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芸大生が作った〝汚文字〟の卒業式 「読めない」けど胸を張れる理由
インスタレーションや映像、7450文字のフォントを制作
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インスタレーションや映像、7450文字のフォントを制作
卒業式のシーズンです。学舎からの旅立ちを祝ったり、新生活に期待したり、別れに寂しくなったりする季節です。記者は東京芸術大の卒業作品展で、ある「卒業式」を目撃しました。
それは、「汚文字」からの卒業式。
お世辞にもきれいとは言えない文字が書かれた看板の先には、書き手が悩んで、愛して、向き合ってきた文字への思いがつまっていました。
東京芸大の卒業作品展が開かれていた1月、話を聞かせてくれたのはデザイン科4年の石綿ひよ莉さん。今回の汚文字たちをその手で作り上げたご本人です。作品は卒業式に見立てた部屋の中で上映されたインスタレーションと映像です。
映像では汚文字たちが卒業証書を受け取ったり、校歌を歌ったりしており、字幕にも石綿さんの文字が並んでいました。
卒業証書に見立てた冊子もつくられ、中には汚文字たちがずらり。聞くと、石綿さんは今回の作品に向けて、7450字にわたる自分の文字のフォントをつくったそうです。
書く字が「汚文字」となった背景には、幼い頃の経験の積み重ねがありました。
小学生の頃、字を覚えるのが早かったという石綿さん。すでに覚えている字を何度も書いて練習するのが理解できませんでした。
みんなで同じきれいな文字に向かっていくという場の雰囲気もぴんとこず。書き順も「字は最終形態しか見ないんだから、何でも良いじゃないか」と考えていたそうです。
ただ、書き順はきれいに字を書くためのものでもあります。黒板に文字を書くと、書く文字の汚さだけでなく書き順のおかしさをクラスメートに指摘されるように。恥ずかしいと思うようになって、余計に文字を書くことが嫌になってしまったそうです。
友達同士の寄せ書きをするときにも友人たちに丁寧に書くように言われていたそう。「丁寧に書いているんだよ、自分の中では!」。そんな悔しい思いになりました。
「同じ日本語を書いているのに、『字未満』、『日本語未満』になっていました」
手書きの文字が嫌になる決定打となったのは、中学の時。筆記体じゃないと点数をもらえないという英語のテストで先生に全く読んでもらえなかったのです。
「文字のきれいさが問われてなくても、文字が汚いことによって、文字以外の部分も評価されてしまうなんて……」
答えは合っているのに、点数はもらえない。そんな、耐えられない苦しみにもなってしまいました。
「汚文字コンプレックス」を抱えたまま大学に入りました。ただ、高校までと違い、レポートや提出物はパソコンで打ち込むものが多くなり、手書きの字による影響を受けることは少なくなりました。
今回の作品をつくるまでは石綿さんの文字を知らない同級生もいるほど。では他者に文字を見せることがなくなったいま、なぜ石綿さんは文字に向き合うことになったのでしょうか。
その理由は、「汚い文字が自分に牙をむき始めたから」だといいます。どういうことでしょうか。
大学の途中の頃から、石綿さんは日記を書くようになりました。
一日の終わりにさーっと書いた日記。でも見返すと、何が書いてあるのかさっぱりわからないものに。外に出すことがなくなった石綿さんの文字は今、石綿さんが最も困る文字に変わっていきました。
この先何十年もこの字に向き合い続けるのかという懸念も出てきたいま、石綿さんは手書きの字の矯正を図ることにしました。
汚文字たちとの長い付き合いに一区切りを付ける、そのために卒業式という形式を選んだのです。自身が芸大を卒業するというタイミングで、卒業制作のテーマとした理由でもあります。
作品づくりで気をつけたことを聞くと、「愛をもって汚い文字と向き合うこと」と言います。
卒業式は厳かな場所。でも、真面目に「楽しかった運動会」と全員で大きな声を出すと、コミカルになってしまう。
ふざけないで考え抜いた結果、アウトプットが面白くなるという構図が、汚文字を書く自分と共通していることから、見た人にも伝わりやすいと感じたようです。
もう一つ意識したのは、「美しい文字がよいこと」と押しつけないこと。
美しい文字によって社会はまわっているし、教科書の字もきれいな方がいい。でも、それから外れている汚文字がその下位にあるわけではない。
「見る人に伝われば美文字になる。王道な美ではなくても、良い文字を私は書いている」
こうした思いを伝えようと取り組んできたといいます。コンプレックスを作品とすることで向き合おうと考えたのです。
石綿さんは自分が書いてきた汚文字を「大好きだ」と明言します。
20年以上書いてきた、自分しか書けない字。からかわれてきた分、他の人よりも文字について考えた時間も長かった。決して良い思い出だけではないかもしれないが、そんな風に密接な関わりを過ごしてきた「文字」について、こう話します。
「嫌いになんてなれるはずないじゃないですか」
悪いことばかりじゃないことは作品を作り上げる中でも感じることができたようです。
作品に向けた友人たちからのメッセージにはこんな内容がありました。
こんな反応に、石綿さんは「友人たちの文字は覚えていないけれど、私の文字を友人は覚えている。読めないという点は恥ずかしいけれど、胸を張れる文字になっている」と語ります。
もう一つ、自分の文字に自信が持てるようになったのは、作品について検討会に出した時でした。教授に構想を伝えると、石綿さんの個性的な文字をこう評しました。
「一流デザイナーでもこういう文字の人はいる。卒業しなくても良いんじゃない?」
「文字って性格が出る」と言われることがあります。石綿さん自身もそういった色眼鏡でみてしまうことはあるといいます。
でも、みんなが美文字である必要もないんだと教授の言葉が気づかせてくれました。自分の文字に自信をもって、安心して作品づくりができたといいます。
「自分の文字を堂々と出さずに隠すから、『汚い』と認めるかたちになってしまう。この作品もきっと、『私の文字は汚いよね。美文字になりたいです』だけなら嫌な思いをする人も多いと思います。汚文字への愛を前面に出したから楽しさと切なさも相まって良い方向に持っていけたと思います」
自身のためにも、汚文字の矯正をはじめているという石綿さん。でも、「文字をきれいに書く本を探す段階で頭が痛くなっている。相当無理なんだなと思います」。
大学卒業後は大学院に進学し、デザインについての学びを深めていくとのことです。
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