連載
#12 コウエツさんのことばなし
「イチマルって山形だげだん!?」驚きの声 でも辞書に載った理由は
①は「マルイチ」じゃない (1)は「イチカッコ」
①、②、③……
みなさんはこれをどう読みますか。マルイチ、マルニ、マルサンでしょ――そう拍子抜けしたでしょうか。それが、当たり前ではない土地があるのです。
それは山形。山形県では①を「イチマル」と数字を先に読みます。(1)はイチカッコ。四角で囲めばイチシカク。孤高をつらぬくその姿に、スポットライトがあたる驚きの出来事がありました。(朝日新聞校閲センター・青山絵美)
「えええ、イチマルって山形だげだん!? うそだべ……」
山形県最上地域出身の女性(21)は、中学生の時に先生から他県ではマルイチというと聞いたときの衝撃を忘れられないと言います。
別の20代女性は「①って書くとき、絶対1から書くから、イチマルが正解だよの」。
60代男性も「物心ついてからずっとイチマル。逆にマルイチといわれると、違和感があるな」。県外に進学した大学時代には、「なに言ってんの」と読み方を友達にいじられたことも。でも「山形には山形の言い方があるんだ」と頑として変えなかったそうです。
なぜ山形県だけ、イチマルというのか――。
跡見学園女子大学の加藤大鶴教授(日本語学)は「学校教育から広がったことは確か」と話します。
「①、(1)などの記号に子どもが初めて接するのは学校。旧山形師範学校を卒業して県内で小学校の先生になった人たちが広めていったとされます」
山形県では、県内の地域ごとに方言の違いがかなりあります。
たとえば、同じ「ありがとう」でも、南部の置賜(おきたま)地域では「おしょうしな」、日本海側の庄内地域では「もっけだの」。
「地域間の方言差がこれほどあるのに、イチマルが共通して使われているというのは、学校制度で広まっていることの一つの証明になるでしょう」
山形県で採用された先生は、基本的に県外へ異動することはありません。そう考えると、県内ではまんべんなく言うのに、県外に出るととたんに通じなくなることにも説明がつきます。
加藤教授が以前、山形県内の大正~昭和期の算数ノートを調査した際、大正ごろのノートは縦書きで、「一)」と、数字の後にだけカッコをつけるかたちが見られたそうです。
「これを素直に読めばイチカッコ。ここから派生していった可能性はあります」
ただ、なぜ山形県だけ、この読み方が広がったのかは「たまたま最初の人がそう読んで定着したということで、理由はないのでは」と首をひねりました。
日常生活にとどまらず、学校の授業、まじめな会議、どんな時でも山形はイチマルです。
その浸透ぶりは裁判にも。山形での初の裁判員裁判を報じる2009年の朝日新聞の記事を見ると、初めて参加する裁判員がわかりやすいよう、裁判資料の読み方をこんなふうに工夫したと紹介しています。
県のツイッター公式アカウントも「全国的には『まるいち』ですが、山形県では『いちまる』です 進学や就職などで山形県に来た皆さん、#いちまる は①です!」とアピール。
前任地が山形だった私もさまざまなところで耳にし、どちらが全国的な言い方だったか、一瞬考えないと分からなくなるほど耳になじみました。
一方で、県外の学校に通う際、「イチマルと言わないように気をつけていた」という人も。
身に染みこんだ言葉だけに、周りになじむためひそかに苦労をする人、からかわれてくやしい思いをした人も少なからずいるようです。
そんななか、2021年12月に大きな動きがありました。
8年ぶりに全面改訂された「三省堂国語辞典」(三国)の第8版に、イチマルが採りあげられたのです。
「まる」の項をみると、「円の形。球の形」の説明に続いて、
“山形県では『いちまる』!”
なんと、イチマルがついに認められた!
大興奮して「三省堂国語辞典」の編纂(へんさん)者の一人、飯間浩明さんに話をうかがうと、あたたかくなだめられました。
「辞書は言葉の判定者ではないので、辞書に載せたから『認めた』というわけではありません」
どういうことでしょうか。
「国語辞典は現代日本語の『地図』。現に世の中で多く使われている言葉を載せるというのが基本的な姿勢です」
地図をつくるとき、その建物が好きか嫌いかにかかわらず、そこにあれば描き加えるように、辞書は、現にそこにある言葉を記録するもの。「認める」「認めない」というのはなじまないそうです。
つまり、そこにあると改めて「確認」された、といったところでしょうか。
「ただ、項目があった、説明があったとおもしろがってもらえることは、作る側としてはうれしいですね」
辞書を改訂する際は、数人の編者によって、変更する項目や文言などについて検討されます。
今回、「いちまる」の説明を加えることは、異論なくすんなり採用されたそうです。
「方言辞書ではないので、方言をなんでも載せていくわけではありません。でも、共通語を使って生活する中でよく出てくるものは、出来るだけ載せたいと思っています」と飯間さん。
つまり、採用されるかどうかは、その方言の地域の人でなくても、どれだけその言葉にいきあたるか、という接触頻度の問題だそうです。
それには、その言葉自体が広く使われているかどうかのほかに、「共通語だと思って使ったら通じなかった」という事例がどれだけあるかも含まれます。
共通語と思われている方言を載せることは、方言を使う側にも聞く側にも、コミュニケーションの助けになるためです。これこそまさに、イチマルのケース!
「『通じなかった』と話題になる方言は案外多いんです」と飯間さん。
イチマルがこうしたケースの代表的な事例だったこと――つまり、山形県民がイチマルを「あたり前」として使い続けてきたことが、掲載を後押ししたといえるかもしれません。
そしてそこには「三国」ならではの理由もありました。
飯間さんは「『三国』は現に使われているいろんな意味を載せたい、他の辞書が気づいていない意味も見つけたいというのが基本姿勢」と話します。
「『まる』を解説するときに、『こんな意味も、こんな使い方もあるよ』と紙幅が許す限り情報を加えていく。そうしないと辞書を読む楽しみがなくなるのではないでしょうか」
「読者が予想できる意味しか書いていないと『そうだよね』で終わってしまう。知っていると思う言葉を見てみると、知らない情報が書いてある、そうするとその言葉への関心が深まる。辞書のおもしろさの一つがそこにあると思います」
なるほど、地図をながめて、街の新しい魅力を知る。そんな楽しみに通じるのかもしれません。
そんな新しい「地図」に書き加えられたイチマル。県民に話をきくと、「辞書に山形ルールが!」「市民権を得た」と喝采する声が相次ぎました。長年肩身が狭い思いをしてきただけに、喜びもひとしおのようです。
小さいようで大きな「読み方」問題。イチマル派もマルイチ派も、言葉との出あいを楽しみに、辞書を開いてみてはいかがでしょうか。
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