連載
#12 コミケ狂詩曲
「脳が拒否した」12年前の現実…同人絵師を救ったコミケへの熱量
「行くまで死ねん」極限状態支えた創作の縁
日本最大の同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ)。このイベントに、冊子を編む立場で参加してきた、一人の男性がいます。大好きなアニメやゲームを楽しむだけでなく、自らの手で二次創作漫画などを描き、仲間たちと共有する。そんな風に過ごすことで、表現する喜びを実感できる時間が、いつまでも続くと思っていました。今も忘れられない、「あの日」を迎えるまでは……。表現することと、生きること。その関わりの強さを痛感したという体験について、振り返ります。(withnews編集部・神戸郁人)
「キャラクターを描くことは、ただ単にゲームや漫画を消費する行為と全く違う。自分の『好き』を、より深く掘り下げたいという気持ちが、どうしても湧いてきてしまうんです」
そう語る男性の頰(ほお)は、わずかに紅潮していました。会社勤めをしながら同人作家としても活動する、仙台市在住のぜっつさん(38・ペンネーム)。黒縁めがねからのぞく、優しげで誠実さを感じさせるまなざしが印象的な人物です。
人気ネットゲーム『東方プロジェクト』や『艦隊これくしょん』を題材に、二次創作イラスト・漫画を15年以上手がけてきました。淡い色彩と柔らかい描線で構成される、丸っこい瞳を持つ女性の姿は、見る者に鮮烈なイメージを残します。
原作コンテンツの設定や筋書きを踏まえつつ、自分なりの解釈を織り込み、同人誌として編み直すーー。その時々に流行したネットスラングや、有名漫画のパロディー表現を添えるなどして、趣向を凝らした作品を生み出してきました。
時に気心が知れた創作仲間と合同誌も作り、地元・仙台で行われる即売会に足場を置いてきたという、ぜっつさん。どのようなきっかけで、ペンを持つに至ったのでしょうか。
2007年、ぜっつさんは「東方プロジェクト」に心奪われていました。魔女や巫女、妖怪などに着想を得た属性の少女らが、「幻想郷」という異世界の事件を解決するストーリー。音楽を含め、独特の雰囲気が根強い支持を集めています。
毎日のようにやり込み、推しキャラの活躍ぶりを見守る中で、ある思いが胸にわき起こってきました。「好きな漫画の絵柄で彼女たちを表現してみたら、どんな見た目になるんだろうか」
とはいえ、当時のぜっつさんには、絵を制作した経験などありません。試しに、学生時代にはまっていた四コマギャグ作品『あずまんが大王』を意識して、ノートに描き出してみることにしました。
キャラの目は原作ゲームよりも大きく、まん丸に。髪形もシンプルにして、よりカラーリングが映えるデザインに……。慣れないながらも、キャラの身体を組み上げている要素一つひとつに、自らの理想を詰め込んでいきます。
完成した1枚を目にすると、言いしれぬ高揚感に襲われました。「もっと愛らしさを追求してみたい」。イラスト投稿・交流サイトpixiv(ピクシブ)に入り浸り、目指す画風の作品を見つけては、模写する日々が始まりました。
「最初は仕上がった絵に自信が持てず、他人に見せられなかったんです。すさまじい画力の持ち主が沢山いるピクシブに上げるのも気が引けた。それでも評価が欲しくて、匿名掲示板2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)で公開しました」
練習用の作品を描き上げるたび、「お絵かき板」のスレッドで投稿。しばらくは凪の時期が続きました。3、4カ月ほど経ったときのことです。「可愛いキャラだ」。常連と思わしきユーザーから、ちらほらとコメントが書き込まれました。
オリジナリティーが欲しい。湧き上がる向上心が、ぜっつさんを突き動かしました。複数の絵師のイラストを見比べ、目や髪などの部位ごとにタッチを学ぶ。解説書を読み人体の構造を把握する。そんな鍛錬が、いつしか日課となったのです。
2009年、ぜっつさんは満を持して、ピクシブのアカウントを開設します。怖々と二次創作の4コマ漫画を披露すると、「柔らかい表情が最高」などの感想がつくように。同じ原作品を愛する人々を中心として、フォロワーも増えていきました。
加えて、孤独に打ち込んできた創作のあり方が、大きく変わる出会いも果たします。同年10月、仙台市で開かれていた即売会を、人生で初めて訪ねたときのことです。
「ピクシブ上で見たことがあるイラストの作者さんが、サークル席に座っていました。元々フォローし合っていた訳ではないのですが、頒布物の内容に惚れ込んで購入し、互いに言葉を交わしたことで、意気投合したんです」
折に触れて連絡を取り合うようになり、しばらく経った頃、先方からこんな誘いが届きました。「一緒にコミケに出てみませんか」。主宰サークルの同人漫画誌とカレンダー向けに、挿絵を提供してほしいというのです。
二つ返事で請け負い、作品を描き上げたぜっつさん。同年12月、誘ってくれた友人のサークル関係者としてコミケに赴くため、会場の東京ビッグサイトに足を踏み入れます。そこには、予想をはるかに超える光景が広がっていました。
人いきれの中で行き交う、無数の参加者。会場内にずらりと並び、極彩色の鮮やかな表紙を輝かせる冊子の数々……。地元の即売会とは桁違いの、圧倒的な規模感でした。そして友人を介して、同人誌の作り手たちとも交わります。
「不思議な空間でした。参加者は皆、住む場所や経歴が違う。どんな仕事をしているのかも分からない。でも、その場にいるという共通点だけでつながれる。表現する楽しさが濃縮還元されていて、サークル主として再訪したいと思いました」
この目標は、ぜっつさんを奮起させました。新たに描画用ソフトを買い、短編漫画にも挑むなど作品の幅を広げたのです。様々な即売会に顔を出す中で、一緒に合同誌を編んだり旅行に行ったりする、気の置けない仲間も増えていきました。
同人誌が媒介する縁に導かれ、創作街道をひた走る。仕事では味わえない充実感に浸りながら、人生を謳歌(おうか)する日々は、いつまでも続くかに思われました。
ところが、サークル主として「東方プロジェクト」専門の同人誌即売会参加を翌日に控えていた、2011年3月11日。ぜっつさんの生き方を、根底から揺るがす出来事が起こりました。東日本大震災です。
ぜっつさんは当時勤務していた、仙台市内の食肉加工会社の倉庫近くにいました。大地が割れるような強い揺れに、現場はパニック状態に陥ります。上司の指示で、徒歩5分ほどの位置にある、取引先企業の食肉保管棟へと避難しました。
防災無線から流れる大津波警報を聞きつつ、液状化した道路を迂回(うかい)しながら、同僚たちと15分ほどかけて建物の10階屋上に走りました。地震発生から約1時間後、黒々とした津波が襲来し、街を飲み込んでゆくさまを目撃します。
失意の中で2日間過ごした後、ぜっつさんは歩いて実家に戻ろうと決意しました。路上は水浸しとなり、がれきや汚泥だらけです。下道は危険と考え、巡回中の高速道路職員にかけ合い、車で最寄りのインターチェンジまで送ってもらいました。
高架上からは、泥に覆われた田んぼが目に入ります。津波がなぎ倒した建造物もあり、普段なら見えない地平線まで確認できたのです。「これが故郷なのか」。目の前の風景を現実として受け入れることを、脳が自然と拒否していました。
職場から10キロほど離れた実家に戻ると、建物、家族とも、幸い無事でした。しかし母は「あなたと連絡がつかず、死亡届を出さなきゃいけないかも、と不安だった」。その言葉に、ぜっつさんは事態の深刻さを痛感しました。
震災が原因で生じた停電は、1週間ほど続きました。更に翌週にガスが復旧するまで、全身を洗うため、電気ケトルで沸かしたお湯を使ってしのいだといいます。家族で分担して複数のスーパーを回り、食糧確保にも奔走しました。
一方、約4年通った勤務先の事務所は、津波に流されてしまっていました。結果的に失業し、「生きているだけで上等だ」と自分を励ます日々。ただ再就職のめどが立たず、貯金を切り崩す生活は、徐々にぜっつさんの心を蝕んでいきます。
そんな中、救いとなったのが同人活動でした。パソコンを立ち上げて、新刊の内容を考え、好きなキャラクターを描く。そうしていると、憂いをしばし忘れられたのです。親交がある創作仲間からの励ましのメールにも支えられました。
「『落ち着いたらイベントに帰ってきて』『ずっと待っているよ』といったメッセージが、とにかくたくさん届いたんです。SNS上でしかつながっていない人からのものも多く、全くの予想外だった。本当に温かくて、胸を強く打たれました」
約2カ月後、震災後に延期開催された「東方プロジェクト」の即売会会場に、ぜっつさんの姿がありました。被災から間を置かず参加するのはぜいたくかもしれない。それでも表現を続け、元気な顔を仲間に見せたい。そんな思いゆえの判断です。
並行してハローワークにも通い続け、同年9月、化粧品の生産管理の仕事に就くことができました。遅れた時間を取り戻すかのように、夜遅くまで働く毎日。日常を回復させようと必死になる中で、次第に同人活動から足が遠のいていきました。
労働に追われていた2015年のある日、ぜっつさんは友人とカニ鍋をつついていました。相手は、かつてコミケに誘ってくれた同人作家です。久々にご飯でも食べませんか、と声をかけられたのでした。
忙しさのあまり、なかなか絵が描けていない。そう伝えると、友人はゲーム「艦隊これくしょん」を紹介してくれました。自分でもプレイしてみると、戦艦モチーフの多彩なキャラに魅了されます。創作意欲がむくむくと頭をもたげてきました。
同時に思い出されたのが、コミケへの憧れです。「創作者の立場でビッグサイトの地に立ちたい。それまで死ねないな」。身辺の状況が少しずつ落ち着き、心に余裕も生まれ始めていたことから、再びペンを握ってみようと思えたのでした。
そして同年夏のコミケで、ついに念願だったサークル参加を果たします。「艦隊これくしょん」の同人漫画誌を引っさげて行くと、多くの作品ファンらが訪れ、次々と手に取っていきました。
「同人誌を作ること自体、久々でした。納得いくものができる自信がなくて、実は参加申し込みをやめようと思っていたんです。でもお尻に火を付ける目的で思い切って飛び込んだ。苦心して編んだ本が会場に並んでいるのを見て感無量でしたね」
会場で味わったのは達成感だけではありません。何分も悩んだ末に、本を購入してくれる人。応援の言葉をかけてくれる人。貴重なお金と時間を使い、自分の創作物に関心を示してもらえるありがたさを実感したのでした。
ぜっつさんはその後、コミケに足を運び続けています。今年の夏に行われる最新回でも、サークル主として新刊を披露する予定です。これまでの歩みを振り返るとき、同人活動が自らの生き方と不可分であることが実感されると語ります。
「同人活動は、かつての僕にとって当たり前の営みでした。即売会に出るためにお金を稼ぎ、頑張って本を作り、会場で頒布する。一連のライフサイクルが確立されていたんです。でも震災によって、完全に絶たれてしまいました」
「新たな仕事が得られた後、忙しく、かつ楽しく過ごしながらも、どこかモヤモヤしていました。ずっと同人界隈に戻りたいと考えていたからでしょう。心のよりどころとなる営みの意義を思い出させてくれた友人には、今も感謝しています」
震災を経て、創作仲間の存在の大きさについても、より深く思いをはせるようになったといいます。
誰かの助けがあって、人生は巡っていく。一人で生きていくことは決してできない。追い込まれたとき、支えとなる言葉を授かったことで、そう考えたのです。
絵を制作するうちに、新たな目標もできました。
付き合いが長い描き手仲間の中には、就職や結婚、出産などを機に筆を置いた人も少なくありません。彼ら・彼女らが同人活動の再開を願ったとき、いつでも帰ってこられるよう、ものを作る場を守りたいと思っているといいます。
「そのためにも、5年、10年と表現し続けたいです。同人活動は究極の自己満足。でも僕自身、何度も助けられてきました。必要とする人がいる限り、描くことで恩返しをしていければと思っています」
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