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双子のひとりが発達障がい 仕事を辞めたシングルマザーの願いは
フルタイムで働いていたものの、体調を崩してしまいました
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フルタイムで働いていたものの、体調を崩してしまいました
障がいがあったり、医療的ケアが必要だったりする子どもを育てながら働くことには、さまざまな問題が伴います。
特にひとり親世帯では、日常的にケアや見守りが必要な子の育児と仕事をひとりで担って限界を超えてしまうことも。
双子のひとりが発達障がいと診断され、自身も心身の調子を崩して退職に至ったというシングルマザーは「育児と無理なく両立できる仕事に就きたい」と願っていますが、具体的にどのような職がいいのかは見えていません。
東日本に住む40代の女性は、小学4年生の長女(9)と長男(9)の双子を育てるシングルマザーです。
子どもたちが2歳の頃に離婚。実家にも頼ることはできず、以後、社会福祉系の会社でフルタイムの正社員として働き、ひとりで子どもたちを育ててきました。
長男に変化が現れたのは、小学校に入学してすぐの頃です。小学校で着替えができずずっと座り込んでしまったり、登校途中でかんしゃくを起こしてしまったり、学校生活へなじめていないようでした。
登校時間になっても車にしがみつく子どもを振り切るため、学校へ行く〝ごほうび〟として、とっさに500円玉を渡したこともあったという女性。「私も働きに出ざるを得ず、無理やりでも学校に行ってもらわないと困ると思っていました」
通っていた小学校には特別支援学級がなく、支援員もいません。長男は保育園では集団生活ができていましたが、決まったカリキュラム通りに動かなければならず、教師のフォローも少ない小学校では、生活に適応できないようでした。
毎日のように学校から呼び出しの連絡を受けたものの、仕事を抜けることは難しく、退社後18時過ぎに学校へ駆けつけては頭を下げていたといいます。
半年が経った頃、長男は発達障がいの自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)と診断されました。長女とともに別の小学校に転校し、特別支援学級に入りました。
新しい学校に転校した後も、長男は学校や放課後等デイサービスでかんしゃくを起こしたり、不登校になったりしていました。家庭でも暴れ、裸足で外に飛び出して警察に保護されることも1度や2度ではなかったといいます。
「当時は1日を回すことで精いっぱいでした。何が悪かったんだろう、息子はなぜ〝普通に〟学校に行けないのだろうと思っていました」
長男はコミュニケーションが苦手で周囲に合わせることが難しいものの、知的発達の遅れはなかったため、療育施設に通ってはいませんでした。
療育に通うためには、女性も仕事を休んで付き添わなければいけないという事情もありました。職場には長男の状況を伝えていましたが、限られた人員のなか責任ある仕事を任されていたこともあり、休むという選択は難しかったといいます。
「子どもたちを育てていくために働き、毎日必死で生きていました。息子には私でできる範囲のサポートをしていたんです」
しかし、長男の状況は改善されず、暴れて手に負えなかった2、3年生の頃には、児童相談所の一時保護や児童精神科へ入院したこともありました。
2人の子どもを育てながらも、生活のためなんとか仕事を続けてきた女性でしたが、2年前のある朝、突然体が動かず起き上がることができなくなりました。
「それまでも吐き気が止まらないことや、ぎっくり腰、胃腸炎になったことはありましたが、『何があっても絶対に仕事は辞められない』と思い薬を飲んで行っていました。でもその日は本当に起きられなくて……」
病院で医師の診察を受けた結果、適応障がいと診断されて10日間入院しました。その間、子どもたちは児童相談所に預かってもらったそうです。
退院後、女性は休職しました。
当初は復職することしか頭にありませんでしたが、休職中にゆっくり自分と向き合ったことで「今までやってきた生活が異常だった」と感じ、退職を決めました。
朝8時前に出勤し、夕方18時過ぎに帰る生活。放課後等デイサービスやファミリーサポートなどの制度を利用していても、「余力のない状態」だったといいます。
「私自身まったく幸せではなかったし、子どもたちも幸せではなかったかもしれません」
子どもや生活を守るためだったとはいえ、女性は「子どもに申し訳ない育て方をしてしまった」と声を詰まらせました。
現在は、雇用保険の失業手当を生活費の中心として暮らしています。働いていた頃は元夫からの養育費を子どもの将来のために貯蓄に回していましたが、失業後は「泣く泣く手をつけてしまっていて、子どもたちへのふがいなさもあります」と話します。
自身の心に余裕ができ、子どもと向き合えてきたためか、長男の様子も落ち着いてきたように感じているそうです。
「息子にはどういう特性があってどんなことに困っているか、どんなサポートが必要なのかを引き続き考えていきたい」と話します。
今後については、「育児と無理なく両立できる仕事に就きたい」と願っていますが、具体的にどのような職がいいのかはまだ見えていません。
私立大学法学部を卒業後、はじめは出版社系の企業で働いた女性。社会福祉系の仕事に関心を持ち、夜間の専門学校に通って社会福祉士の資格を取得したり、その後も保育や介護の資格を取ったり、勉強を重ねてきました。
都内でも働いた経験から、現在住んでいる地方との「格差」に課題を感じているといいます。
退職する前の年収は手取りで200万円ほどで、都内で働いていた頃の半分でした。
「シングルマザーだとフルタイムの仕事でも暮らしには足りません。本業のほかに副業をしないと難しいのかなとも思います」
障がい児の育児について職場の理解を得ることも大切だと考えていますが、地方の零細・中小企業では人手が足りず、個々の事情をくんでもらうことはかなり難しいとも感じます。
いまの居住地でもファミリーサポートや病児保育など行政の支援サービスを利用していますが、障がい児を預けられるサービスはほとんどありません。関東などで展開している民間の障がい児向けシッターサービスが地方にも広がってほしいと願っています。
「『子どもを預けたいと思うのは自分が頑張っていないからだ』『子どもを預けることは悪いことだ』と自分を追い詰めてしまう人もいます。心も体もスッカスカの状態で、なんとか踏ん張って生きている人たちも、気軽に利用できる制度が広がってくれるとうれしいです」
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