連載
#25 名前のない鍋、きょうの鍋
湯気と香りをパートナーに楽しませ…地元の味噌味の〝名前のない鍋〟
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、「地元の味」を鍋で味わう、新入社員の青年のもとを訪ねました。
夏目楓太(なつめ・ふうた)さん:2001年生まれ、愛知県蒲郡市で育つ。大学進学により上京、2023年に卒業してスーパーマーケットチェーンを展開する企業に就職。現在、東京都荒川区で暮らす。
大学を今年卒業したばかり、夏目楓太さん宅を訪ねたのは5月半ばのことだった。
「休みの日はほぼ一緒なんです」という彼女さんとふたりで迎えてくれる。築浅の感じの1Kの部屋は造りがしっかりとして、暮らしやすそうだ。場所は東京都の荒川区、上野や日暮里も近いエリアである。
「このへんの雰囲気が好きなんです。休みの日は谷中の商店街まで散歩したり、昭和な感じの喫茶店や銭湯を巡ったりすることも多くて。僕たちがはじめてデートしたのは上野の公園で、今でもよく行くんですよ」
おお、渋いなあ。私もそういうまち歩きが好きなので嬉しくなる。このあたり、おいしいお店もわりにあっていいですよね。
「そうなんです、近くに好きなお店があるんですよ。洋食店なんですけど、味噌カツ定食があるのが嬉しくて。聞いてみたら、お店の方が愛知の方でした」
そう、夏目さんは愛知県育ちである。父親は転勤族で、生まれこそ石川県だがすぐ愛知に引っ越し、高校までを蒲郡(がまごおり)市で過ごした。
大学で東京に出て「おでんが味噌味じゃないのにびっくりしました」と。あるあるである。
「鍋っていうと僕にとっては基本的に、たまに適当に作るもの。だけど地元の味が食べたくなるときにもよく作るんです。味噌煮込みうどん的な鍋、食べたことありますか?」
愛知県や岐阜県の一部で愛される味噌といえば、豆味噌である。岡崎で生産される八丁味噌は有名だ。
黒みがかった深い色と渋めの味わいが特徴で、煮込んでいくと風味が広がり、甘めの味つけとも相性がいい。
味噌というと「煮込むと風味が飛ぶ」が定説だけれど、豆味噌はしっかり煮込む料理にうってつけの味噌なのである。
夏目さんの味噌煮込み鍋は具だくさんだった。
鶏もも肉、豆腐、油揚げ、白菜、椎茸、舞茸、しらたき、かまぼこ、長ねぎ、シメにうどんを入れる。
鍋に水を張って醤油、みりん、酒、「ほんだし」で味つけ、刻んだ具材を入れてから豆味噌を溶き、じっくり煮込めばできあがり。
お、鶏もも肉の細かい脂身をていねいに包丁で取り除かれる。入れたっていいのだが、こうすることで食感もよくなり、すっきりした味わいにもなる。料理に慣れている人、という印象を受けた。
「小さい頃から料理はよくやってたんです。親が共働きで、帰りが遅い日は兄と交替で作ることもあって。大学からのひとり暮らしでも自炊は多かったですね」
カレーはにんにくをきかせる、野菜炒めなら醤油味が基本、それぞれの野菜の切り方や調味料の分量など、母親のやり方を見て覚え、夏目家流の味つけを結構しっかりと教わったようである。
「洗いものを増やさないようにと考えながら作るんだよ、って。ボウルを2個使うと怒られたり(笑)」
細かいことの積み重ねが今、彼の生活力となっているのを感じた。
「彼、仕事から帰ってきてもパッと何かしら作れるんですよ」と恋人の美法(みのり)さん。味つけにパンチがあってどれもおいしい、と評価は上々だ。
夏目さんは新卒で就職したばかりである。スーパーマーケットを経営する企業に入社され、現在は研修中とのこと。
「朝の9時ぐらいに家を出て、遅くても20時ぐらいに帰宅してます。もうすぐ配属が決まるんですけど、家から近い店舗だったら嬉しいですね」
企業全体で新入社員を大切に扱い、育てようという気持ちが感じられると嬉しそうに教えてくれた。
現在は売り手市場なんて話も聞かれるが、夏目さんの就職活動はどうだったろうか。
「いや……僕はそうでもなかったです。書類で落ちることも多かったし、1次で落とされることも15社ぐらいありました」
ここまでずっと明朗快活そのもの、という雰囲気だった夏目さんの顔が曇った。
私が就活なんてことをしたのはもう25年前だが、「不採用」の知らせを受け取ったときの気持ちの萎えと悲しい疼きはいまだに心の中にある。つらいことを思い出させて、申し訳ありません。
「周囲には、売り手市場な同級生もいたんですよ。学生時代に何をやってきたか、何に取り組んだかとか、そういう『語れること』がある人はやっぱり強い。僕にはないんです。それに加えて発表すること、プレゼンがとにかく苦手なんですよ」
大学時代に夢中になったのは、音楽とスケボー、そして古着を中心としたファッションだった。
「卒業したら帰るつもりだったけど、レコードにしても古着やスケボーにしても東京はショップの数や規模が違う。こっちの暮らしが楽しくなってしまって」
約7.9畳の部屋の片隅にはプレーヤーが宝物のように置かれていた。特に心惹かれるのはソウルミュージックだという。
「レコードに関わる仕事がしたくて、どうしても入りたい会社がありました。最終面接まで残れたんですけど、落ちてしまって」
その後に、大学時代ずっとバイトしていたスーパーマーケットの本社に就活して内定を得る。
スーパーは私もほぼ毎日利用しているが、本当にいろんなお客さんがいる。言葉を濁さず書けば、非常識な人やクレーマーもいるだろう。
どうでしたかと問えば即座に返ってきたのは「大人になれたと思います」という言葉だった。
「そういう人たちを許容する……って言ったらなんですけど、そういうことが大事というか。マウント取られることはやっぱりあるんです。でもそこで自分がいかに下になるか。お客さんに対してだったら同調することが大事だと思っています」
同意するのは難しいこともあるだろうが、まずは同調する。相手にシンクロして、うなずく。あなたに耳を傾けているとしっかり感じてもらう。
サービス業に限らず相互関係を築く上で大切なことである。彼の気づきは入社面接でも説得力をもって響いたに違いない。
夏目さん流の味噌煮込み鍋を味見させてもらった。
「きのこが欠かせないんです、うちのは。きのこがないと話にならない」
椎茸と舞茸からうま味と香りがしっかりと出て、かまぼこと鶏からいい出汁が出ている。甘味のつけ方がほどよく上手で、食べ飽きないやさしい味だった。
「さすが、料理長!」と美法さんが目を細める。ふたりが熱々の鍋をふうふうしつついただく様はなんとも幸せそうだった。
お腹がいっぱいになったら、好きな音楽をかける。
レコードの温かみのある音に包まれている間は「つかの間、現実世界から消えられる気がするんです」と夏目さんは言った。消えてしまいたいというネガティブな意味ではなく、私には「それが僕の充電タイムなんです」という意に伝わった。
夏目楓太さんは食で自分を整えられ、また気持ちを癒す自分なりの方法を見つけている人だった。楓太という名前は楓(かえで)の木のように太く、大きく育ってほしいという願いを親御さんが込めたものだという。
食材を的確に刻み、鍋に盛って、じっくりと煮て熱々になったところで食卓に移し、フタを開けてもうもうとした湯気と香りを美法さんに楽しませる。
話すばかりがプレゼンじゃない、夏目さんはじゅうぶんプレゼン上手だ。彼の良さはきっと今後の社会生活でも活きるはず。ゆっくりと大樹に育ってほしい……なんて偉そうに思いつつ、お宅を後にした。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮らしと食」をテーマに、忙しい現代人のための手軽な食生活のととのえ方、より気楽な調理アプローチに関する記事を制作する。主な著書に『自炊力』(光文社新書)『台所をひらく』(大和書房)など。
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