシャルを知らないんだなと気づかされる機会ともなった。いやはや、びっくり。

「さて、もうビール飲んでいいですか?」

おふたりが待ち遠しそうに言われる。はい、取材もそろそろ終わりです。お待たせいたしました!

お気に入りの「鍋の供」もいろいろ
お気に入りの「鍋の供」もいろいろ

お休みの日は鍋を共に突きつつ、お酒をゆっくりと楽しまれる。これからの課題について考えることも。

「将来的に、日本とギリシャのどちらを拠点にするか?」

スタブロスさんは7人兄姉の末っ子で、ギリシャでは末の子が親の面倒を見るのが通例なのだそう。

「考えなきゃいけないことも、いろいろあります」

ふたりは見つめ合ってから、また笑った。

帰り道、カオリさんの言葉が思い出されてならなかった。

「アテネから帰れなくなって失ったものもありましたけど、『足るを知る』ことが出来ました。日本の生活では、既にたくさんのものを持っているのに、もっと欲しい、季節ごとに買い足すが当たり前になっていた部分があって。でもそういう生活から無理に離されたことで、無くてもいいじゃないか、今あるもので充分だって思えたんです」

そう心から思えたとき、なんだか楽しくなったとカオリさんは言った。足るを知る――私は少しでも出来ているんだろうか……なんて考えつつ、夕暮れの中JR神戸線の駅へ向かった。

取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮らしと食」をテーマに、忙しい現代人のための手軽な食生活のととのえ方、より気楽な調理アプローチに関する記事を制作する。主な著書に『自炊力』(光文社新書)『台所をひらく』(大和書房)など。10月25日に『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)を出版予定。
Twitter:https://twitter.com/hakuo416
Instagram:https://www.instagram.com/hakuo416/

みなさんは、どんな時に鍋を食べますか?
あなたの「名前のない鍋、きょうの鍋」を教えてください。こちらにご記入ください。

白央篤司『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)

連載 名前のない鍋、きょうの鍋

その他の連載コンテンツ その他の連載コンテンツ

全連載一覧から探す。 全連載一覧から探す。

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます