連載
#11 Y2Kと平成
「ルーズソックスがバカ売れ」から一転、販売停止 国産靴下の現状
20年前、工場前で「取り合い」の状況だったルーズソックス
Y2Kファッションがトレンドです。「2000年代」を示すY2K、2000年代ごろにトレンドだったファッションとして、真っ先に思い浮かぶのがルーズソックス。2021年、すでに「当社のルーズソックスがバカ売れしています」とブログで綴った生産会社に話を聞くと、「いったん販売をストップしています」。どういうことか――。話を聞きました。
奈良県で靴下製造を90年以上続ける巽繊維工業所のサイトでは、2021年すでに「当社のルーズソックスがバカ売れしています」という一文を含んだコラムが掲載されていました。その後の売れ行きについて代表の巽亮滋(たつみ・りょうじ)さんに話を聞くと、「生産は続けているのですが、販売はいったんストップしています」。
需要はあるはずなのに、どういうことか。
実はコロナ禍以降、ルーズソックスの販売数が急激に増えたため、生産が追いつかず欠品してしまったのだといいます。
ただ、20年前のルーズソックスブームの際には一日1千足は生産していたという巽産業、簡単に生産量が不足する事態になるのでしょうか。
聞くと、靴下産業の深刻な状況が浮かびあがりました。
20年ほど前のルーズソックスブーム当時、巽繊維工業所では、ルーズソックスを編むための機械(ビンテージ機)10台ほどを24時間フル稼働させていました。
1日に1千足ほどが編み上がりますが、当時のブームは勢いがあり、編んだら編んだだけ飛ぶように売れていったといいます。
毎朝、前日までに編めたものを仕入れるため、会社の前に卸の企業の担当者が何人か待っている状況。
「当時、普通ならばファックスで納入個数と期限が書かれて送られてきていたんですが、ルーズソックスは取り合いの状況だった」といいます。
ところが、徐々に生産拠点は海外へ。「国内での生産が間に合わなくなったと卸企業が判断したのだと思う」(巽代表)
そうしているうちにルーズソックスのブームも下火に。
2000年代に入ると、国内で靴下を編む機械を作っていた機械メーカーの廃業も出てくるようになり、消耗部品が手に入らなくなっていきました。
「ビンテージ機は全部で20台あったのですが、壊れた部品を手に入れることができなくなり、ある機械の中から壊れた部品を移設してなんとか回せるように工面するようになった」
現在、巽繊維工業所にあるビンテージ機は2台にまで減ってしまいました。
「いま動いている機械もいつ止まるかといったところです」
現在はその2台のビンテージ機を大切に使いながら、1日に100足ほどのルーズソックスを生産しています。
「製造業として、ものを切らしてしまったり、納期に間に合わせられないのは死活問題」と話す巽代表。そのため、現在は生産したものをストックし、ある程度在庫ができた段階で再販できればと考えています。
日本靴下協会によると、国内の靴下編み機の稼働台数は2000年には2万6147台あったのが、2021年には7546台にまで減少しています。
もう一つの課題として、原材料価格の高騰があります。機械を動かすための油やなどが「いままでにない大幅な高騰で、深刻です」と巽代表。1990年代と比較しても2倍近くになっていると感じています。
ただ、原材料価格が上がっていても、出荷価格はなかなか上がらないそうで、「我慢している状況」。物流コストも上昇傾向にあり、「ものづくりが本当に厳しくなってきている」と感じています。
明るい兆しも。
巽繊維工業所には、自衛隊の隊員から絶大な支持を集める「ガッツマン」という製品があります。このガッツマン、実は元自衛隊員や購入者がSNSで製品の良さを拡散したことがきっかけで一般にも人気が広がりました。
そのことから巽代表は、「インターネットという手段を活用し、消費者を裏切らない誠実な物作りを続ける製造業者には生き残るチャンスがある」と考えています。
現在コツコツと生産を続け、在庫をストックしているルーズソックスについては、自社のウェブショップで近く販売を再開する予定だといいます。
【連載】Y2Kと平成
いま流行している「Y2Kファッション」。街中でルーズソックスを履いている高校生を見かけることも珍しくありません。広い層に2000年代の出来事や空気感への興味・関心が高まったこの機会に、当時の世情を振り返り「現代社会」を考えます。
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