連載
#13 小さく生まれた赤ちゃんたち
24週370gで生まれた娘 その夜、一睡もできなかった父親の思い
流産を経て「命があればそれでいい」と考えるようになりました
妊娠24週で、370gと小さなからだで生まれてきた娘。障害が残る可能性も告げられましたが、その前の年に流産で赤ちゃんを亡くしていた夫婦は、「生きてくれればそれでいい」と同じ思いでいました。しかし、病院に通い続ける日々ではお互いの気持ちがすれ違い、「精神的にギリギリの状態」だったこともあると話します。
「赤ちゃんに元気がなくて、緊急入院しないといけなくなった」
神奈川県に住む坂上真大(まさとも)さん(43)は、2018年5月のある日、妻から電話でそう伝えられました。フリーランスのプログラマーとして東京都内で働いていましたが、すぐに神奈川の病院へ向かったといいます。
「状況は分かりませんでしたが妻が動揺していることは容易に想像でき、早く合流しなければと思いました」
妻の血圧が180を超え、赤ちゃんも弱っていることから、病院では妊娠を継続することが難しいと説明を受けました。生まれても助かるかどうか分からず、助かっても「障害が残るかもしれない」と告げられた2人。しかし、「助けてほしい」「生きてくれればそれでいい」と気持ちは固まっていました。
「流産の経験があったから『命さえあればなんでもいい』と感じたのだと思います」と真大さんは振り返ります。
今回の妊娠の前年、夫婦は赤ちゃんを亡くしていました。
子どもを望んでいた妻に対し、「いつかはほしいと思っていた」とあいまいだった真大さん。収入が不安定な「いま」でいいのかと迷いはありましたが、不妊治療を始めて数カ月後に赤ちゃんを授かりました。しかし、妊娠8週目に亡くなっていることが分かったそうです。
悲しむ妻の隣で一緒に涙を流し、「子どもがほしい」「生きて生まれてきてほしい」という気持ちが大きくなったといいます。
妻が入院した翌日、緊急帝王切開で生まれた長女・芽(めい)さん。妊娠24週4日(妊娠7カ月)で体重は370g、身長は26cmでした。多くの赤ちゃんは妊娠37〜41週で生まれ、平均出生体重は約3000gです。
真大さんが娘と初めて会ったとき、体温を保つために体をラップでくるまれ、口には酸素が送られていました。
「最初、赤ちゃんだとすぐに認識できませんでした」。生きて生まれてくれた喜びがある一方、からだは両手におさまるほどの大きさで赤黒く、イメージしていた赤ちゃんの姿ではないことへの戸惑いがありました。
不安はあったものの、医師から「強い子ですね」と言われ、支えになったという真大さん。「先生や看護師さんがみなさん笑顔でいてくださって、最初の山だった出産は乗り越えたのだろうなと安心しました」
その後、真大さんは自宅に戻りましたが、「その夜は一睡もできなかった」と振り返ります。急に容体が変わるリスクがあり、「いつでも駆けつけられるようにしてください」と言われていたそうです。
「スマホを手元に置いて、パジャマには着替えずすぐ出られる格好のままソファーで横になっていました。寝そうになった瞬間に慌てて跳び起きて、スマホを見て着信がないことに安心する。一晩それをくり返りました」
自宅から病院までは、車で1時間以上かかります。万が一何かがあった場合、娘と妻のそばにいたい、立ち会いたいと考えていました。
妻の彩さん(43)は、出産の翌日に初めてNICU(新生児集中治療室)に入りました。当時の記憶はあいまいといいますが、保育器の前で芽さんに「ごめんね」と話しかけていたそうです。
「なんで『ごめんね』と言ったのかは分かりません。『ごめんね』と言いたくはなかったけど、『おなかの中で育てられなかった』『何が悪かったんだろう』という気持ちがあったのだと思います」
一方で真大さんは、「妻が『ごめんね』と言う気持ちが分からなかった」と話します。「妻は『自分のせい』だと思っていましたが、原因は男性と女性どちらにあるか分かりません。早産はコントロールできませんし、これからをいかに良く解釈できるかだと思っていました」
生後1週間の山を越えたあと、真大さんは彩さんに「本当ならおなかの中で成長するけど、芽が24週から大きくなっていく様子を直接見られるのはラッキーだね」と伝えました。
「最初は開いていなかった目が開いて、からだの産毛が少なくなっていくといった成長を見られました。『普通に生まれたらできない経験をさせてもらっているよね』と、僕自身はそう思っていました」
彩さんは真大さんの言葉を聞いて、気持ちが軽くなったといいます。
「それまで夫に『早く産んでごめんね』と言ったことはありませんでした。万が一責められたら一生立ち直れないと思ったからです。でも、早く生まれたことを気にしていないんだと、ほっとしました」
とはいえ、面会のための通院や仕事との両立、搾乳などのつらさから、夫婦の気持ちがすれ違ったこともありました。
真大さんは生まれてからの1カ月間、毎日NICUへ通いました。日中は仕事をし、夜中11時以降に面会へ行くことも。「そうしてでも会いに行きたかった」と話します。
移動時間がもったいないと、病院の近くのカフェで仕事をすることもありました。平日はほぼ夫婦それぞれで娘のもとへ行き、週末は2人そろって面会に行く生活。次第に疲れも出てきました。
彩さんは搾乳があり、産後の回復も十分ではありません。
「自分と子どものことで精いっぱい。精神的にギリギリの状態でもありました」と話す彩さん。「搾乳や往復3時間の面会がしんどい」と愚痴をこぼしたとき、真大さんに「芽はもっと頑張ってるんだから」と言われ、「心のシャッターが下りてしまった」そうです。
「悪気は全くなかった言葉だと思いますが、彼しか話せる相手がいなくてただ吐き出したかったんです」
真大さんは、「愚痴を聞いても僕はのみ込むしかなく、けんかになることもありました」と振り返ります。
「ストレスはありましたが、芽と一緒の時間をどう増やすか、この状況でどうするかを考えるしかないと思っていました」
意見が合わないこともあった2人ですが、娘を一番に思う気持ちは同じです。
「とにかく芽が楽しく過ごせることを一番に考え、芽を中心に生きることが当たり前になっている」と彩さんは話します。
現在4歳になった芽さんは、お絵描きや粘土遊びが得意で、歌やダンスが大好きです。知的障害を伴う自閉スペクトラム症と診断され、療育手帳を持っています。体の大きさは2歳児相当と小さく、言葉の出が遅いなど発達もゆっくりです。
しかし「生まれてきてくれた時点で、命があればOKですから」と真大さんはいいます。
「進学などの環境が合わなければ別の場所に引っ越せばいいし、もし電車に乗るのが大変なのであれば車で移動すればいい。おむつを卒業できなければ大人用がある。おむつを卒業できると遊びの幅は広がると思いますが、心配はしていません」
一方で、「知的な遅れがあると聞いたときは、シンプルにお金を稼がなきゃと思った」と現実も見据えています。
「芽が自分で稼げるようになるかも分かりません。今後どこか施設に入らないといけなくなることもあるかもしれないし、僕らが先にいなくなった後、誰が面倒を見るかという問題もあります」
「彼女の将来の選択肢が広がるように準備をしておきたい」。2人はそう願っています。
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