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コラム

論破も炎上もタイパもしんどい…ヒント求め「哲学対話」の扉たたいた

「言いよどんでも、沈黙しても、考えが変わってもいい」

記者がヒントを求めたのは、各地で「哲学対話」を開き、参加者とともに問いを立て、考えを深めている哲学者の永井玲衣さんでした。(画像はイメージです)=Getty images
記者がヒントを求めたのは、各地で「哲学対話」を開き、参加者とともに問いを立て、考えを深めている哲学者の永井玲衣さんでした。(画像はイメージです)=Getty images

目次

なにかと「タイパ」が重視される情報過多社会。じっくり思考を深め、対話を深めていく空間をネット上につくるはどうしたらいいのか――。新たな言論サイトを立ち上げることになった記者がヒントを求めたのは、各地で「哲学対話」を開き、参加者とともに問いを立て、考えを深めている哲学者の永井玲衣さんでした。永井さんが強調したのは「きき合う」「大丈夫だと思える場」の重要性でした。

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「論破」「炎上」…感じた「対話」の必要性

この春、朝日新聞デジタルに、新たな言論サイトを立ち上げることになりました。
数え切れないほどのサイトやコンテンツがデジタル空間に乱立するなか、今、どんな「場」が必要なのか。立ち止まり、自分の足元を見つめ直してみると……。

「タイパ」という言葉が飛び交うなかで、記者自身も競うように発信し、受け手としても読みきれないほどの記事に溺れる日々。めまぐるしい情報洪水のなかで、じっくり思考を深める機会がぐっと減っていることに気付かされました。さらにSNSをはじめネット空間では「論破」「炎上」「フェイク」「ヘイト」など様々な問題が浮き彫りになっています。

そんな状況のなか、今どんな言論空間が必要なのかーー。

「哲学対話」にヒントを求めて

ヒントを探るため、話を聞いてみたいと思ったのは、哲学者の永井玲衣さん。参加者と共に問いを立て考えを深めていく「哲学対話」を10年以上、学校や自治体、寺社など各地で開いています。最近ではオンラインの配信番組でも社会的課題について話し合うなど、様々な形で「対話」を試みています。

取材の中で永井さんは「論破は競争原理の一形態」「ネット空間の言論は視覚的」とネット世界の課題を指摘し、対話をめぐって「きき合う」ことの重要性を語ってくれました。

「対話って、話すとか語るとか、言葉がポンポン行き交うものだと思われがちですが、『きき合う営み』のはず。相手の言葉の奥行きとそこにあるものを確かめていく道のり。誰かの言葉に耳を澄ますだけじゃなく、どういうことなんだろう、なぜここで言いよどんだのだろうと、確かめていく。どうしてですか、と尋ねる『聞く』もあるはずだし、共に悩むとか、時間的なものを持つ営みでもある。自分が変わったり、変えられたり。そういうもろい自己同士が共にある時間です」

記者にも問われた「どう思います?」

「どう思います?」と記者に時折問い返しながら、印象的な言葉を次々と紡いでいた永井さん。けれど実はかつては「人前で固まってしゃべれなかった」といいます。

「他者が脅威、恐ろしいものに見えていた」という永井さんが変わるきっかけとなったのが、「哲学」と「対話」でした。

「話すって何か自分で確固たるものを持っていて、それをぶつけ合わなきゃいけないと思っていました。だから、何を話そう、どのように話そうっていうことばかり気にしていました」と永井さん。「でも、主張ってそれぞれに理由があって、それをきき合うことで、また自分の理由が見つかって、自分が何を考えているのか練り上げられていく。そういう経験をすると、きくってとても積極的なことなんだ、意味を持つものなんだっていうのが分かって、面白いと思えるようになりました」

哲学者の永井玲衣さん=藤原伸雄撮影
哲学者の永井玲衣さん=藤原伸雄撮影 出典: 朝日新聞

〝正解〟や完璧さを求められるプレッシャー

さらに10年以上哲学対話を続けて気付いたのは、「大丈夫だと思える場」の重要性だといいます。

永井さんは哲学対話で「よくきく」「(結論を)人それぞれで終わらせない」「分からなくなっていい」「黙ってもいい」などといった約束事ごとをするそうです。実はそれは、私たちが普段とらわれている「大丈夫じゃなさ」の裏返しでもある、と指摘します。

「私たちは、しゃべりすぎているし、急ぎすぎているし、良いことを言わないといけない、と思っている。哲学対話ではある意味、それをひっくり返す。そういう仕方で、それぞれの現場で『対話』を試みることができるのかもしれません」

記者自身、特に最近、コロナで人と話す機会がぐっと減るなかで、ネット空間での殺伐としたやりとりに疲れ、自分の考えを発信したり誰かと話したりすることに正直、しんどさを感じていました。背景には、SNSとタイパ社会で、〝正解〟や完璧さを求められるプレッシャーが強まっていることがある気がします。

「言いよどんでも、沈黙しても、考えが変わってもいい」「水の中でもがいて一緒に溺れるような時間が対話の大事な部分を成している」という永井さんの言葉に背中を押され、「対話」というものに向き合ってみたい、と思えるようになりました。

浮かび上がった「対話」の限界と可能性

そんなこともあって、今回、記事を通して「対話」に挑戦してみました。
永井さんに記事で問いかけてもらい、寄せられた読者の反応をもとに改めて永井さんに話を聞いて、応答記事として届けるという形です。

すぐに言葉を発信できる時代だからこそ、じっくり考えを深め言語化してもらえたらという願いも込めて、あえて「おたより」という形をとりました。

【「問い」を盛り込んだ記事はこちら】
《論破でも言葉だけでもない 哲学者・永井玲衣さんが問う「対話」の形》
https://www.asahi.com/articles/ASR4F5VYGR4FULLI001.html

「対話ってそもそも何だと思いますか?」という永井さんからの問いかけに、多くの声が寄せられました。

それぞれの立場や状況のなかで、悩み迷いながら対話に向き合う読者の声をもとに、改めて永井さんに話を聞いて浮かび上がってきたのは、対話への期待の裏側にある「大丈夫じゃない社会」。そして対話の限界と可能性でした。

【応答記事】
《哲学者・永井玲衣さんのRe: 対話への期待の裏側とひねくれた希望》
https://www.asahi.com/articles/ASR5C3D0JR53ULLI001.html

「何が対話なのか、私もわからない」

「対話ってめちゃくちゃ難しい。何が対話なのか、正直私も分からないんです」と永井さんは語ります。それでも、「対話」を試みることから始めたい、との思いを何度も口にしました。「これまでできなかったからといって、これからもそうだとは限らない。だからこそ、対話を取り戻そうという方向にきっといける。ひねくれた希望はあります」

立ち止まって、考える。早急に答えを求めず、あきらめずに対話を試みることは「大丈夫だと思える社会」にもつながるはず。そんな対話の場を作っていければ、と思います。

             ◆
哲学者の永井玲衣さんのインタビューをはじめ、「立ち止まるためのメディア」をコンセプトに立ち上がった朝日新聞デジタルの言論サイト「Re:Ron(リロン)」。「ネット世界とメディア~立ち止まって考える」のインタビュー記事をはじめ、各分野の論者からの寄稿も掲載しています。

【Re:Ronサイト】https://www.asahi.com/re-ron/
 

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