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家の門に山芋を塗る…「三日とろろ」って? 昔は「不浄日」の風習も
元旦には、すりおろした山芋で門の前に線を引きます――。そんな風習を聞いて驚いた筆者。しかし祖父母宅のあった福島でも「三日とろろ」という風習があったような……。お正月と「とろろ」の関係を調べてみました。
「とろろで門前に線を引くのは、元日の朝です」
秋田県由利本荘市に住む、公務員の40代女性はそう言います。
とろろご飯を神棚と仏壇に供えて、門の前にとろろで線を引いたあと、とろろご飯をいただくのが恒例の元日行事でした。
祖母は「とろろを食べるのは長生きするため」「悪魔を退ける目的で線を引く」と話していたそうです。
「恐らく邪気や穢れなど悪いものを払うための習わしではないか」と指摘します。
同僚たちに尋ねてみたところ、この習俗が残っているのは、女性の住む由利本荘市内の一部地域のみとのことでした。
「とろろご飯」は、具なし味噌汁で溶いたとろろを白米にかけて食べる「味噌味のとろろ」なのだそう。
近隣の集落でも同じような食べ方をするそうですが、朝食や昼食など食べるタイミングは様々だといいます。
子どもの頃、年末年始はよく福島県郡山市の祖父母宅で過ごしていた筆者。秋田県の女性の「とろろで線を引く」という風習に驚きましたが、そういえば郡山にも「三日とろろ」というならわしがあったな……とふと思い出しました。
新年1月3日に「とろろご飯」を食べるのが「三日とろろ」です。粘りけがあって長く伸びるとろろは縁起がよく、無病息災を願って食べるのだと聞いた記憶がぼんやり残っています。
そこで「三日とろろ」の風習を調べていると、福島県南相馬市の南相馬市博物館のホームページに「三日とろろ」の紹介がありました。
問い合わせてみると、記事を書いた学芸員の川崎悠さんは7年ほど前、スーパーの広告に「お正月の三日にはとろろを食べましょう」という文言があったのを見つけたそうです。
「『七草がゆ』の前に、元日のごちそうで疲れた胃を休めるため、とろろを買ってもらおうという広告戦略だったのかもしれません」と振り返ります。
いま現在もこの風習が残っている家庭は少ないといいますが、南相馬市が合併する前の旧鹿島町・旧原町市の市町史や相馬市史には、1月3日が「三日とろろの日」として記載されていたそうです。30~40年くらい前までは行われていた風習ではないかといいます。
福島をはじめとした南東北や、北関東のほか、中部地方の一部でも、同様の「三日とろろ」の風習があったといいます。
博物館のある相双地域(福島県沿岸北部)をはじめ、各地では、とろろご飯を「正月さま」(神棚や床の間にまつる歳徳神・年神様)にお供えして、家族みんなで食べたそうです。
そのほか、「魔除け」「ヘビ避け」として、とろろを家の門口に塗ったり、とろろご飯のお茶碗を洗った水を家の周りにまいたりといった習わしもあったといいます。
川崎さんは「貴重な食料ですし、そのまま塗るのはもったいないという思いもあったのかもしれません」と話します。
「三日とろろ」という呼び方ですが、実際に行われるのは3日に限らず、元日や4日、7日など家庭ごとにそれぞれだったといいます。
過去の資料を調べていて興味深かったのは、「三日とろろ」の1月3日が「不浄日」とされていた地域もあったことだそうです。
不浄日は「不成就日(ふじょうじゅび)」の文字をあてるところもあるそうで、神社へのお参りやほかの家への訪問を避け、「家にじっとしていなければならない日」でした。
年末の12月28日から1月3日にかけては、縁談を持ち込むのも良くないとされていました。福島県浪江町では、「仕事をしてはいけない日」「坊さんが歩く日」ともされていたそうです。
川崎さんは「元日から様々な行事やごちそうが続きますし、とにかく体を休める日だったのかもしれません。理にかなっていますよね」と話します。
せわしい日々を過ごしている現代の私たち。体や心を休める習わしとして、再び採り入れてもいいのかもしれないなと感じました。
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