話題
あなたが新聞を読む理由は? スクープ記者からすると「意外」なもの
朝日新聞ポッドキャスト、チーフパーソナリティの神田大介
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朝日新聞ポッドキャスト、チーフパーソナリティの神田大介
朝日新聞ポッドキャスト(朝ポキ)には、出演者、つまり記者や編集者が、好きなお菓子や懐メロ、マンガなどを語るだけの番組があります。「あれってどうなの?」と社内外の人から聞かれることが少なくありません。
報道機関なのに、情報量の乏しい、ただ雑談をするだけの番組を作っていていいのか、という意味合いです。ところが、こういった番組は人気があるんです。(朝日新聞ポッドキャスト・神田大介)
前回書いたように、朝ポキの番組はどんなテーマでも、誰が話しても、おおむね同じくらい聞かれます。
では、人気がある番組とはどういう存在なのか。
一つの指標は、感想がどれくらい届くかです。フォーム、X(ツイッター)、Spotifyアプリなどから寄せられます。
中でも多くの投稿をいただくのが、「好きなお菓子や懐メロ、マンガを語るだけの番組」なのです。
なぜ感想が多いのでしょうか。
共感しやすいからだ、という仮説を私は立てています。
私はポッドキャストの内容について、4象限で考えています。
X軸は「まじめ-ノリノリ」。Y軸は「情報量-共感性」です。
「まじめ成分と情報量のどちらも多い」のは、たとえば大学の講義。
「ノリノリ成分と共感性のどちらも多い」のは、たとえば芸人さんのトークになります。
新聞社に勤める人には、前者のようなコンテンツこそがすばらしい、正義だという感覚が広く浸透しています。
新聞協会賞をとるような記事は、おおむね「まじめな情報」と言っていいでしょう。
世間で一般に「おもしろい」と言われるのは後者です。「新聞がおもしろくない」と言われるのであれば、それは後者の成分が足りないからかもしれません。
朝ポキではこの4象限のうち、新聞が苦手そうなところに目配りをしつつ、バランス良く配信しようと考えています。
朝日新聞は、読者の方に対してデプスインタビューを行っています。
当人がふだん気づいていないことまで浮き彫りにするような、長時間のインタビューです。どこが好きで読んでくれているのかを、じっくり伺いました。
詳細はポッドキャストの中で話しています。
大きく5つの理由があったそうです。
まずは「真実を知りたい」。正確な情報を提供する、権力に切り込む、声なき声を代弁するなど。
次に「幅広い意見を採り入れたい」。興味の幅を広げてくれる、柔軟性を高める。
そして「知識を増やしたい」。
この3つは新聞社の自画像に近いと思います。
四つ目が「やすらぎを得たい」。人の思いやりに気づかせてくれるような記事がこれに当たります。いわゆるいい話や、ハッピーニュースですね。
新聞には、読むと心がじんと温まるような記事がけっこう載っています。
朝日新聞だと「ひととき」「患者を生きる」といった名物連載がそれに当たると言えるでしょう。
テーマを一言で言えば生老病死。誰の身にも起きることで、その意味ではありふれた事象ですが、だからこそ我がこととして感じられます。
殺伐とした世の中にあって、身近では感じにくいけれど、確かにある優しさや善意。
これを伝えることも、報道の大きな役割です。
ただ、私自身も心当たりがありますが、特ダネ合戦に身を投じていたり、調査報道に専念していたりすると、その大事さは見失いがちです。
最後の五つ目は、「新聞を読む時間が楽しい」。一息つくとき、リラックスタイムのおともとして新聞があるというんです。
これもまた、じっくり読めるタイプの記事やコラムなどが想定されます。
コーヒーを飲むことに似ているかもしれません。
味にこだわる人もいるでしょうが、多くの人にとっては、コーヒーを飲んでいる時間を捻出することに意味があります。
一杯を飲み終えるまでの時間をゆっくりと楽しむ。
私にも心当たりがあります。旅行先で朝食を取った後、ホテルや旅館のロビーで地元紙を読むのが至福の時間なんですよね。
地方であったイベントを知ったり、投稿欄を読んだりして、生活の息吹を感じるのはとても楽しい。
つまり、新聞って単に情報を得るためだけに読むものじゃないんです。
誰も知らない事実を世に示すスクープや、社会のあり方を変える調査報道、人知れず涙を流す人に目を向ける警鐘記事、地を這うようなルポなどの価値は、昔も今も変わりません。
でも、それ以外の記事を待っているひと、そんな記事があるから新聞を読んでいるひともたくさんいるんです。
ところが、当の新聞社で働く人たちがそれに気付いていない。
なので冒頭に紹介したような反応が起きてしまうというわけです。
新聞は「えらそうだ」「上から目線だ」と批判されることが少なくありません。
ここには構造的な問題もあると私はにらんでいます。
たとえばスクープって、誰も知らないことを世に知らせる行為です。記者は情報を与える側で、読者はそれをもらう側。
つまり、学校の教室における先生と生徒のような関係性をどうしてもはらんでしまいます。
これに対し、いま挙げた四つ目と五つ目の価値に共通するのが「共感性」です。
読者の方々やリスナーさんと同じ目線でやりとりをします。おしゃべり、雑談、井戸端会議、悩み相談などに近いと言えるでしょう。
話し手と聞き手、記者と読者、両者の関係性はフラットです。
注目したいのは、どちらが伝わりやすいのかという点です。
新聞社に勤める私たちは、伝えることのプロでなくてはいけません。
先生のお説教と友達のおしゃべりだったら、どちらを聞きたいかは明白ではないでしょうか。
そんなわけで朝ポキは、話し言葉でニュースを伝えることに挑戦しています。
「中村哲さん殺害事件 実行犯の『遺言』」や「追跡 金正男暗殺」の著書がある乗京真知記者は、出版社の編集者にこんなことを言われてしまったそうです。
「記者の書く本はたいてい面白くないですよね」
記者は短く端的に現象を詰め込むことに注力している。それでは読者には届かない。
取材をしようと思った動機、展開での情緒、行間と言った「脂身」のところを求めている。
結論だけを求めているのではない、とのこと。
そこで乗京記者は、自らが朝ポキに出演したときの発言を書き起こしてまとめ、著書に掲載しています。
そうすることで、書き言葉としての原稿に足らない部分を補ったんだそうです。
書き言葉と話し言葉は様々な点で大きく違う存在です。
それについては次回以降、また詳しく触れていこうと思いますが、その一つに「人数」があります。
書き言葉はふつう、一人で紡ぎ出すものです。
対談を文字起こしする場合もありますが、タレントや売れっ子作家などに限られる、特殊なケースと言えるでしょう。
最も古くからある書き言葉とは、たとえば戸籍です。
日本では645年の「大化の改新」を機に作られたことが知られています(もっと古くからあるという説もあります)。
読んでおもしろいものではありません。書くという行為は元来、記録を第一の目的としているところがあります。
一方で、話し言葉には相手がいるのがふつう。一人で話すこともできなくはありませんが、これまた珍しい例と言えそうです。
つまり、他者への伝達を第一の目的としている。
どうすれば伝わるかを考えたとき、話し言葉には一日の長があると言えそうです。