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連載

#11 コミケ狂詩曲

コミケ参加翌月に逝った兄「意地が勝ったね」闘病支えた妹が語る敬意

「薄い本が墓標」存在の証、創作で刻む

今は亡き男性が制作した、同人誌の数々。世を去る直前まで創作活動に没頭したのは、なぜだったのか。家族の言葉からひもときます。
今は亡き男性が制作した、同人誌の数々。世を去る直前まで創作活動に没頭したのは、なぜだったのか。家族の言葉からひもときます。 出典: 神戸郁人撮影

目次

「今までの全てに、ありがとう」。2022年1月、ツイッター上でそうつぶやいて間もなく、息を引き取った男性がいます。直前に開かれた、同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ)。男性は重い病を患いながら、死力を尽くして参加し、自ら描いたイラスト集を会場で頒布していたのです。命を燃やすようにペンを走らせながら、何を思っていたのか。人生の終幕が迫る中、どうして表現活動に取り組んだのか。亡き兄の創作と闘病を間近で支え続けた、きょうだいの記憶をたどりつつ考えました。(withnews編集部・神戸郁人)

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葛藤の末に送った依頼メッセージ

2021年12月末、記者(34)は万感の思いで、東京ビッグサイトを訪れていました。新型コロナウイルスの流行による延期と中止を経て、実に2年ぶり・99回目となるコミケが開かれたためです。

中学時代から同イベントに通い、漫画・アニメの二次創作本を中心に、同人誌を収集してきた記者。現在の職業に就いて以降は、鉄道や地域史の記録など、評論分野を含む冊子の編み手に話を聞き、ものをつくる楽しさを原稿にしたためています。

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コミケは例年、夏と冬に開かれます。2019年8月に過去最多となる70万人超が足を運びました。一方、99回目は、感染対策で会期や入場機会が絞られる事態に。参加者数も10万人あまりでしたが、創作に勤しむ友人らとの再会は無上の喜びでした。

年が明けた2022年1月8日。まだ正月気分から醒めやらぬまま、スマートフォンでツイッターのタイムラインをぼんやりと眺めていた記者は、偶然目に入った投稿に衝撃を受けます。画面上に、こんな文言が浮かんでいたのです。

「妹氏です。兄は1月7日15:40に逝去いたしました」「皆様との出会いに感謝!兄の人生に献杯!」。背景事情が気になり、過去のつぶやきを参照してみると、様々な情報に行き当たりました。

アカウント主の男性「ゆきさん」がイラスト集を自作し、即売会に幾度もサークル参加していたこと。がんと診断され、約1年間治療していたこと。99回目のコミケ出席から間もなく、体調を崩して入院後、35歳で帰らぬ人となったこと……。

気付けば、一代記のページを繰るように、夢中でツイートを追っていました。同人誌制作から何を得たのか。最後の晴れ舞台に、なぜコミケを選んだのか。深く知りたいという気持ちが、ゆきさんに対する尊敬の念と共に頭をもたげてきました。

とはいえ、ご遺族の無念を思えば無礼千万な話です。心に土足で入り込むようなことはできない。しかしコミケを愛する身として、創作に捧げた人生の一端を記録させてほしい。桜が散り、蝉時雨が聞こえなくなっても、記者は葛藤していました。

そして10月中旬、何度も悩んだ末、ゆきさんのアカウント宛てにインタビュー依頼のメッセージを送りました。断られても仕方がない――。しかし1カ月ほど経った頃、そんな思いとは裏腹に、快諾する趣旨の返信が届いたのです。

「たくさん話を聞いていただき、共感できるところを文章にしてもらいたい」。ゆきさんの妹という人物の優しい言葉に触れ、感謝の念と申し訳なさが胸底から湧き上がります。同時に、良い記事にせねばならないと決意し、取材に臨みました。

ゆきさんが生前に描いた少女のイラスト。
ゆきさんが生前に描いた少女のイラスト。 出典: すみれさん提供

原点は『カードキャプターさくら』

対応してくれたのは会社員のすみれさん(33)です。柔和な笑みを浮かべて話す様子は、歳が近い記者よりも、ずっと落ち着きに満ちています。冒頭にあいさつを済ませると、2歳年上の兄・ゆきさんが絵を描き始めた経緯について語り出しました。

学生時代を通じて成績優秀だったゆきさん。小学生の頃には地元自治体主催の絵画コンクールで入賞するなど、絵心も豊かでした。すみれさんに勉強を教えたり、図工の授業用の課題制作について相談に乗ったりと、優しい一面もあったそうです。

多才さの反面で、〝器用貧乏〟なところも。同じ学校に通い、日常を共にしていましたが、長らく打ち込めるものがないように見えたといいます。

転機が訪れたのは、すみれさんが中学3年だった年の夏です。ある土曜の昼下がり、人気漫画『カードキャプターさくら』の単行本全巻を、ゆきさんに買いに行ってもらいました。すると、いつの間にか、すさまじい熱量で読み込んでいたのです。

それ以来、人が変わったかのように、画用紙と向き合い始めました。自室にこもっては、女の子や洋服などがモチーフの鉛筆画を、アングルを変えて何百枚も生み出し続けたのです。思春期を全て費やすかと思われるほどの傾倒ぶりでした。

「何かに取り憑かれたのかな、と感じました。早熟というか、斜に構えたところがあったから、本当に意外で。兄は当時高校2年で、受験勉強も控えていた。こんな状態で乗り切れるのだろうか、と不安になるハマり方でした(笑)」

ゆきさんは生前、ツイッター上の「質問箱」機能で、イラストに親しんだきっかけをつづっています。「『カードキャプターさくら』3巻を読んだとき絵柄の繊細さに感動した」。すみれさんの記憶を裏付けるように、そう書いていました。

妹と参加したコミケが人生の転機に

無事に大学へと進んだ後も、ゆきさんは絵の鍛錬を重ねました。友人と共に、方々で開催される同人誌即売会に出向くことも。ただ当初は、あくまで一般の参加者という立場を貫いていました。

しかし2008年の冬、ゆきさんの口から意外な言葉が飛び出します。「コミケにサークル参加を申し込んだんだけど、すみ(すみれさんの愛称)も来ない?」

「即売会に参加するうちに、自分も描き手として出たくなったのかもしれません。でも一人では不安だったんでしょうね。兄は遠回しに自分の希望を伝える人なので、『めちゃくちゃ行きたい!』と、あえて大げさに答えたのを覚えています」

初めての著書は、シューティングゲーム『東方Project』の二次創作漫画です。お気に入りの人気キャラクター・博麗霊夢(はくれい・れいむ)が表紙を飾っています。

「最初は一冊も売れないもんだから!」。そうおどけてみせるゆきさんの姿を眺めながら、すみれさんは密かに覚悟を決めていました。「鳴かず飛ばずだったら、きっと心が折れちゃう。創作を続けてもらうために、絶対結果を出さなきゃ」

そして迎えた、同年末の開催当日。意外にも、20冊ほど刷った同人誌は、次々とはけていきます。儚げで透明感あふれるタッチが特徴的な、ゆきさんの人物画に惹かれ、「私が好きなキャラを描いて」とスケッチブックを差し出す人もいました。

この「コミケマジック」(すみれさん)が功を奏したのでしょうか。以後、毎回のようにコミケで新刊を発表し、創作仲間も増えていきました。自ら率先して、複数の描き手と合同イラスト誌を作るなど、活動範囲が爆発的に拡大したのです。

ゆきさんは大学卒業後、社内唯一の情報システム保守担当として、企業に就職しました。やがて仕事上の経験を元に、ウェブサイト運用方法などの指南本を編み、技術系同人イベントで頒布するように。公私とも、創作一色に染まっていきます。

「兄は一時期、自分の名義でマンションの一室を借り、同人関係のお友達と一緒にアジトのように使っていました。みんなで新刊の構想を話し合ったり、お酒を酌み交わしたり。そうやって、楽しく過ごしていたようです」

「昔は、自分から人を束ねるタイプではなかったんですよ。それがいつの間にか、やりたいことを突き詰めて、積極的に仲間の輪に飛び込むようになっていた。創作によって、人間は変わるものなんだな、と思い知りました」

ゆきさんが描いた少女のイラスト。独特の淡い色調と、儚げな雰囲気が、多くの人々を惹き付けた。
ゆきさんが描いた少女のイラスト。独特の淡い色調と、儚げな雰囲気が、多くの人々を惹き付けた。 出典: すみれさん提供

作品と人物の魅力を見つけて褒める

今回、すみれさんの他にもう一人、在りし日のゆきさんを知る人物に話が聞けました。10年以上、共にイラストを描いてきたという、会社員の羽月(はねつき)とけいさん(ペンネーム・37)です。

ゆきさんと出会ったのは、2009年頃のことでした。画像投稿サイト「pixiv」で公開されていた自作イラストを見て、すぐファンになったといいます。

「彼の絵の魅力は、独特の色使いや、仕様の細かさにあります。たとえばフリルつきの服について、ひだ一つひとつまで丁寧に描き込むんです。仕上げるのに数日かかるような表現にも、絶対手を抜かない。いつも全力投球でしたね」

記憶に強く残っている出来事があります。2010年12月、羽月さんは仕事で海外に出張しました。同月30日にコミケが予定されていたものの、帰国日は開催の4日ほど前。とても同人誌を仕上げる余裕などないと、新刊作りを諦めていたそうです。

日本に戻った当日の夜、ゆきさんとボイスチャット(ネット上の音声通話システム)で話す機会があり、事情を伝えました。すると、思いも寄らない申し出を受けたのです。「何言ってんだ、今から一緒に合同誌を作ろう」

手がけたのは『東方Project』関連の短編漫画とイラストを掲載した冊子。表紙のキャラを手分けして徹夜で描き、コミケの開催前日、印刷にこぎつけました。2人でページをホッチキスで止め、製本した体験が印象深いと語ります。

羽月さんによると、ゆきさんは他人の懐に入り込むのに長けていました。イラストを見ると、「斜線の強弱の付け方が上手」とマニアックなこだわりを褒めるなど、作品や人物の魅力を発見することが得意だったそうです。

「有名な絵師(絵描き)さんに自ら働きかけ、コラボイラストを描くこともあり、肝が据わっていましたね。実現の可能性が低くても、まずは何とか挑戦してみる。そんな精神性を持ち続けた、本当にすごい人だったと感じます」

羽月さんがゆきさんと共作した同人誌の表紙。左側のキャラがゆきさん、右側のキャラが羽月さんの手になるイラスト。
羽月さんがゆきさんと共作した同人誌の表紙。左側のキャラがゆきさん、右側のキャラが羽月さんの手になるイラスト。 出典: 羽月とけいさん提供

突如打ち砕かれた家族の願い

我が道をひた走るゆきさんを、妹のすみれさんは、常に間近で見守っていました。大学時代を過ごした京都の自宅で、関西地方の即売会に出るためやってきた兄と、同人誌をとじる。絵柄が変わったら、美点を褒める。思い出は尽きません。

「兄は幼い頃から優秀で優しかった一方、どこか変わっているところがありました。幼心に、将来うまくやっていけるのかと心配していたんです。でも創作が、人生を良い方向に変えてくれたから(支えてきた)。おせっかいですけどね」

このまま、いつまでも幸せな時間が過ぎていくといい――。家族としてのささやかな願いは、しかし、突然打ち砕かれることになります。

2020年秋頃、ゆきさんは強い腹痛や、深刻なせきに悩まされていました。ちょうど、プライベートで様々な変化があった頃。ストレスのせいかもしれないと思いつつ、かかりつけ医に診てもらうと、大学病院に行くよう言われました。

さらに詳しく調べたところ、腸閉塞が確認され、同年12月に横行結腸がんであることが判明したのです。がんは既に進行しており、肺や腹膜にまで転移していました。すみれさんは診断当時のことを、こう振り返ります。

「兄からLINEで報告され、頭が真っ白になりました。病院に急行すると、腸内の食べ物を排出するため、鼻にチューブを通した状態で出迎えてくれた。『腹痛が一番つらかったから大丈夫』と、気丈に振る舞っていましたね」

担当医からは「適切な治療を施さなければ余命は2カ月ほどだ」と伝えられました。この出来事を境に、一人暮らしをしていたゆきさんのもとに、すみれさんと弟、両親の家族全員が集まります。予想だにしなかったケアの日々が始まったのです。

明るく過ごしたケアの日々

2週間に一度通院し、抗がん剤を打つ治療サイクルは、すぐ日常に溶け込みました。ただ、コロナ禍のため、自由に出歩くことはままなりません。勤務先も休職していたため、家にこもりがちな期間が、2カ月ほど続きました。

兄の人生の残り時間は、限られているかもしれない。元気が残っているうちに、少しでも多くの楽しみを提供したい。そんな思いにかられたすみれさんは、ゆきさんの体調が安定するのを見計らい、家族旅行を企画するようになりました。

東京ディズニーランド、成田山、京都、富士山……。行き先は、全国各地にまたがりました。あえて目的地を告げず、奄美大島へと連れ出すサプライズも。倦怠感など抗がん剤の副作用が出ない時期の休日は、ほぼ外出していたそうです。

「私は平日も仕事を中抜けして、兄とサイクリングを楽しむときがありました。一緒に芝生で寝転んでいると、彼が職場に行かなくて良い状態を指して『これを高等遊民と言うのだよ!』とうそぶくこともあり、おかしかったですね(笑)」

一方、診断後は半年以上、創作活動から遠ざかっていました。先々の予定を見据えて、同人誌を編むのが難しかったからです。投薬の影響で手のしびれが生じやすく、満足にペンを走らせられないことも、再開を阻む要因になっていました。

しかし旅行を重ねるうち、気力を取り戻すように。きょうだいで散歩中に立ち寄ったカフェで、タブレット端末などに描画する機会も増えていきました。淡々と過ごすより、何かを成し遂げたい。そんな風に見えたとすみれさんは思い返します。

2021年9月、ゆきさんは新作イラスト集を携えて、一次創作限定の同人誌即売会・コミティアに参加します。「冬のコミケに出たいから、描き続けないと。腕がなまっちゃう」。視線は、いつしか未来へと向いていました。

ゆきさんが富士山の山頂に登った際、撮られた写真。このときの達成感が、創作意欲を再び呼び起こすきっかけになったと、すみれさんは振り返る。
ゆきさんが富士山の山頂に登った際、撮られた写真。このときの達成感が、創作意欲を再び呼び起こすきっかけになったと、すみれさんは振り返る。 出典: すみれさん提供

苦しくてもペンを走らせ続けた

ところが、同年末のコミケが間近に迫った12月上旬、事態が急転します。全身の酸素飽和度が危険値まで低下し、入院を余儀なくされたのです。「もう家に帰れないかもしれない」。担当医の言葉に、すみれさんは戦慄しました。

この頃、ゆきさんのがんはかなり進行していました。抗がん剤を変えても効果が望めず、肺への転移も災いし、呼吸に支障が出ていたのです。しかし最善を尽くした結果、10日後に何とか退院を果たします。

それ以降の兄の姿を、すみれさんは忘れられません。

「きっと息をするのも大変だったでしょう。でも夜な夜な自室のベッドから起き上がり、絵を描いていたんです。高校生に戻ったみたいに、一分一秒を惜しんで。私は隣のリビングに布団を敷いて控え、酸素マスクを時折口にあてに行きました」

「兄はもはや、家族の手助けなくして日常生活を送れなくなっていました。でも同人誌作りについて、イラスト制作から印刷所への発注まで、全て自分でこなしきった。ギリギリの体調でしたが、『意地が勝ったね』と思いました」

12月31日、ついにコミケ当日を迎えます。車いすに乗ったゆきさんと共に、すみれさんはサークル席を訪れました。コピー用紙に少女のイラストをプリントした、8ページほどの新刊が目玉です。

入場制限のため例年より参加者数が少なく、開会後1時間ほどは同人誌を試し読みする人もまばら。しかし徐々に人出が増え、1冊購入されるたび「お兄ちゃん、買ってくれたよ!」と声をかけました。ゆきさんは安心した表情を見せたそうです。

「彼にとって、コミケは夢というか、区切りというか。人生の終着地だったのかもしれません」

ゆきさんが100回目のコミケに参加したときの様子。車いすに乗って駆けつけた。
ゆきさんが100回目のコミケに参加したときの様子。車いすに乗って駆けつけた。 出典: すみれさん提供

死してなお続いた兄の創作活動

ゆきさんはその後、無事に新年を迎えることができました。しかし2022年1月3日、体調が悪化し、再び入院することに。4日後、痛み止めを投与され、少しずつ意識が遠のく中、こんなツイートを投稿しています。

「今のうちに。本当に! ありがとうございました 今までの全てに、ありがとう」

永別のときは、確実に迫っていました。病床を囲む家族と、ゆきさんが言葉を交わします。弟の腕時計を褒めたり、妹に「走馬灯にすみれちゃんが見えるよ」と告げたり。穏やかな口調に、優しい人柄がにじみ出ていました。

そして、7日午後3時40分。大切な人たちに見守られながら、35年間の生涯に幕を下ろしました。臨終の瞬間まで痛みや苦しみを訴えることなく、眠るようにして目を閉じ、やがて心音が静かに止まったといいます。

しかし、ゆきさんの創作活動は、ここで終わりません。ツイッターアカウントを引き継いだすみれさんが訃報ツイートを公開すると、謝辞や追悼のコメントが相次いで寄せられたのです。何と、3万超の「いいね」もつきました。

「創作関連でお世話になった方や、兄の絵のファンという海外の方など、本当に多くの声が集まったんです。きっと兄が仕掛けた最後のサプライズ。こんなに誰かに愛される人生だったのだから、悲しむ必要などないと励まされましたね」

ゆきさんを慕う人々の言葉は、すみれさんの胸中にも波紋を起こしました。「温かいメッセージを贈ってくれた方々に感謝を伝え、兄の絵を見てほしい」。そう考え、手元に残ったイラストを自ら編集し、総集編として同人誌にまとめたのです。

100回目を迎えた同年8月のコミケで頒布すると、訃報ツイートを見たという人を中心に、多くの参加者がサークル席を訪れました。「絵に一目ぼれした」と購入していくケースもあり、持参した20部がほぼ完売したそうです。

すみれさんが編集し、2022年夏のコミケで頒布された同人誌。ゆきさんの遺作イラストで構成され、表紙にはツイッターアカウントのアイコンにも据えられている、少女の絵を選んだ。
すみれさんが編集し、2022年夏のコミケで頒布された同人誌。ゆきさんの遺作イラストで構成され、表紙にはツイッターアカウントのアイコンにも据えられている、少女の絵を選んだ。 出典: すみれさん提供

「妹としても、見事な最期だった」

創作が媒介した縁が、いかに尊いものだったか。生まれて初めて同人誌を編み、冊子を買い求める人々と交流してみて、すみれさんは強く実感したと話します。

「創作がある生き方とない生き方は、こんなに違うんだなと。ものをつくることで存在の証を残す。その営みから兄がどんな喜びやうれしさを感じていたのか、ようやく理解できた気がします。いつか私も自分だけの本を手がけてみたいです」

「そして兄が情熱を燃やせたのは、コミケという場があったからこそです。人生の中で、このイベントを必要としている人々は、必ずいると思います。どんな形であれ、これからも応援していきたいですね」

ところで記者には、すみれさんにぜひ見てもらいたいツイートがありました。がんが発覚する直前の2020年11月17日に、ゆきさんが投稿したつぶやきです。そこには、こんなことが書かれています。

「紙の! 本の! 価値は! ぬくもりとか利便性とかそういうんじゃないんだよ!! 俺が死んだ時、俺の書いた薄い本が俺にとっての墓標になるんだよ!!」

全てを見透かしていたかのような内容に、すみれさんは目を丸くして驚きました。そしてぱっと笑顔になり、こう語ったのです。「こんな投稿、全然知りませんでした。やっぱり面白いやつですね、兄は。本当にさすがだと思います」

改めて、ゆきさんに伝えたいことはありますか――。続けて尋ねてみると、すみれさんはしばし沈黙した後、次のように答えました。

「亡くなった後の日々について話してあげたいです。たくさんの絵を残してくれて、今更ながら感謝していること。兄が大切にしてきた友人たちが、今も私たちを気にかけ、支えてくれていること。どれも本人が知り得ない事実ですから」

「大人になっても、あんなに一緒に過ごせるとは、思いもよりませんでした。創作も、闘病でさえも、兄のお陰で全部楽しかった。妹の私から見ても、見事な最期だった」

「一番言いたいのは、『小さいときからずっと可愛がってくれてありがとう』ということですね」

ゆきさんが生前に描いたイラスト。すみれさんが編集し、2022年夏のコミケで頒布した同人誌にも掲載された。
ゆきさんが生前に描いたイラスト。すみれさんが編集し、2022年夏のコミケで頒布した同人誌にも掲載された。 出典: すみれさん提供

取材後記・本は声であり、意志は人生を照らす

「創作物は世界のどこかを漂い続け、作った人物が亡くなっても、その生き様をずっと伝えてくれる」。すみれさんが語った一言です。表現活動の本質を、とても端的かつ情感豊かに示していると感じます。

記者自身も、多くの同人作家の方々と接する中で、同じことを思ってきました。本を編む作業には、著者の価値観が少なからず反映されるもの。あまねく書物の中でも、同人誌はその濃度が特に高いと言えるでしょう。

作者が自らの思いを、感情の赴くままに表明し、ページに直接刻印する。まるで生成りの生地のように、書(描)き手の混じりけの無い言葉や絵があしらわれた本は、まさしく人生録そのものです。

ゆきさんは35年間の生涯において、同人誌と真摯に向き合い続け、冊子としての強みを追求し続けました。今生の旅路を行き果ててなお、自著で多くの読み手の胸を打ち、ご家族の魂に寄り添う。その様子に全幅の敬意を抱いています。

ゆきさんが表紙絵などを手がけた同人誌の数々。一冊一冊に、創作への熱意が詰め込まれている。
ゆきさんが表紙絵などを手がけた同人誌の数々。一冊一冊に、創作への熱意が詰め込まれている。 出典: 神戸郁人撮影

2022年12月30日。記者は101回目のコミケに足を運びました。羽月とけいさんが会場入りしていると聞き、あいさつしたいと考えたためです。インタビューのお礼を伝えると、ゆきさんとの思い出話に花が咲きました。

本の表紙に特殊な加工を施す技術を、独学で習得し、同人誌作りに活かしていたこと。がんが発覚して以降、気の置けない同人作家同士で温泉旅行に行ったこと。その際、闘病中であると信じられないほど、明るく振る舞っていたこと……。

「彼はゆきさんの影響で絵を描き始めたんですよ」

昔語りの後、羽月さんは隣に控えた、友人の男性を紹介してくれました。元々ゲーム音楽のアレンジ作品を手がけ、かつてゆきさんが企画した合同誌向けに、未経験ながらイラストを寄稿したそうです。

今回のコミケに、自らが主宰する、VTuberのファンアートサークル名義で参加したという男性。「こうして活動を続ければ、ゆきさんが愛した場所の一角を守ることができる。心につけてもらった火を、ずっとともしたいと考えています」

命には限りがある。しかし意志は、時空を軽やかに飛び越え、誰かが歩もうとする道を確かに照らしてくれる。2人との対話を経て、そう実感しました。同時に、一度も言葉を交わしたことがないゆきさんと、深い次元でつながれた気がしたのです。

本とは体温を伴った人間の声であり、受け止める読者が存在する限り、声の主は不滅だと思います。ゆきさんもまた、同人誌を通じて、人々の中にながらえているのではないでしょうか。取材を終えた今、記者は確信しています。

  ◇

【連載・コミケ狂詩曲】
ありとあらゆる分野の表現が交錯する、日本最大の同人誌即売会・コミックマーケット。人々は、どんなところに魅力を感じ、会場に集まるのでしょうか。サークル主、一般参加者、印刷事業者など、様々な立場で関わるファンたちの話から、探っていきます。(記事一覧はこちら

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