連載
#25 親子でつくるミルクスタンド
池を泳ぐ牛たちの姿…「今年で牛乳生産を終了」 牧場の〝その後〟は
宮城の「菊池牧場」
40ヘクタールという広大な土地をいかして、放牧で牛を育て、池で牛たちが泳いでいるようすが見られる宮城の「菊池牧場」。東日本大震災をきっかけに、ソーラーパネルによる発電事業を始めたり、地域の牧場と連携したりしていますが、今年いっぱいで「牛乳の生産を終える」と考えているそうです。次なるチャレンジとは――。(木村充慶)
日本の酪農は、牛舎で牛の首をつないで育てる「つなぎ飼い」が多く、外の草地に放って生えている草を食べさせる「放牧」は多くありません。それは宮城でも同様です。
今回訪れた「菊池牧場」は宮城県大郷町の山奥で、放牧している牧場です。40ヘクタールもの広大な土地に、約40頭の牛たちが飼われています。
訪れて驚いたのが、放牧地の奥にある池で牛たちが群れをなして泳いでいるところでした。
牛といえば、草の上か、牛舎の中でゆっくりしているイメージではないでしょうか。
日本各地やインドの牧場を訪問してきた筆者も、川で水浴びをする牛を見たことはあるものの、泳ぐ姿は想像もしたことがありませんでした。
菊池牧場の池は、深いところでは10メートル以上もあります。冬は積雪もあるので泳ぎませんが、5月以降、暑くなると涼しさを求めて牛たちが池に入っていくそうです。渡り鳥とともに牛たちが泳ぐ姿は、ほかでは見られない貴重な風景です。
菊池牧場で放牧が始まったのは、牧場の開設当初からだといいます。
牧場を始める準備として北海道の牧場を見学した初代の菊池敏博さんが、広大な土地で牛が放牧され、牛が自由に歩き回る様子を見て、「これだ!」と思ったそうです。
放牧では、ただ外に放つのではなく、牛たちが牧場内に生えている草を食べます。地域によりますが、一般的には1頭あたり1ヘクタールもの土地が必要とされています。そのため、放牧は北海道のように広い土地がないと簡単にはできません。
幸いにも、40ヘクタールという広大な土地で牧場を準備していたので、「これならできるのではないか」と考え、放牧にチャレンジし始めたといいます。
父とともに牧場を立ち上げた2代目の敏之さんも、放牧に抵抗はなかったと言います。
「牛は放して飼うのが当たり前だと思いました。牛たちに自由に過ごさせて、交配まで自由です。糞尿も草地でしてくれるので、堆肥にするといった人間の手間もかなり減ります。何より牛たちが自由に動き回って健康になるので、一石二鳥なんです」
そうして作り始めた牛乳を、敏之さんは「とにかくおいしかった」と振り返ります。
この牛乳を多くの人に届けたいと考え、ほどなくして牧場独自での牛乳の販売、配達を始めました。
その名も「親子2代放牧牛乳」。パッケージには2人の名前と、池を泳ぐ牛の写真も。個性あふれるパッケージです。
牛乳を飲ませていただくと爽やかで、かつ、口の中にフルーティな甘さが広がりました。
その訳を敏之さんに聞くと、「りんごのしぼりカスを与えたからなあ」と教えてくれました。
エサにもこだわっている菊池牧場。生えている牧草だけでなく、豆腐屋で出たおからや、余った野菜や果物、ビールやワイン工場から出たカスなどを発酵させたエサも与えています。
もともと、お金がない中で牧場運営を始めたため、地域で余った食材を有効利用しているといいます。
「一般的には飼料にトウモロコシなどを与えることが多いですが、本来は人間の食材です。それは違うのではないかと思い、余り物を使おうと思いました。今で言えば『持続可能なやり方』でしたね」
宮城で味わえる貴重な「放牧牛乳」ですが、敏之さんは「今年でやめるんです」と残念そうに言います。事業承継者が見つからないことが大きな理由だそうです。
敏之さんの息子さんは、「牛乳がおいしい」と友人たちにも話してくれているそうですが、後継者になる話は持ち上がっていません。
敏之さんとしても「牧場のつらさ」も知っているため、「積極的にやらせたいとは思っていません。息子にもどちらかといえば継がせたくないです」と話します。
牧場開設から50年経って、施設も老朽化しています。継ぐにしても莫大な費用がかかる――。それなら閉じた方がいいのではないかと考えているそうです。
牧場の廃業後は、地域の複数の牧場から集めた糞尿を使った「バイオマス発電」のプラントをやりたいと教えてくれました。
バイオマス発電事業への進出は、2011年の東日本大震災が影響しているそうです。幸いにも牧場への大きな被害はなかったものの、電気や水が止まりました。
発電機や地下水のおかげで運営は継続できましたが、販売先の乳業メーカーの工場などが軒並みストップしてしまいました。
東京電力福島第一原発事故による放射能の影響から、直後は放牧が禁止されたことも。菊池さんは「実際には、大郷町は放射能の影響はほとんどありませんでしたが、当時はもう放牧は厳しいのではないかとさえ思いました」と振り返ります。
広大な土地をいかし、放牧地にソーラーパネルを設置しないかという打診が東京の会社からあったそうです。
先行きの見えない中でしたが、何か新しいことにチャレンジしようと、ソーラー発電事業を始めました。
放牧地の一部にソーラーパネルを設置して発電を始めましたが、すぐに経営のバランスが変わっていきました。
理由には、乳業メーカーに販売する生乳の単価があります。
牧場で搾乳した生乳は、一部は「親子2代放牧牛乳」として販売しますが、大半は農協を通じて乳業メーカーへ出荷します。
生乳を販売する際の価格である「乳価」は、各地域ごとの「指定生乳生産者団体」が乳業メーカーと交渉し、一定の金額に定められます。
そのため、一定の水準を下回らない限りは成分に関係なく、同じ金額で販売されます。
多くの牛を飼うことができず、1日の乳量が少ない放牧の場合、乳量を増やして売り上げを増やすことが難しいビジネスモデルです。
一方で、再生エネルギーには注目が高まっており、ソーラー発電事業での収入は拡大していきました。
さらに、ソーラーパネルの下では、羊を飼って草を食べてもらいつつ、大きく育ったら羊肉として都内のレストランへ販売するようになりました。
さまざまな事業を展開していく中で、ビジネスとして簡単ではない酪農の比重が下がっていき、バイオマス発電への挑戦が浮かび上がってきたのだといいます。
菊池牧場は、地域の様々な牧場と連携しながら支えあっています。「親子2代放牧牛乳」も、大崎市の別の牧場の工場で製造を代行してもらっています。
石巻市の牧場から「放牧を始めたい」という相談があったときには、惜しまず様々なアドバイスをしてきました。
今後、菊池牧場で牛乳の製造をやめたら、この二つの牧場の牛乳を自分の販路に紹介して販売していってもらいたいと敏之さんは語ります。
「信頼できる牧場の人たちがいるので、牛乳の方は彼らに譲っていきたい」
今年いっぱいで牛乳の生産を終えるという敏之さんに、「牧場をやめることに未練はないか」と尋ねると、やはり寂しさはあるようです。
「地域からもやめないでほしいという声が多いです。牛を数頭だけ残そうかどうか、迷っています」
生き物が相手の酪農は、日々、仕事が尽きません。経営的にも厳しく、簡単に「続けてほしい」とは言えません。
それでも、地域とのつながりのある牧場が持続的に運営されて、おいしい牛乳の販売が少しでも続くことを祈っています。
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