連載
#19 #アルビノ女子日記
心えぐる「ブス」「デブ」中傷されてもアルビノの私が発信する理由
取り上げるメディアに伝えたいこと
「多様な見た目を許容する社会になってほしい」。髪や肌の色が薄く生まれる、遺伝子疾患アルビノの当事者・神原由佳さん(28)には、そんな思いから力を入れてきたことがあります。記事の執筆や講演活動を通じた、外見にまつわる実体験の発信です。その過程で「ブス」「デブ」など、容姿に対する心ない中傷を受ける場面も。時に深く傷つきながら、20代を通して取り組み続けた理由について、つづってもらいました。
もうすぐ、私は29歳になる。
20代も終わりが見えてくると、少し寂しくなってくる。私は25歳でようやく社会人になったものの、最初に就いた職場が合わず、すぐにずっこけて転職した。新型コロナウイルスの流行で生活が一変した。その間に夢だった一人暮らしを始め、今は社会福祉士として働きながら、ささやかな生活を営んでいる。
そんな私が、20代のときに力を入れたのは、当事者発信だ。「アルビノについて知ってほしい」「多様な見た目を許容する社会になってほしい」「自分ももっと生きやすくなりたい」。そんな思いでメディアの取材を受けたり、学校で講演したりしてきた。
当事者発信を始めたきっかけは、23歳だった2017年の冬、渋谷区で行われたイベント・ヒューマンライブラリーに参加したことだ。疾患や障害がある人などを「本」に見立て、少人数の聞き手「読者」と相互理解を深めるための取り組み。私も「本」役として出席した。
私はそのときに初めて、見知らぬ人に自分の経験を話した。「アルビノについて知ってもらう機会はめったにないし、それを自分の口から伝える機会など、この先ないだろう」という気持ちだった。
実際に話してみると、人前で話すということは想像以上に難しく、途中から自分でも何を話しているのかわからなくなってしまって、額に脂汗がにじんだ。終わった後は、達成感もあったけれど、それ以上に心残りもあってモヤモヤした。「うまくできなかったなぁ」と思いながら、肌寒い渋谷を後にした。
自分のことを人前で話すのは一度きりだと思っていたのに、気がつけば自分の話をし続けて5年が経った。当事者発信は私の大切なライフワークになった。
何度、小学生の頃に学校で年下の男の子から「なんでお姉ちゃんは白いの?」と聞かれ、保健室で散々泣いたエピソードを話しただろうか。何度、アルバイトの面接で「髪を染められませんか?」と面接官に聞かれたエピソードを話しただろう。
それらのエピソードを話すたびに、男の子からぶつけられた純粋な疑問に胸が痛むし、面接官の謎ルールを盾にした態度にはやっぱり腹が立つ。
当事者発信を続ける上で、忘れられない言葉がある。
何年か前、当事者発信の大先輩で、顔にアザのある石井政之さんと飲みに行ったときだった。大体の話題は、外見に症状がある人たちについての話である。私と石井さんは親子ほど年齢が違う。当事者としての価値観も異なる。
私から見れば、石井さんは「差別と闘う当事者」というイメージで、私はどちらかというと当事者と非当事者の「共生」を模索していると思う。どちらのスタンスが正しいというわけではない。私と考え方が正反対の彼の話は、すんなり飲み込めない部分もありながら、気づきをくれる。当事者発信の経験だって段違いだ。
頑張っているけれど、なかなか結果が出ない。そんなときは結構つらい。そのときの私も、頑張って当事者発信をしているけれど、何かが変わったという実感が持てずにいた。その悩みを石井さんに話すと、こう言われた。
「今やっていることは5年、10年先に答えが出る」
こんなに頑張っているのに、その答えが出るのが5年、10年先だなんて……。私は30代になってしまうではないか……。
半分納得しつつ、半分ショックで言葉も出なかった。社会が変わるということは、やはり時間がかかることなのだ。
明日、目が覚めた時にはすべての問題が解決されている……。
そんなファンタジーはあり得ないのだ。残念ながら。
石井さんが悪いというわけではないが、石井さんの言葉があまりにも悔しかったので、解散した後、一人でもう一軒飲みに行ったほどだ。
当事者発信を5年やってみて、あのとき石井さんが言った言葉の意味が少しずつわかってきた。
今でも、この社会はルッキズム(外見に基づく差別や偏見)が根強い。Twitterなどを見ていても、まだまだ外見に症状がある当事者は生きづらさを抱えているようにもうかがえる。私自身も、街中でジロジロ見られることはあるし、ネットでの匿名コメントによる誹謗(ひぼう)中傷も絶えない。
それでも、「外見による差別は許されない」という空気感が醸成されつつあるのも確かだ。
昨年夏の東京オリンピックの開会式をめぐり、タレントの渡辺直美さんをブタにたとえた演出案に多くの人が違和感を持ったようだった。容姿を笑いのネタや中傷の対象にしてはいけないという感覚を持つ人が増えてきているのだと強く実感できた。
企業の採用試験のあり方も少しずつ変わってきた。採用試験で提出するエントリーシートに顔写真の添付が不要な企業も出てきている。顔写真の添付の有無については当事者間でも賛否両論だが、マイノリティに対する企業側の配慮や努力は感じられる。
もちろん、こうした社会の変化が、私の発信によるものではないことは承知している。影響はほぼゼロだろう。それでも「自分のやってきたことは間違いでも、無駄でもなかったのだ」とホッとする出来事だった。
ここ最近、関心が高いテーマは「当事者発信をする当事者の安全をどのようにして守れるか」である。
社会を変えるためには、当事者の言葉が不可欠である。当事者の声によってそれまで見えていなかった課題を可視化させることができる。だから私は当事者発信の可能性をとても感じている。だけどやっぱり、ネット上での匿名コメントの誹謗中傷は怖い。
「アルビノなのにブス」「デブ」「性格が悪そう」
これらは、私がアルビノについて語った記事に対し、ネットに書き込まれたコメントだ。正直、ナイフで心がえぐられるような思いになる。つらい。
誹謗中傷によって、声をあげることをやめてしまう当事者もいる。社会に可視化されたかもしれない課題が埋もれてしまうのではないかと危惧している。
何より、勇気を出して上げられた声がかき消されることは容認しがたい。同じ社会に生きる人々の多様な視点を知り、立場を問わず生きやすい環境をつくる機会が減ってしまう点でも、大きな損失だと思う。
当事者発信をするマイノリティの方々の多くが、私のように個人で活動を行っている。現状では、誹謗中傷を受けたときに黙っているしかない。
こんな状況を私は変えたい。今はまだ具体的な案はないけれど、安全に当事者発信できる環境を整えたり、当事者発信をしたことで傷ついてしまった人をサポートする仕組みをつくったりしたいと思っている。
メディアの人たちにもお願いしたいことがある。
記事が出たり、番組が放送されたらそれで終わりにしないでほしい。
メディアにとっては、記事や番組が世に出たらそれで終わりかもしれない。しかし、発信した側にとっては、そこからが、ある意味で始まりなのだ。
私にも経験があるが、中傷を受けたときに、メディアの人から「その後のことは私たちには関係がありません」という顔をされてしまうと、当事者は誹謗中傷を一人で抱えることになる。こんなことなら、メディアに出るんじゃなかったとなる。これはいかがなものか。
私がこれまでに出会ったメディア人とは、基本的には気持ちよくコミュニケーションが取れている。そんな彼ら・彼女らから学ぶことも多く、そうした人たちと一緒に取り組めることは、当事者発信の醍醐味の一つと言えるだろう。
しかし、いつもうまくいくわけではない。お互い人間なので相性だってあるし、テレビなのか新聞なのか、どのような媒体で取り上げられるかによっても求められるものが異なると感じている。ただ、求められた当事者像に当てはめられることだけはごめんだ。メディアを通して自分の過去を不特定多数の人に向けて語ってきた私ではあるが、それでも語りたくないこと、見せたくないものだってある。
誹謗中傷を受けたとき、メディアの人に「傷つきました」と言えることのほうが圧倒的に少ない。「誰もが弱さを見せられる社会になってほしい」と思っていても、それを実践するのはまだまだ難しい。
かれこれ3年近く関わっている、あるウェブメディアのふたりの編集者は、私が傷つくたびに支えてくれている。「そんなコメント見なきゃいいのに」というI氏と、気持ちに寄り添うK氏の反応はそれぞれ違う。だけど、ふたりからはそれぞれ優しさを感じる。優しい人に、自分のことを委ねたいと思う。
5年前に比べれば、ルッキズムに関する社会の側の認識がアップデートされてきているなと思う。でも、外見に症状がある人への理解は、まだまだ不十分だ。今後5年間で、さらに理解が進んでいってほしい。
さらに私自身、当事者発信をする様々な人たちが、安全に発信できる環境を整えるための取り組みを行なっていきたいと考えている。みんな何かしらの当事者だと思うからこそ、良いことも悪いことも含めて、色んな人の経験や考えを安心して共有できるようにしたい。安心あってこその当事者発信だ。
20代最後の1年も当事者発信を続ける。かっこいい30代になるために。
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。神原由佳さんの歩みについても取り上げられています。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。
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