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人生に〝大丈夫〟って言える「数式音Tシャツ」回り始めた三つの歯車
3歳で逝った娘、発達障害、いじめ……
「数式音Tシャツ」という、ちょっと聞き慣れない商品を扱っている通販サイトがあります。手書き数式、背面のQRコードにアクセスすると音楽が流れます。この不思議なアイテムは、3人の偶然の出会いから生まれました。3歳で逝った娘、発達障害、いじめ……。生きづらさを抱える人へ「いやいや、大丈夫」と伝える「数式音Tシャツ」ができるまでを追いました。(朝日新聞・白石和之)
人に意思を伝えるのは苦手という発達障害があるけれど、美しい数式を書くのが得意な「ひゅうが」(21)。
幼い娘を難病で亡くした経験から、障害のある人の輝きをファッションを通じて紹介する「たくま」(29)。
いじめられた中学時代を、音楽から勇気をもらって乗り越えた「グラード」(16)。
5月21日、3人が集まったのは新潟県魚沼市の小さな喫茶店でした。
たくまが段ボール箱の中から、完成したばかりのTシャツを披露。ひゅうがの数式をもとにしたデザインが前面に大きくプリントされ、背面のQRコードからは、数式から着想を得てグラードが制作した曲が聴けるウェブサイトにつながっています。
この日、たくまの運営するオンラインショップで販売が始まりました。
ひゅうがは色とりどりのTシャツを手に取り、黙ったままうれしそうに顔をくしゃくしゃにしました。
グラードは「3人の誰か一人が欠けてもできなかった」と感慨深げ。たくまは早速、次の企画に思いをはせます。
ひゅうがは、新潟・長岡市に住む馬場日向さん。小学4年のとき、広汎(こうはん)性発達障害と診断されました。
「幼い頃から人との対話を好まなくて、環境の変化が嫌いで、ちょっと風が吹いただけでも泣いていました。一方で、絵を描いたりモノをつくったりすることは大好きで、のめり込みました」
母の裕子さん(54)は、そう振り返ります。
ひゅうがが通信制の高校生だった頃。部屋に散らかっていた学校のプリントを片づけようと裕子さんが手に取ると、裏にびっしりと小さな文字で数式が書いてありました。
数式の意味はわからなかったけれど、美しいデザインに見えた、という裕子さん。写真に撮ってSNSで紹介したといいます。
その投稿を目をしたデザイナーから、「ファッションにしませんか」と連絡がありました。
洋服やカバンに採り入れられ、昨年5月、新潟・小千谷市でファッションショーが開かれるほどでした。
たくまは、同県南魚沼市在住の関拓磨さん。ひゅうがの数式をもとにしたショーを訪れていました。
母と弟に障害があり、祖父と叔父に育てられた経験から、早く家庭を持ちたいと21歳で結婚しました。
25歳のとき、念願だった長女・花音(かのん)ちゃんを授かりました。
しかし、生後2週間で先天性の難病「ゴーシェ病」と診断され、余命1年の宣告。各地を旅してまわって、たくさんの思い出とともに花音ちゃんは3歳半で旅立ちました。
ハンデがありながらも、懸命に生きている人がいることを知ってもらいたい――。
そんな思いから昨年、オンラインショップ「enn(エン)」を立ち上げ、障害のある人が描くイラストをあしらった衣類などを扱っています。
たまたまSNSでひゅうがの数式を目にしてショーに足を運ぶと、初めて顔を合わせたふたりはすぐに仲良くなりました。
最後に仲間に加わったのが、新潟市の高校2年生グラードです。
市内で開かれたひゅうがの展示販売会に、ひゅうがの母・裕子さんの短大時代の同級生だったグラードの母親に連れられて訪れました。
中学生の頃、いじめを受けて心が傷ついたというグラード。
学校に行くのはつらい。でも、家に閉じこもり、孤独になるのはもっとつらかった――。
奮い立たせてくれたのが、ロックバンド「クイーン」。内面に葛藤を抱えるボーカルが主人公の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見て、勇気と希望をもらえた気がしました。
それからパソコンを使って作曲するようになり、「グラード」と名乗ってSNS上で曲を発表しています。
展示会でひゅうがの数式を見て、刺激を受けたと振り返ります。
数式それ自体の美しさもさることながら、得意なことで自分を表現しているのが「かっこいい」。「この感情を曲にしたい」と感じました。
いじめられていた時は、怖くて自分の意見を言えずじまいでした。だから、いま伝えないと機会を失う――。
そんな気がして、思い切ってひゅうがに話しかけたといいます。
「作曲しているんですけど、数式に音楽をつけてみてもいいですか」
その日のうちに2曲を制作しました。
三つの歯車がかみ合い、回り始めた瞬間でした。
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