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連載

#10 小さく生まれた赤ちゃんたち

「協力して乗り切ろう」26週545gで生まれた娘、妻の早産で夫は

年を経て、ほかの子どもとの「体格差」は気にならなくなりました

545gで生まれた娘。生後102日までNICUに入院していました
545gで生まれた娘。生後102日までNICUに入院していました 出典: 村井さん提供

目次

小さく生まれた赤ちゃんたち
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緊急帝王切開になった――。妻の妊娠26週でそんな連絡を受け、夫は仕事を休んで病院へ向かいました。545gと小さく生まれた娘。「どう育つか全く分からない状態」でしたが、夫は妻に「協力して乗り切っていこう」と声をかけたといいます。出産の当事者ではない夫は、どんな思いで小さく生まれた赤ちゃんと、不安を抱える妻と向き合ったのでしょうか。

保育器の横で妻に伝えたこと

「どうなったとしても腹をくくらないと、と心の中で思いました」

さいたま市に住む村井昂志(たかし)さん(38)は、8年前、NICU(新生児集中治療室)で保育器に入る娘と対面したときのことをそう振り返ります。

2014年10月、娘は26週2日545gで生まれました。

医師からは、「ごく小さく生まれた赤ちゃんは生後72時間以内に脳内で出血を起こしやすい」と説明され、昂志さんは祈る気持ちだったと話します。

出産の数日前の妊婦健診で、妻は羊水が減っていると指摘され、大学病院に入院していました。

「入院してしばらく様子を見る」はずが、朝、緊急帝王切開となり、出勤しようとしていた昂志さんはそのまま病院へ向かいました。

「本当に急な出産でびっくりしたというのが正直なところです。そんなにリスクが高いと言われていなかったので」。昂志さんはそう振り返ります。

心の準備はできておらず、今後のことも想像できませんでした。しかし、「なんとかなる」と信じて、NICUで娘を見ながら妻にこう伝えました。

「2人で協力して乗り切っていこう」

生まれてしばらくの間、娘はNICUの保育器のなかで育ちました
生まれてしばらくの間、娘はNICUの保育器のなかで育ちました 出典: 村井昂志さん提供

生後102日目に退院

それから、昂志さんは小さく生まれた子どもの想定されるリスクをあらかじめ調べ、主治医との面談でも質問をしました。

「成長するにつれて、何か良くない影響が出てくる可能性もあると心にとめていました。でも、判明した段階で受け止めて、どうにかするしかないという気持ちでした」

昂志さんから見た妻も、「娘の状態を見ながら2人できちんと対応していくという様子だったと思います」。

病院のNICUでは、生まれたばかりの赤ちゃんや退院が近い赤ちゃんのベッドが、エリアごとに分けられていて、「NICU内でのステップアップが見えやすく、一歩一歩育っている実感があった」そうです。

入院中、娘の経過に異常はなく、生後102日目に2164gで退院しました。

退院時の娘と昂志さん(画像の一部を加工しています)
退院時の娘と昂志さん(画像の一部を加工しています) 出典: 村井昂志さん提供

「それぞれの家族の形がある」

妻・陽子さん(39)は、昂志さんに言われて印象に残っている言葉があります。

学生時代に山岳サークルで一緒だった2人。妊娠中も「家族で山登りできるといいね」と話をしていたそうです。

産後、娘がどう成長するか分からないとき、陽子さんが「山登り、3人で行くの難しいかな」ともらしたことがありました。

「おぶっていけばいいし、どんな形でもそれぞれの家族の形がある、幸せの形があるよ」と伝えた昂志さん。陽子さんは「とても勇気づけられた」と振り返ります。

また、家族3人で児童館や公園を訪れることも多く、「産後、私が家に引きこもらず、社会との接点を持たせてくれた」のも昂志さんのおかげだと話します。

公園や支援センターへ子どもと出かけると、周囲の人から「何カ月ですか?」と聞かれるのは自然なことかもしれません。

しかし、小さく生まれた赤ちゃんの場合、本来の出産予定日を基準にした「修正月齢」を伝えても実際の成長と体格差があり、「小さい」と思われることもあります。

陽子さんは娘と2人で外出したとき、「ずいぶん小さいですね」「小柄ですね」と言われることがありました。

事情を知らない人にとっては何気ない言葉でも、複雑な思いを抱える家族もいます。

陽子さんは「心にチクっとくるものがあって、私だけだったらその場に出て行くのは消極的になったかもしれません」と話します。

昂志さんの「神経質になりすぎないところ」がとても助けになったそうです。

1歳になった娘
1歳になった娘 出典: 村井昂志さん提供

小学生で気にならなくなった体格差

早く小さく生まれると、成長発達がゆっくりなケースもあります。

村井さん夫婦は、身長や体重を母子手帳の発育曲線に記入していました。

「修正月齢」に照らし合わせて成長を見ていましたが、退院後しばらくの間は、修正月齢でも平均の下限まで届かないことが続きました。

幼稚園に入園後も、周りに比べるとひときわ小さく、2番目に小さい同級生とも差がありました。それでも、「着実に大きくなっている」実感はあったといいます。

小学校入学後は特別小柄というわけではなく、周りとの体格の違いを意識することはなくなったそうです。

「小さいことが特別不安ではありませんでしたが、一つ安心材料が増えたのかなと思います」

小学1年生のときの娘
小学1年生のときの娘 出典: 村井昂志さん提供

子育てや家事も「2人で」

現在小学2年生の娘・恵さんは、週1回スイミングスクールに通っています。

両親から見てもとても努力家で、進級テスト前には自宅近くのプールに行って自主練習をしているそうです。

学校の宿題は、言われなくても真っ先にやらないと気が済まない一面もあるといいます。

体格は小柄ですが、担任の教師から発達や学習、運動面の遅れを指摘されたことはなく、小さく生まれたことを意識する機会は減ってきました。

娘・恵さんには、「小さく生まれて長く入院していた」と幼いときから伝えています。

恵さんは「こんなに小さく生まれたんだ」と感じたそうですが、あまり気にしてはいないようです。

小学2年生になり、木登りをして遊ぶ娘
小学2年生になり、木登りをして遊ぶ娘 出典: 村井昂志さん提供

昂志さんは、「年齢が上がるにつれ、勉強や運動といった分かりやすい成長ポイントが増え、『周りのお子さんとの差』よりも『娘自身の成長』が目につきやすくなりました。意識をせずとも、不安よりも楽しさが先行しやすくなっています」と話します。

誕生時に夫婦で話をしていた「山登り」は、小学2年の夏休みに伊豆大島の三原山で実現することができました。

「山の中腹からお鉢(火口のふち)まで登ってお弁当を食べ、中腹まで戻ってくるコースで、上りは休み休みという感じでしたが、下りでは親を置いてスタスタ走っていました」

子育てや家事については、娘が生まれてからずっと「できるときにできる方がやる、夫婦2人でできるなら2人でやる」ようにしてきたという昂志さん。

「仕事にかまけて妻の負担が大きくなりすぎていることもありますが、そうならないように今後も夫婦で協力していきたい」と話しています。


※12月14日18時20分、本文を修正しました。

【関連リンク】「小さく生まれた赤ちゃん」について考えます(朝日新聞デジタル)
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日本では、およそ10人に1人が2500g未満で生まれる小さな赤ちゃんです。医療の発展で、助かる命が増えてきました。一方で様々な課題もあります。小さく生まれた赤ちゃんのご家族やご本人、支える人々の思いを取材していきます。

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