連載
#26 親子でつくるミルクスタンド
実はハードルが高い「牧場オリジナル牛乳」 乳業メーカーとの挑戦
宮崎県の松浦牧場とアリマン乳業
生乳の廃棄問題や、飼料高騰によるスーパーの牛乳の値上げなど、厳しさを増す酪農業界。そんななか、製造するのに高いハードルがある「牧場オリジナル牛乳」を、地元乳業メーカーと力を合わせてつくっている牧場が宮崎にあります。生産者が一方的に「牛乳を飲んで」と伝えても、なかなか消費者にはその魅力が広がっていかない――。そんな風に考えて、さまざまな挑戦をする牧場と乳業メーカーを訪ねました。(木村充慶)
酪農というと北海道などの寒いエリアで盛んですが、九州など暖かいエリアにも牧場は数多くあります。
マンゴーが有名で南国のイメージがある宮崎にも牧場はあります。宮崎といえば宮崎牛、畜産が盛んですが、乳牛も全国11位の生産量です。
そんな宮崎県中部の児湯(こゆ)郡の新富町で酪農を行い、「命の循環」を経営理念とする「松浦牧場」を訪れると、各所に扇風機が設けられ、暑さの厳しい宮崎でも快適にすごせるように工夫されています。
牛舎は隅々まできれいに掃除され、集められた糞尿は時間をかけて完熟堆肥にするため、匂いも少ないです。堆肥は牧草を育てる畑に使ったり、他の農家に販売しています。
牧場オリジナルの牛乳や、ソフトクリームやプリンといった乳製品もつくり、地域でも愛される牧場のひとつとなっています。
牧場独自で乳製品を製造・販売するようになったのは、2代目の松浦千博さんがアメリカ留学で畜産を学び、2カ月間住み込みのインターンを経験したことがきっかけでした。
日本の牧場あたりの牛は、数十頭から多くて数百頭。アメリカでは平均3000頭、多いと1万頭という牧場もあったそうです。
教授に「そのまま日本に持ち帰って応用できるようなスキルが得られないのでは……」と伝えたところ、イリノイ州の小規模な牧場を紹介してくれました。
自分たちで搾ったミルクをチーズやアイス、バターなどに加工し、自分たちで販売もしていて、近くのワイナリーと組んでのイベントや、子どもが参加できるバターづくり教室なども開催していました。
「消費者とこんなふうにつながる方法があるんだと感銘を受けました」と言います。
当時の宮崎には、観光に特化した牧場はあっても、ミルクを生産しつつ乳製品をつくったり、イベントをしたりする牧場は少なく、「自分が牧場を継いだら、こういう牧場ができたらな」。そんな思いが芽生えました。
しかし、松浦さんのアメリカの卒業間近に起きたのが2010年、牛や豚などの動物が感染する「口蹄(こうてい)疫」でした。最終的には被害を抑えるために国内で29万頭以上の家畜が殺処分されました。
松浦さんの牧場でも牛にはワクチンを打ち、全頭処分することになりました。卒業後に帰国すると、牧場は牛が連れ出され、もぬけの殻だったと言います。酪農をやめることも真剣に話し合ったほどでした。
それでも、アメリカで経験したことが忘れられなかった松浦さんは、酪農の再開を決め、北海道から導入した数頭の牛の飼育から試していきました。
翌2011年には30頭に拡大。口蹄疫の問題がないことを確認し、本格的に牛乳の生産を再開しました。
牧場運営を立て直し、今では牛も140頭ほどになりました。「牛乳がどう生産されるのか、しっかり伝えていきたい」と週2~3回の受け入れペースで酪農体験のイベントも開催しています。
搾乳したての生乳にさわってもらい、温かいことを感じてもらう――。子牛とのふれあいもあります。
「子牛が生まれるからミルクは出るんだよ、と伝えます。当たり前のようなことですが、知らない方が多いんです」
一方で、牧場オリジナルの牛乳製造は簡単ではありませんでした。牛乳製造は、設備などの保健所の基準が厳しいためです。
牛乳というと「酪農家が搾ったミルクをそのまま飲んでいる」と思われる方もいるかもしれませんが、スーパーで売っている一般的な牛乳は、様々な工程を経て商品として手元に届きます。
集乳車と呼ばれるタンクローリーが牧場を回ってミルクを集め、それを乳業メーカーが買い取り、殺菌してパッケージに入れて販売します。多くの牧場の牛乳が混ざっている状態なのです。
ミルクは栄養価が高い分、腐りやすい面があり、厳しい製造基準をクリアしなければなりません。牧場が製造するのは難しいのですが、松浦牧場では、地元にある小さな乳業メーカー「アリマン乳業」が手を貸してくれることになりました。
大きな乳業メーカーであれば、様々な牧場から集めた生乳で、大量に牛乳を生産・流通させることで、価格を安価に抑えることができます。
ひとつの牧場のオリジナルミルクを小ロットで生産することで、どうしても値段は高くなり、800mlで1900円です。それでも手応えはあると言います。
「決して安くないですが、それでも価値を分かって買ってくれる人がいます。牛乳を飲んで『酪農体験をしたい』と牧場に来てくれる人もいます。牛乳をつくってよかったなと思いました」
牛乳の製造を手伝った「アリマン乳業」は、松浦牧場と同じ宮崎県中部の川南町にある乳業メーカーです。
3代目の三浦崇さんに聞くと、元々は牧場からスタートした乳業メーカーだそうです。
「当時は経済成長の真っただ中でしたが、初代には『将来、牛乳が余るのでは』という危機感があったようです。農協に任せず、自分たちでしっかり売る必要があるのではないか。そんな思いから、牛乳の製造にも乗り出しました」
次第に、他の牧場の生乳も受け入れて牛乳製造を本格化しました。ついには牧場運営をやめて、乳業メーカーとして牛乳の製造に特化していきました。
会社がある、珍しい地域の名「トロントロン」を冠した「トロントロン牛乳」は、アリマン乳業の代名詞であり、地元の人に愛される牛乳となっています。
製造する牛乳は、地元の牧場の生乳にこだわって、地域に根ざした乳業メーカーとして営業を続けてきたといいます。
初代が想像していた通り、いま日本では牛乳が余る状況に陥っています。消費量の低下の影響は、アリマン乳業も例外ではありませんでした。
福岡の大学を出て、地元でまちづくりの会社などで働いていた3代目の三浦さんは、「牛乳、そして酪農が生活からどんどん離れている感じがしました」と指摘します。
家業が厳しくなっている現状を知って、後を継ぎましたが、「地元の牧場で生産される牛乳の味は間違いない」と感じていたものの、一方的に生産者目線で「牛乳を飲んでください」と発信するだけでは消費者には響かないと感じたようです。
「おいしかったり、面白かったり、楽しかったり……。牛乳や乳製品でワクワクしてもらわなければいけないと思いました」
バリエーションを増やして乳製品を味わってもらおうと、「とろんとろんヨーグルト」の製造もスタート。名前にあわせて、ヨーグルトは「とろとろ」で粘度が高いのが特徴です。
ECサイトでは、半分ほどヨーグルトを食べたら、そこに牛乳を入れて、またヨーグルトをつくることができる――というヨーグルトと牛乳がセットになった商品を販売しています。
乳製品の面白さを体験してもらいたいという思いからです。
本来は、牛の品種やエサ・育て方などの違いで牧場ごとにミルクの味が違うため、「松浦牧場」のように牧場オリジナルのミルクの製造も手伝い始めました。
スーパーで買える牛乳は、多くのミルクをあわせているので「均質化」しています。味が安定するので悪いものではありませんが、三浦さんは「独自の価値がなくなってしまうことがもったいない」と指摘します。
「松浦牧場」のような牧場オリジナルのミルクは、牧場の思いのみならず、乳業メーカーの思いが合わさった結晶のようなミルクです。
コロナ禍やウクライナ危機などを発端として日本の酪農は厳しくなっています。
生乳を廃棄したり、まだ乳を搾ることができる牛を早期処分するといった対応で生乳の減産をしましたが、その結果、今後は「生乳不足」になる可能性もあるとも指摘されています。
ミルクスタンドを運営している筆者は、改めて、牧場や乳業メーカーがどんなことをしているのか、どんな思いで牛乳をつくっているのかを知るのは、とても大切なことだと思いました。
一方で、三浦さんの指摘するように、ただ生産者の思いだけを伝えてもなかなか消費者には届かないとも思います。
だからこそ、牧場オリジナルのミルクや乳製品のおいしさや、ヨーグルトづくりの面白さといった前向きな体験から、牧場や酪農に興味を持ってもらう取り組みは、とても重要だなと感じています。
1/11枚