連載
心のあり方を映し出す〝鬼〟 「福は内、鬼も内」と叫ぶようになった
岩手で暮らしていると、至る所で「鬼」と出くわす。
仕事場から車で約15分。三重の鳥居を抜けると、断崖絶壁にはりつくように朱塗りのお堂が建てられている。
達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂。
絶壁の高さは約35メートル、幅約150メートル。まるで寺と荒々しい崖が一体化しているようにも見える。
約1200年前の平安時代、ここにも悪路王と呼ばれる「鬼」が住んでいた。坂上田村麻呂は「鬼」を討ち取り、その勝利を記念してかつて砦のあった岩肌に、清水寺を模した毘沙門堂を建てた。
「鬼」とは一体何なのか――。
北上市にある「鬼の館」を訪ねると、学芸員の相原彩子さんが教えてくれた。
「東北には鬼にまつわる地名がたくさん残っています。一関市の鬼死骸村だけでなく、大船渡市の越喜来(おきらい)地区は『鬼喜来』とも呼ばれ、海に流した蝦夷(鬼)の死骸が流れ着いた所とも伝えられています」
少しほほ笑んで続けた。
「結局、鬼をどう捉えるかは、その人次第です。どんな相手でも『鬼』になったり、『優しい人』になったりする。つまりはその人の心のあり方なのです」
人の心に鬼は住む。でも、それは果たして悪いことなのか。
人はモノを作り出すとき、ときに鬼の業火を必要とする。
節分の時、私はいつの頃からか、「福は内、鬼も内」と叫ぶようになっている。
(2021年8月取材)
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