話題
あの日、コロナ禍の上海で開けなかった卒業式…3年ぶりに集った生徒
3年ぶりに卒業式が開かれ、日本人学校の〝卒業生〟たちが再会しました
話題
3年ぶりに卒業式が開かれ、日本人学校の〝卒業生〟たちが再会しました
2023年3月下旬、東京都内で開かれた卒業式。会場には、受付時間の何分も前から制服や私服、スーツ姿の生徒や、保護者が集まっていました。中には、スーツケースを手にした人も。
この日開かれたのは、本来なら3年前の3月、中国・上海にある日本人学校で開催されたはずの卒業式です。異国の地でコロナ禍に見舞われ、友達との別れを惜しむ間もなかった生徒たちが、3年ぶりに日本で集まりました。
「覚えてる?」「懐かしー!」「久しぶりやん」
抱き合ったり写真を撮ったり、あちこちで響く、再会を喜ぶ声。男性教師とがっちり握手を交わす生徒の姿もありました。
この日、東京都豊島区で開かれたのは、「令和元年度 上海日本人学校浦東(プードン)校中学部 卒業式」。6クラス143人の卒業生が対象で、そのうち半数を超える生徒が出席しました。
みんな、2020年3月に自らの手で卒業証書も通知表も受け取ることなく、学校を後にせざるを得なかった生徒たちです。
当時、上海日本人学校浦東校の校長だった雨海(あまがい)尚雄さん(61)は、式辞でこう振り返りました。
「3年前の2月、上海市教育局から突然、上海市のすべての学校を休校するという通達がありました。みなさんにとって、友と会えない日々を過ごすということは、とってもつらいことだったでしょう」
「みなさんは、保護者の仕事の関係で上海という異国の地に集い、日本と異なる文化、不慣れな生活環境の中で学校生活を過ごしてきました。そんな上海の生活の中で巡り合った友は、かけがえのない存在だったはずです。その友と言葉さえ交わせず別れなければならないのは、それはそれはやるせない気持ちだったと思います」
校長として卒業証書を手渡せなかった喪失感をにじませつつ、生徒たちから「コロナが収束したら必ず日本で卒業式を行ってください」とメールが届いたことも明かしました。
「何とか約束を守ることができ、安堵(あんど)しております」と話し、「上海日本人学校で出会った人々への感謝と、受けた教えを決して忘れないでください」とエールを送りました。
卒業式は、2020年3月4日に在校生を含む約500人が出席し、上海日本人学校で開かれる予定でした。
しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で生徒は構内に入ることを禁止され、当時の中学3年生は卒業式はおろか、学校に残された荷物を取りに行くこともできないまま日本に帰国した人もいたといいます。
多くの生徒は日本の高校に進みましたが、進学先も住む地域も、国内外バラバラです。高校受験のために1月から日本に戻っていた生徒もいて、卒業式は友達と最後に会える貴重な場のはずでした。
3年ぶりに開催されたきっかけは、当時中学3年生の学年主任だった篠原文章さん(50)の声掛けです。
卒業後、生徒や保護者から「いつか卒業式をしたい」という声が寄せられ、当時同じく中学3年のクラスに在籍していた自身の娘や妻からも要望がありました。
卒業して最初の夏休みには卒業式を開けるのでは……と「気楽」に構えていましたが、新型コロナの猛威は劣らず、「ずっと悶々(もんもん)と考えていた」といいます。
あっという間に2年以上が経ち、15歳だった生徒は18歳に。高校も卒業する時期が近づきました。
「生徒たちは高校を卒業して次のステップに進むと、新しい世界で生きていくようになる。海外の大学に行く子もいるだろうし、新しい生活が始まると参加したくても参加できない生徒が増えるだろう」
そう考えた篠原さんは、2022年10月、当時の教師たちに卒業式の開催を相談しました。具体的な計画が固まると、娘を通じてクラスの代表に連絡し、生徒たちに周知してもらったそうです。
今回開かれた3年ぶりの卒業式では、当時から卒業生代表としてスピーチする予定だった王丹笛(おうたんてき)さん(18)と根本幸栄さん(18)が、生徒や保護者らの前に立ち、中学3年間の思い出や高校3年間での経験や成長を述べました。
式の後半では、中学時代の学習発表会で歌った、森山直太朗さんの「虹」を合唱。3年のブランクを感じさせない息の合った歌声に、教師や保護者たちは大きな拍手を送りました。
卒業生のほか、1、2年生や3年生の途中で日本に帰国した生徒も10人ほど集まり、保護者席から参加しました。現地には来られなかった生徒のために、式の様子はオンライン中継もしたそうです。
合唱した「虹」は、ピアノ伴奏も指揮者も生徒が務めました。指揮をした金田旺雅さん(18)は、「『虹』という曲は、同じ世界、広い空の下ずっとつながっているよというニュアンスの歌詞で、再会できたことと曲とがとても合っているんです」と話しました。
卒業生代表として話した王さんは、「3年ぶりですが、友達と会ったとたんに『やっほー』と抱きしめ合い、中学があたたかい場所だったなと再認識しました。みんな見た目は変わったけど性格はそのままで、日本人学校で過ごした日々が戻ってきたような体験ができました」。
もう1人の卒業生代表の根本さんは、現在も上海の高校に通っていて、2日前に来日しました。「卒業式をやらないと中学校生活が終わった感じがしません。正直今までずっと引きずっていたので、やっと一件落着です。きょう正式に中学校生活に幕が下りました」
卒業式がなかったことが、心にひっかかっていた保護者もいました。
娘が中3まで3年間通った高岡智子さん(50)は、「卒業式は友達と最後に会える場。SNSでつながっているとはいえ、違いますよね」とほほえみます。「娘たちは高校に行って新しい友達も作っているので思い入れの大小はあると思うんですけど、私にとっては終わっていなくて、一つの区切りになってよかったなと思います」
卒業式には3年生の担任だけでなく、1、2年次の担任や教科の先生、保健室の先生も駆けつけました。宮崎や愛媛、滋賀、茨城などからこの日のために上京した先生もいたそうです。
式の終わりには、職員一人ひとりが生徒へメッセージを伝えました。
「みなさんの卒業式ができなくなったと聞いたとき、1年生の先生たちも『いつか卒業式をしてあげたい』とずっと話していました。大きくなった姿を見られて本当によかったです」(1年次の担任)
「出会わせてくれてありがとう」(2年次の担任)
「いつかまた、地球のどこかで会いましょう」(3年次の担任)
「春節前の帰りの会で『さようなら』と別れてから、再会するまで長い時間がかかってしまいました。またみんなの顔を見られてうれしかったです」(3年次の担任)
卒業式自体は約1時間。その前後の時間を合わせても会場にいたのは2時間半ほどで、決して長い再会ではありませんでした。
しかし、生徒・保護者・教師にとって、この卒業式が一つの節目となったことに違いはありません。
企画の中心となった篠原さんは、中学校の卒業式について、「義務教育を終え、自由で責任ある世界へ巣立っていく教え子の、成長した姿を見ることができる日」、「生徒が自分たちの力で鍛えられていく日」と考えています。
「子どもたちは純粋に、『また友達と会いたい』という気持ちだったと思いますが、そういう場をつくれてよかったです」
当日、渡された式次第の裏には、こう記されていました。
「みなさんの人生はまだ、扉が開いたばかりです」
「今日を一つの区切りにそれぞれの世界へ前進していってください」
1/13枚