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365日〝クジラ〟を描き続けるアーティスト 「目が合った」あの日
30年前、クジラから「オレを描け」とメッセージを受け取った気がしました
365日クジラやイルカなど鯨類の絵を描き続け、SNSに投稿している男性がいます。和歌山県に住む〝ホエールアーティスト〟あらたひとむさん(49)。30年前、ホエールウォッチングで初めてクジラに出会ったとき、「オレを描け」というメッセージを受け取った――。そう振り返るあらたさんに、クジラを描く魅力を聞きました。
あらたさんがクジラに魅せられたきっかけは、高校2年生の頃。美術の課題で必要な資料を探しに書店へ行った際、たまたま手に取った雑誌にクジラの特集がありました。
ザトウクジラの胸びれやしっぽ、口など体の一部を写した躍動感ある写真。それまでイラストのイメージしかなかったクジラが、実在の生き物として鮮烈に飛び込んできたそうです。
「こんな生き物が地球上にいるのかと、シンプルに感動しました」
もともと絵を描くことが好きだったため、雑誌を買い、写真を見て繰り返しクジラを描きました。
当時、メディアでクジラを見る機会は少なく、図書館で図鑑を見たり、水族館でクジラのフィギアを買ったりして知識を蓄えていたといいます。
同じ頃、「あらたひとむ」という〝鯨名(ゲイメイ)〟も決めました。
「クジラを描き始めたことを機にアーティスト名を考えようと思って、ノートに何げなく『新しくできた一つの夢』と描いたんです。その漢字の部分から『あらたひとむ(新一夢)』と取りました」
ホエールウォッチングに出かけたのは、それから2年後。高校を卒業し、デザイナーとして働いていた時のことです。たまたま新聞で高知県のホエールウォッチングの情報を見つけ、「この目でクジラを見たい」とすぐに申し込みました。
ホエールウォッチングの日。小さな漁船に乗って沖へ行くと、複数のクジラを見ることができました。そのうちの1頭が漁船の下を通過した時、あらたさんは「クジラと目が合った気がした」と話します。
「誰に話しても笑われるんですが、その時クジラから『俺を描け』とメッセージをもらった気がしたんです」
ずっとクジラの絵は描いてきましたが、クジラからの〝メッセージ〟を受けて「多くの人にクジラのことを伝えよう」という気持ちが強くなりました。「勝手な使命感です」とあらたさんはほほえみます。
「ほとんどの人はクジラを詳しく知りません。地球上にこんな大きな生き物がいるのに、知らずに過ごすのはもったいないと思うんです」
はじめはリアルな絵を描いていた、あらたさん。興味を持ってもらうためにはシンプルなほうがいいと感じ、生物学的特徴は崩さないままキャラクター化して描くことにしました。
家族や同僚に見せて感想をもらったほか、大学や研究所の専門家にイラストを送り、特徴が間違っていないか聞くこともあったそうです。
「当時の僕は、ほとんどリアルでクジラを見たことがなかったので、研究者の方に教えてもらうのが一番だと考えていました。面識がないにもかかわらず、赤ペンで添削して返してくれた先生もいます。今でもお世話になっていて、最新情報を教えてもらっています」
専門家の意見も取り入れつつブラッシュアップを続けた結果、イラストが好評を得ていくようになりました。
2021年からは、毎日1枚クジラやイルカなど鯨類のイラストをSNSに投稿しています。
当初のテーマは、「365日で学ぶクジラ・トリビア」。
「今日は何の日?」とかけて、例えば、1月26日「腸内フローラの日」には「ヒゲクジラには胃が4つある」という豆知識を、2月1日「ニオイの日」には「クジラもオナラをします」という雑学を添えてイラストを発信しました。
「一般の人に興味を持ってもらうためには、身近なものとリンクさせたほうが理解しやすいのではないかと思いました」
毎日無理なく続けられるように、作画は1時間以内。色は単色です。クジラに詳しくない人が見ても何クジラか分かるように、必ず種類を描くようにしました。
SNSに発表した作品を本にまとめると、読者の子どもやその親からも反響がありました。
「『クジラを知らなかった息子が本をきっかけに関心を持った』と言っていただけた時はとてもうれしかったです」
あらたさんは、ホエールアーティストとしてグッズをデザインしたり、国立科学博物館(東京都)で2010年に開かれた「大哺乳類展-海のなかまたち」のキャラクターデザインを担当したり、専門家との縁などから活動の幅を広げてきました。海外の人からも「グッズを買いたい」と問い合わせがあるといいます。
しかし、本職はデザイナー。クジラを描くことはあくまでも〝ライフワーク〟です。
「僕の人生、生業(なりわい)とライフワークは完全に分けています。どちらも本気で取り組んでいますが、生業は生きていくための仕事です。クジラで生計を立ててしまうと、例えばクジラカレーのパッケージなどクジラを食べる・あやめるほうのイラストも描かなければならないかもしれません」
「ニュートラルな立場でいるため、ポリシーに反する仕事には『NO』と言える環境を作っています」
クジラの〝伝道師〟として活動を続ける、あらたさん。活動の向かう先を聞くと、こう即答されました。
「クジラに『俺を描け』と言われた日から、一生クジラを描いていこうと決めたんです。やめ時はないでしょうね。それくらいインパクトがあった出来事でした」
「アーティストとして、引き続き世界中の人にクジラを知ってもらうきっかけを作っていきたい。いろんな人にとって、クジラが〝気になる存在〟になってくれれば」と願っています。
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