IT・科学
24歳で経験した骨髄ドナー「やってもいいかな」の背中を押すには…
ドナー休暇制度、自治体の助成制度「ありがたかった」
働き始めて2年目で、日本骨髄バンクから届いたドナーの「適合通知」。「ぜひやりたい」と感じたけれど、仕事の調整や金銭的な不安で悩んだと振り返る女性がいます。骨髄バンクでは、若い世代のドナー登録者を増やすことが喫緊の課題になっていますが、提供しやすいような仕組みづくりやサポートをどのように考えたらいいのでしょうか。(withnews編集部・水野梓)
「献血の延長という感じで、深く考えずに骨髄バンクに登録しました」
埼玉に住む上原友希さんはそう語ります。4年前、24歳の時に骨髄移植のドナーを経験しました。
登録したのは2018年、都内の会社に就職してひとり暮らしを始めたタイミングでした。
有給をとって免許証の住所変更をする時、近くに献血センターがあることに気づき、「坂道を登って暑かったし、『涼んでいこうかな』ぐらいのつもりで献血しました」。
「その時に『骨髄バンクの登録のチラシ』があり、登録したんです」と話します。
登録したことさえ、すっかり忘れていた1年後。骨髄バンクから「患者さんの型と適合した」というお知らせが届きました。
「最初は『本物かな?』と思って調べてしまいました(笑)。でも、本当だと分かった後、最初に感じたのは『嬉しさ』でした。言い方が変かもしれませんが、『貴重なものに当たったな』って思ったんです」
しかし立ちはだかったのは、仕事の調整ができるかや、仕事を休んでお給料が減ってしまうかもしれないという金銭的な不安でした。
事前の健診のための通院や、提供時には数日間の入院が必要です。
上原さんは「社会人になって、ひとり暮らしを始めて2年目でお金がカツカツでした。正直なところ『休めるかな』と不安に思いました」と話します。
まずは上司を説得しようと、骨髄バンクから送られてきた資料を読み込んで、骨髄移植の意義を資料にまとめて〝プレゼン〟をしました。
上司は「やりたいなら止めないけど…」という積極的な応援ではなかったといいます。
「患者さんを待たせるわけにいかないと焦る気持ちもあって、『大切なことなのに何で分かってもらえないんだろう』と悶々としました」と話します。
諦めきれず、仲のいい先輩に相談したところ、会社の専務と話すタイミングを作ってくれました。すると、短時間の会話でしたが、専務は「心配するな、何とかするから」と快く応じてくれました。
現在のドナー登録者数は、半数超が40代~50代です。一方で、若いドナーからの提供の方が移植の成功率が高いともされます。
「若い世代のドナーは少ないと聞いていて、『自分にできることならやりたい』と伝えたんです。専務は『今の自分にはできないことだから応援するよ』と言ってくれて、本当にうれしかったです」と振り返ります。
最終的に、上原さんは「特別休暇」という扱いで、有給を消化せずに仕事を休めることになりました。
「ホッとして、心配なく手術に臨むことができた」と話します。
骨髄移植に臨んだ時は、手術台に上がって麻酔をする段階になって「あ、提供するんだ」という実感がようやくわいて、心臓がバクバクしたといいます。
麻酔医からは「大丈夫ですよ」「好きな曲をかけましょうか」と声をかけられ、沖縄出身の上原さんは「BEGIN」の曲をリクエスト。
「BEGINの優しい声が流れて、ちょっと落ち着いたところまでは覚えています。目を開けたら、もう終わっていました」
腰に筋肉痛のような違和感があったそうですが、「傷痕もすぐになくなりましたし、もっと痛いのかなと思っていたので、2時間の手術は私の場合は〝拍子抜け〟という感じでした」と話します。
提供後、「命どぅ宝(命こそ宝)」という沖縄の言葉とともに、「提供できてよかった」という自身の思いを手紙にしたためて、骨髄バンクに託した上原さん。
患者さんからも「命をありがとう」という返信が届きました。上原さんは「この手紙は私の宝物です」とほほえみます。
ドナーと患者は、それぞれ誰なのかは分からないようになっています。移植が成功したかどうかがドナーに知らされることもありません。
しかし上原さんの場合は数カ月後、骨髄バンクの担当者から「もう一度、血液を採取させてもらえませんか」という連絡がきたといいます。
結果的に患者さんの都合で中止となりましたが、「患者さんの体調が悪くなったのかな」と心配になり、「私の骨髄がよくなかったのかな」と自分を責める気持ちもわき起こったそうです。
そんな時、大学時代の友人からSNSで連絡がきました。友人の妹は、骨髄提供を受けて快復した経験があったそうです。
その話とあわせて「今回の患者さんも家族もすごく勇気をもらったはずだよ」と伝えてくれて、ようやく気持ちが楽になったといいます。
18歳から登録できる骨髄バンクですが、55歳で〝引退〟しなければなりません。10年以内に22万人もの登録者が減ってしまうともいわれ、若い世代の登録が喫緊の課題になっています。
上原さんは「身近な人が病気になったり、ドナー体験をしたりしていなければ、なかなか自分事にはならないと思います」と指摘します。
「でも、自治体の助成制度や、企業や団体によって休暇制度があることがもっと広まれば、『やってもいいかな』と思う人の背中を押すと思います」
もともと上原さんは、「献血デート」をするほどだった姉の影響で、献血に行くようになったといいます。
今は、5人の子どもを育てているその姉からは、「私も余裕があったらやりたかったな。友希のことが誇らしいよ」と言われ、とても心に響いたそうです。
「姉は、普段はわざわざそんなこと言わないんですよ。誰かの命について悩み、行動した3ヶ月の出来事がまとめて認められたような気持ちで、本当にうれしかったです」と涙ぐみます。
上原さんの妹も、上原さんから体験を聞いてドナー登録をしてくれたといいます。
「『命どぅ宝』をこんなに実感できたことは、これまでの人生でありませんでした。患者さんの希望になれた体験は、自分の人生をさらに豊かにしてくれたと思います」と語ります。
「でも、自分がすごい人だから提供できたわけではなくて、単なる偶然でした。皆さんもあまり気負わずに、『命をつなぐひとり』になってもらえたらと願います」
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