連載
#23 #啓発ことばディクショナリー
「心に手を突っ込まれる」気味悪さ〝リスキリング〟首相発言への疑問
労働に総動員しようとする政治の暴力
産休・育休取得中の親御さんたちに対し、リスキリング(学び直し)を後押ししたい――。2023年1月、岸田文雄首相の口から飛び出した、そんな趣旨の国会答弁が物議を醸しました。耳なじみの良い言葉を駆使し、あらゆる人々を労働に巻き込む。記者には、そのようなスタンスを打ち出しているように思われたのです。首相発言から1カ月ほどが経った今、リスキリングという言葉の意味と、政治との距離感について考えてみました。(withnews編集部・神戸郁人)
リスキリングを巡る一連の出来事に関しては、大きく報道されており、記憶に新しいところかもしれません。話題になって以降、少し時間が経過しているため、事の次第を振り返ってみます。
1月27日の参議院本会議。代表質問に立った自民党の大家敏志議員が、産休・育休の取りづらさの背景に「昇進昇給で同期から遅れを取ること」があると述べました。そして取得者にリスキリングを奨励し、国が制度面で支援すべきと訴えます。
これに対して岸田首相は「育児中など様々な状況にあっても、主体的に学び直しに取り組む方々を、しっかりと後押ししてまいります」と答弁。親御さんたちが職務能力向上に努めたり資格を得たりすることに、前向きな姿勢を示したのです。
SNS上では「職場復帰に向け自分を高めるのは良いことだ」といった賛成の声が上がりました。ただ「育児したことがない者の発想だ」「当事者のことが見えていない」など否定的な意見も飛び交い、現在に至るまで議論となっています。
記者も経緯を知ったとき、強い違和感が胸に起こりました。産休・育休の趣旨を取り違えている点はもちろん、子育てや学びのあり方を一方的に規定しようとしていると感じられたからです。心に手を突っ込まれるような薄気味悪さを覚えました。
育児にまつわる認識面での批判については、既に色々なメディア経由で表明されています。そこで、「リスキリング」という語句そのものに着目し、どのような論点が導き出せるか考えていくことにしましょう。
リスキリングは2020年前後に流行し始めた言葉で、字義通り「学び直し」を意味します。しかし、この説明だと、具体的な学習内容までは判然としません。そこで経済産業省の「デジタル時代の人材政策に関する検討会」関連資料を参照しました。
同会は経済人などの識者を交えて、デジタル社会における働き手の確保策などを議論する場です。2021年2月26日の会合でプレゼンを行った石原直子委員は、リスキリングを次のように定義しています。
昨今、事務職や営業職を含めた様々な社員に、プログラミングスキルなどを身につけさせる企業が目立ちます。デジタル実務を本業としない人向けを含め、全社的に職業訓練の場を設け、新技術への対応を加速する。そんな構図が見て取れます。
一方、リスキリングと対になる概念としてよく持ち出されるのが、「リカレント教育」です。それぞれ、意味するところが微妙に異なるので、整理しておきたいと思います。
文部科学省によると、リカレント教育は経済協力開発機構(OECD)が1970年代に打ち出した概念です。中長期的に教育と労働、余暇などを交互に行い、社会の変化に柔軟に対応できる人材を養成しよう、という思想が根底にあります。
OECD開発センター所長などを務めたルイス・エメライ氏は、先進国の経済成長が頭打ちとなる中、失業率の増加と長期化を懸念。教育期間を分散することで、労働市場を流動化させ、一人ひとりが希望する職に就けるようになると考えました。
エメライ氏は「先進国型雇用不安への具体的対策」(『中央公論経営問題』1978年12月号掲載)と題した論文で、リカレント教育の要点の1つに「できるだけ長い期間にわたってできるだけ多くの選択の道を開いておくこと」を挙げています。
いつでも教育が受けられれば、興味関心を深め、納得ずくで進路を見定める機会が得やすくなる――。こうした考え方は、学歴偏重主義や校内暴力が問題化した1980年代の日本社会において、「生涯教育(学習)」の文脈で受け入れられたのです。
リカレント教育には、休職などの形で仕事から離れ、自発的に様々な事柄について学ぶという特徴があります。ある種、企業の意向に左右されるとも解釈できるリスキリングとは、この点で相違すると言えるでしょう。
ここまで概観してきたリスキリング、リカレント教育は、主に賃労働に絡む考え方でした。その本質は利潤の追求です。仕事を通じた自己実現を含めて、「いかに職務能力を高め、競争に勝ち、多く稼ぐか」という価値観に貫かれています。
それでは、今回の原稿を書く発端となったテーマ、子育てに関してはどうでしょうか?
親が子供を養育する場合に、明確な対価が支払われることは極めてまれです。赤ちゃんのおしめを素早く取り換えたり、上質なミルクを作ったりできるようになっても、一般に勤め先の給料が上がるわけではありません。
米国の哲学者エヴァ・フェダー・キティは、育児のように脆弱(ぜいじゃく)な他者をケアする行為を「依存労働」と名付けました。その原理は、施しに見合った報酬を誰かと交換し合う、賃労働などとは異なるのだといいます。
依存労働は、より弱い立場にある人々の生存に不可欠な、最低限のニーズを満たすために行われます。キティは、この営みが「社会的協働」つまり「お互い様」の精神に支えられており、政策立案の指針にもなりうると説きました。
ケアが守るものは、社会的なつながりと人間の尊厳です。いずれを奪われても、私たちは命をつなぐことができません。
この点に関してキティは、人間が等しく「お母さんの子供」として生まれた事実を指摘しています。ここでいう「お母さん」とは便宜上の表現です。当然、父親も含まれると解釈できます。
誰しも幼少期には、生きるために親の手を借りざるを得ない。ゆえに依存労働の担保は、社会全体で負うべき「道徳的な義務」であり、その責任をケアの主体だけに押しつけてはいけないのだ。そう主張しているのです。
翻り、冒頭で触れた「産休・育休取得者にリスキリングを」という、政治家の主張に立ち戻ってみましょう。
記者が違和感を覚えた理由。それはくだんの発言に、生存のためのケアに対する、基本的な敬意が感じられなかったからではないか。そして一人ひとりの親御さんの努力を、経済的な観念で査定しようという意図が垣間見えたからではないか。
そのように考えると、SNS上を中心に巻き起こった批判についても、理解しやすくなると思われます。
育児休業の取得率は、女性85.1%に対して、男性13.97%です(厚生労働省「令和3年度雇用均等基本調査」)。改善の兆しがあるとはいえ、子育てに伴う負担が、今も一方の親に大きく偏っている現実を示しています。
加えて待機児童問題など、社会生活と育児との両立を妨げる課題を数え上げれば、枚挙にいとまがありません。解決のためには、福祉を始めとした社会制度の整備・改善が不可欠ですが、十分に進んでいないのが実情と言えます。
キティが唱えた「道徳的義務」の重要性を、政治の側が十分に認識せず、責任を果たし切れていないからこそ、親御さんたちにしわ寄せが行ってしまっている。今回噴出した不満に触れ、記者が感じたことです。
リスキリングという言葉が伴う響きは硬質で、私たちを否応(いやおう)なく学び直しへと駆り立てます。その強度こそが、時代を切り開くための力と勇気をもたらすのでしょう。
反面で権力を持つ側が振りかざせば、市民を労働へと絡め取り、変化し続ける環境に適応できない者を、容赦なく切り捨てるための刃にもなります。政治に携わる人々には、この暴力性にこそ自覚的になって欲しい、と思われてなりません。
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