連載
#20 名前のない鍋、きょうの鍋
〝名前のない鍋〟と最高に合う日本酒 ファンを増やした地域の商い
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、自分を信じてくれるお客さんと向き合い、地域で商いを続ける男性のもとを訪ねました。
児玉武也(こだま・たけや)さん:1968年、東京都生まれ。中学生の頃からバンド活動に熱中、高校卒業後も音楽活動を続ける。21歳のとき日本酒に出合い、味わいと奥深さに魅せられる。26歳でバンド活動を停止、自動車関連会社に就職して41歳まで勤めた。2010年に日本酒専門販売店『地酒屋こだま』をオープン。現在、パートナーと猫と暮らす。Twitterは@take9234
「きょうはキムチ鍋。ひと冬で何回やるかなあ……スーパーのキムチに30%引きのシールが貼ってあるときは“買い”なんですよ。キムチが発酵していて、鍋にしたらおいしいから」
キムチは発酵が進むと酸味が増して、鍋ものに加えると深い味わいを汁に与えてくれる。なるほど、そういう献立の決め方もあるか。
「一緒に暮らしてるパートナーが辛いもの好き、というのもあるんだけどね。あとキムチ鍋と最高に合う日本酒があるの。それが飲みたくてキムチ鍋にすることもあるぐらい」
キムチ鍋に最高に合う日本酒……ものすごく気になるが、それは後でのお楽しみ。
今回訪ねたのは、東京の豊島区大塚にある児玉武也さん宅。児玉さんは住まいから徒歩10分ぐらいのところで、日本酒専門の酒販店を営まれている。
「大塚っていうとゴチャゴチャしたイメージがあるかもだけど、下町っぽさが残ってていいところですよ。駅からちょっと歩けば静かにもなって、暮らしやすい」
鍋のベースとなる昆布と煮干しのだしが湯気を立てて、部屋に良香が漂う。煮干しの頭とはらわたはそのまま。よほどスッキリとしたおすましを作るならいざ知らず、鍋ならこれでじゅうぶんだ。
児玉さんの具材を刻む手つきは手慣れていて、迷いがなかった。
現在のマンションに住んで12年になる。パートナーであるぴーさん(彼女のニックネーム)と暮らすために選んだ場所だった。
「住まい探しは大変だったの、ぴーさんが猫を保護して飼ってたから。猫OKの物件がもうとにかく少ない! 家賃などの条件に合う物件が100件あっても、猫OKにすると2件ぐらいしか残らなくて」
いろいろと説明してくれながら、刻んだ白菜とねぎをごま油で炒めていく。
酒と豆板醤、少々の味噌で風味づけしてから鍋に加える。このへんはその日の気分によるアドリブだとか。
おや、続いて冷凍庫から山椒の実を取り出して刻み始めた。
「初夏に仕込んだのがまたずいぶん残っているから、使ってみようかな」と、アドリブ第2弾。ひらめきに従う即興演奏的な鍋づくりもいいものである。
煮えるまでの間に、これまでのことをうかがう。
「じゃあ、まずは飲み始めません?」と言って缶ビールからプシュッといい音。ものすごくおいしそうにふた口ほど飲まれてから、昔のことを語り出してくれた。
昭和で言うと43年(1968年)、東京の中野区弥生町に生まれる。ロック好きで、中学2年生からバンド活動を始めた。
「いろんな人のコピーをしたよ。佐野元春、尾崎豊、特に好きだったのがアルフィー(THE ALFEE)で。高校3年の文化祭のときは、かけもちで4つのバンドの演奏に出てた」
バイトを続けながら音楽活動を続け、テレビ出演なども経験したが「見込みはないな」と判断したのが26歳のとき。自動車関連会社に就職した。
セールスの仕事は性に合ったようで、成績も悪くなかった。社長の仕事イズムにも共鳴して「心酔した」が、午前様は当たり前の過労の日々が続く。
煮えすぎても何だからと、ここでお話は一旦ストップ。
鍋を開ければ、一面のニラの緑。その下には豚バラ肉、キムチ、きのこ、豆腐、ネギがみっちりと。ニラをどっさり入れるのは栄養バランス的にもいいなあ。
これがなきゃ始まらない、という感じで例の日本酒が開く。
ペットボトルなのは「一升瓶が入る冷蔵庫がないから、移しかえてるの」と。児玉さんは21歳のとき良質な日本酒に出合って驚嘆、飲み歩きや蔵元見学をするようになる。
30代の頃、当時流行の「mixi」というSNSを始めて日本酒仲間が増え、より幅広い楽しみ方を知った。業界の知り合いも増えていく。
2007年にある酒屋さんと知り合い意気投合、自由になる時間を見つけては仕事を手伝うようになった。その方が引退するというタイミングで「うちの酒屋、やる気ない?」と声を掛けられる。
「私の理想を継いでくれると思ったから」
日本酒のファンを増やし、残していくという理想を。人生が変わる瞬間だった。
1か月ほど考えて、申し出を受ける。「すべてあなたのやりたいようにやればいい」という言葉も後押しになった。
「始めてみたものの、最初はやっぱりとても暇で。でもとにかく無理しないと決めてたんだよね。焦らないでやろうと」
今までの忙しい人生を変える、児玉さんなりの働き方改革も同時に行った。酒屋としてはまったくの素人、知らないことはたくさんある。
「嘘をつかない」を商売信条とした。そんな自分を信じてくれる人とだけ商売をしていこうとも決めた。
「取材もいいけど、飲もうよ、あったかいうちに食べてよ」と児玉さん。
とてもリズミカルで間が良く、耳に快い話し方をされる。垣根を作らない気楽な雰囲気を備えていて、お言葉に甘えたくなってしまう。
「キムチ鍋に合うのがこれ! 『花巴(はなともえ)』直汲にごり水酛純米。自然由来の乳酸の味がして、それがキムチの発酵感と合うと僕は思うんだよねー。分かりやすくいうとマッコリに近い感じというか」
うわ、まろやかで優しくて飲みやすいな。同時にたくましさというか、米のフレッシュでしっかりしたうま味も感じさせる。
山椒の効いたキムチ鍋との相性、確かに抜群である。日本酒はこんな楽しみ方もできるんだな。
以前に児玉さんの酒販店を訪ねたことを思い出す。客の求めるものになるたけ近い商品を見つけよう、なんとかそこを探ろうとする真摯で積極的なマンツーマンの接客が印象的だった。
「休みの日、釣りに行くのが楽しみで。鍋の取材だから、かわはぎが釣れたタイミングで受けられたらよかったんだけどねー。肝をたっぷり入れるゆず風味の鍋がうまいのよー、食べてもらいたかったなあ」
食べてもらいたい、飲んでもらいたいという気持ちを表現することに長けている人。言葉を聞いていて強くそう感じる。
それじゃ飲んでみようかな、と思う人が客となって増えていき、児玉さんの店は開店から13年目を迎えた。現在約50蔵と取引があり、300種を扱う。大塚のまちで日本酒ファンを確実に増やしている。
またぜひ、かわはぎが釣れた折に取材させてください。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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