連載
#13 #コミュ力社会がしんどい
本音って迷惑?発達障害の私が哲学カフェで得た〝同調しない〟快さ
他人との「ズレ」怖がらなくてもいい
誰かとコミュニケーションを取るとき、つい相手の顔色をうかがってしまう……。そんな体験をした人は多いかもしれません。発達障害の影響も相まって、会話に苦手意識を持ってきた漫画家・ゆめのさん(ツイッター・@yumenonohibi)も、その一人です。しかし最近、とある集いに参加したことで、考えが少し変わったといいます。生きづらさを緩めてくれた出来事について、描いてもらいました。
ゆめのさんは幼い頃から、人と話す上で困難を感じてきました。過度に緊張したり、思うように言葉を紡げなかったり。そして大人になり、自閉症スペクトラム障害(ASD)など、発達障害の診断を受けました。
周囲の目を気にしすぎて、息苦しくなってしまう状況を改善したい。そんな気持ちから、試してみようと考えたことがあります。「哲学カフェ」というイベントへの参加です。
哲学カフェとは、何らかのテーマを設定し、参加者同士で自由に議論する場。哲学といっても、専門知識が必要なわけではありません。誰でも意見を表明してよく、一定の答えを出す必要もない、フランクに対話できる機会なのです。
「もしかしたら、コミュニケーションの練習になるかもしれない」。そう考えたゆめのさんは、「何を話しても、話さなくても構わない」「他人の話を否定しない」といったルールを掲げる集いに、足を運んでみることにしました。
開催当日。会場に、老若男女の姿がありました。会社員風のスーツ姿の人、ラフな私服に身を包んだ人と、十人十色の見た目です。
「なぜ人は本音と建前を分けるのでしょう?」。会が始まると、出席者の一人がそんな問いを投げかけました。「本音を言うと人に迷惑をかけるから……でしょうか」。ゆめのさんは、考えを口にします。
他の人々の見解は様々でした。「弱みを相手に見せて、不利益になるから」と、本音を明らかにしない理由について語る人物も。そして「そもそも本音とは何か」という、根源的な疑問が出てきたタイミングで、議論は一気に深まっていきます。
自分では本音と思っていても、本当にそうか怪しいものだ。本音なんてゆらゆら形を変え、つかみどころがない――。多様な価値観に触れる中で、ゆめのさんはいつしか心地良さを覚えていました。
というのも、大勢の前で話すべき場では、決まって不安感にさいなまれてきたから。「周囲とズレたことを言わないようにしなきゃ」。そんな思いが先立っていたのです。しかし哲学カフェでは、素直に誰かの意見に耳を傾けられたのでした。
会からの帰り道、ゆめのさんの心は喜びに満たされていました。色々な立場の人たちと言葉を交わすことで、お互いの思考の間にある距離を、肯定的に受け止められたからです。
1人で考えていては、決して出てこない。本を読むこととも質が異なる。語らいを通じて「違いを発見する」コミュニケーションならではの楽しさが、満足感の背景にありました。
そして、こんな考えも頭に浮かんだのです。「違う意見を持つ人たちが同調する必要なく、違うままで許されるコミュニケーションって、しんどくない」
哲学カフェのようなイベントを自分でも開いてみたい。しんどさじゃなく、楽しさが感じられるコミュニケーションを、ちょっとずつ重ねていこう――。ゆめのさんの心の中で、明るい未来が自然と描かれます。
「楽しみだ、うん!」
過去にひきこもり状態となったことから、同じ経験者が集まる当事者会など、自らと共通項がある人々と出会える場に赴いてきたゆめのさん。哲学カフェでの体験は、新鮮なものと感じられたそうです。
趣味のグループや病院のデイケアなど、コミュニケーションが苦手な人々が身を置き、一歩踏み出す機会となりうる場は、社会の中にあふれている。だからこそ、自分に合う場所を選んで構わないのだと、ゆめのさんは話しました。
「実際に行ってみて、合わないなと感じることもあるでしょう。そうなってもあまり気にせず、他の場を探してみると良いと思います」
「互いの人生に深入りする必要がない空間で、人付き合いの練習をしつつ、窮屈な人間関係の中で忘れていた『人と話すって楽しい!』という気持ちを取り戻す。そうすることがコミュニケーションの悩み、苦しみを和らげる力になりそうです」
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