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#13 ナカムラクニオの美術放浪記

淡いピンクと鈍いグレー ローランサンが愛したモンマルトルの街の色

ナカムラクニオの美術放浪記

エコール・ド・パリの代表的な女性画家マリー・ローランサン(1883-1956)
エコール・ド・パリの代表的な女性画家マリー・ローランサン(1883-1956) 出典: イラストはいずれもナカムラクニオ
【ナカムラクニオの美術放浪記】 文・イラスト:ナカムラクニオ
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パリ生まれの文学少女がピカソと出会い、詩人アポリネールと恋に落ち、ドイツ貴族と結婚、亡命、スパイ容疑、自宅没収、ドロドロ離婚の後、画家として大成功。狂騒の1920 年代を魅了したパステルカラーの女王、それがマリー・ローランサンだ。

夢のように甘いバラ色、憂鬱なグレーで埋め尽くされた画面は、いかにして生まれたのだろうか?

浮世絵のようなローランサンの美人画

ローランサンの絵は、完璧な西洋的絵画であるのに、どこか浮世絵のような雰囲気がある。シンプルな画面の構図、平面的な塗り方などは、喜多川歌麿の美人画の遺伝子が流れている。

彼女が活躍した19世紀末から20紀初頭のパリは、アール・ヌーヴォーが流行した時代。ジャポニスムと呼ばれた日本趣味がもてはやされていて、ローランサンも浮世絵に興味を示していた。

気だるい表情と口もとにかすかな微笑を浮かべたアルカイックスマイル。彼女は、油絵でパリの浮世絵を描こうとしていたのかもしれない。

パリの小高い丘に広がるモンマルトル
パリの小高い丘に広がるモンマルトル

だからこそ、日本でもローランサンの人気は高く、東郷青児やいわさきちひろにも多大な影響を与えることができたのだと思う。

そんなローランサンの夢見心地な色彩の源流を探してパリ、モンマルトルを歩いた。

モンマルトルの画塾で人生が変わった

ローランサンは、10代の頃から国立セーブル製陶所で磁器の絵付けを学んでいた。セーブルの絵付けといえば、ローズポンパドール(ポンパドールピンク)が有名だ。

彼女は、ここで出会った「淡いピンク」に慣れ親しみ、いつか使うべきの武器として秘蔵していたのかもしれない。

そして、本格的に絵画の勉強を始めるため入学したのが、モンマルトルにあった画塾アカデミー・アンベールだ。この学校がローランサンにとって人生の転機となった。

アカデミー・アンベールは、肖像画が得意だった画家フェルディナン・アンベールが1898年に設立した美術学校だ。ローランサンも実質的には肖像画で成功したので、やはり師匠の影響を受けているような気がする。

この画塾は、繁華街のクリシー通りにあった。もう学校自体はなくなっていたが、街の雰囲気は変わっていない。しかも、あの有名なムーラン・ルージュから数軒先の場所だったのが驚きだ。近くにはかつてゴッホが通っていたフェルナン・コルモンの画塾もあった。

1889年に誕生したモンマルトルのキャバレー「ムーラン・ルージュ」
1889年に誕生したモンマルトルのキャバレー「ムーラン・ルージュ」

ムーラン・ルージュとえいば、モンマルトルにある「赤い風車」が印象的なパリ歓楽街のシンボルだ。夜になると妖しく光り輝き、ロートレックが多くのダンサーを描いたキャバレーとして知られている。

東京でいえば、新宿の歌舞伎町あたりといった感じだろうか。観光地ではあるが、夜になると街全体がピンク色のネオンで光り、妖艶な雰囲気に包まれていた。

淡いピンク色 モンマルトルの街の色

ローランサンは、この画塾で若き画家ジョルジュ・ブラックと知りあった。そして、キュビスムという新しい様式を模索していたブラックに影響を受けた。

さらに自分の「ピンク色の作品」を高く評価してもらったことで意気投合、一緒に学校まで退学したのだった。

近くに、ペンキなどが売っているパリのホームセンター「カストラマ」があった。新宿にある画材店「世界堂」とも雰囲気が似ている。

ここで記念にハケと絵の具を買った。少しだけ、モンマルトルで生き抜いた画家の気持ちが味わえたような気がした。

「パリ五輪」に向けて、金色に塗りかえられたエッフェル塔
「パリ五輪」に向けて、金色に塗りかえられたエッフェル塔

さらにモンマルトルの坂道を登り、有名な画家の溜まり場だったアトリエ兼住居「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」を訪ねた。

オリジナルの洗濯船は1970年に火災でほとんどが燃えてしまったので、現在の建物は再建されたものだが、広場の雰囲気は当時と変わっていない。

建物の写真を撮っていると、ギターを抱えた若いミュージシャンが寄ってきた。そして、「ここの写真を撮るなら鳩を飛ばすといい」と話しかけてきた。「カメラを地面スレスレに置き、鳩を驚かせばいいんだ」と教えてくれた。

今でもモンマルトルは、芸術家にとって、居心地が良さそうだった。

ブラックの紹介で、ローランサンは洗濯船に出入りするようになった。その当時、ピカソは恋人とここに住みながら傑作「アビニヨンの娘たち」を描いていた。

さらにコクトー、マティス、ブランクーシなども出入りし、互いに刺激を与え合った。

ある日、ピカソは、詩人で美術評論家でもあるギヨーム・アポリネールに「君のフィアンセに会ったよ」とローランサンを紹介した。

ピカソの予言通り、ふたりはすぐ恋に落ちた。この出会いによって、アポリネールもローランサンも才能を開花することとなる。そして、あっという間に「エコール・ド・パリ」と呼ばれた芸術家たちの中で頭角を現すようになっていった。

ローランサンの作品は、淡いピンクと鈍いグレーが印象的
ローランサンの作品は、淡いピンクと鈍いグレーが印象的

洗濯船から石畳を登って画家たちが通ったシャンソン酒場「ラパン・アジル」へ向かった。

意外なことに、ここもローランサンの絵画のような淡いピンク色の建物だった。さらに、すぐ近くにある老舗カフェ「ラ・メゾン・ローズ」も、ピンク色だった。

このピンクのカフェは Netflixのドラマ「エミリー、パリへ行く」に登場したことで、パリの新名所になっていた。多くの女性たちが集まり、ピンクの背景で写真を撮っている様子は、まるでローランサンの絵画のようにも見えた。

昔は、なぜローランサンがこのような色を使って描いたのか分からなかったが、淡いピンク色と鈍いグレーは、モンマルトルの街の色だったのだと思う。

クリシー通りで夜の街を見上げると、モンマルトルの空が、繁華街の光に照らされ、淡いピンク色に光っていた。

 

ナカムラクニオ
6次元主宰/美術家、東京都生まれ。画家、金継ぎ作家として活動し、山形ビエンナーレや東京ビエンナーレにも参加。著書は『金継ぎ手帖』『古美術手帖』『描いてわかる西洋絵画の教科書』『洋画家の美術史』『こじらせ美術館』『こじらせ恋愛美術館』など多数。
国立西洋美術館(東京都台東区)で2024年1月28日まで「キュビスム展─美の革命」展、アーティゾン美術館(東京都中央区)で「マリー・ローランサン―時代をうつす眼」が2023年12月9日から2024年3月3日まで開催

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