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「今は自由に歌える日本だけど…」イランのハーフが動画に込めた思い

歌手として活躍する今のメヘリーさん(右)と、イランで暮らしていた中学時代のメヘリーさん=本人提供
歌手として活躍する今のメヘリーさん(右)と、イランで暮らしていた中学時代のメヘリーさん=本人提供

目次

昨年末に政府への抗議デモが始まり、武力鎮圧などで多くの犠牲者が出ている中東・イラン。いまなお混乱が続くなか、父がイラン、母が日本人というインフルエンサーのメヘリーさん(20代)が「イランは遠い国だけど、他人ごとじゃない」と、日本人に向けてショート動画で情報発信を始めました。彼女の思いを聞きました。

《メヘリー(Mehri) 2000年代、愛知県生まれ。4人きょうだい(長女、次女、三女、長男)の次女。幼少期は父の仕事の関係などでイランと日本の往来を繰り返し、4~14歳のころにイスファハンと首都テヘランで過ごす。14歳で親族を頼って一家で愛知県に戻り、美容専門学校などを経て美容師として働いた。現在はInstagramやTikTokなどで、歌手・インフルエンサーとして活動している。》

イランの状況について発信しているメヘリーさん=本人提供
イランの状況について発信しているメヘリーさん=本人提供

ずっと「地獄」のなか

ーーイランでの抗議デモは、経済苦境をきっかけに昨年12月28日に始まり、当局側の激しい弾圧もありました。当局側は数千人が亡くなったと公表しています。

メヘリーさん:

同じく日本で暮らしている姉や妹とは「生きている心地がしない」「母国がこんな状態なのに何もできず、つらい」と話しています。

でも、イラン現地の人々はそんなレベルじゃない。ずっと「地獄」のなかにいます。今回は、きっかけこそ物価高ですが、イラン革命(1978-79年)でいまの政治体制になってから長年、人権と自由を奪われ続け、人びとには不満がたまっていました。

2022年には、ヒジャブ(髪を覆う布)のかぶり方を理由に拘束された女性が後に死亡した事件をきっかけに、都市部で大きな抗議デモが起きました。私は2014年ごろ、中学2年のときにイランを離れましたが、国民の不満がいつ爆発してもおかしくないと、ずっと感じていました。

年明けしばらくは、イラン現地の人々がみんな、命がけでデモや弾圧の様子を発信してくれていました。私の現地の友人からは「いま本当にやばい」とメッセージが届きました。その友人はデモには参加していないみたいでしたが、ネット遮断で連絡が途切れてしまって、いまは無事かどうかも分からない状態です。

デモには、10~20代の参加者がたくさんいると聞いています。女性差別、大気汚染、経済危機……。みんな本来は母国が大好きだからこそ、国のひどい状況を変えたいと立ち上がったんです。

私自身も、仮にいまイラン現地にいたら、間違いなくデモに参加していたでしょう。自宅で、物価高によって飢えて死んでしまう可能性があるのなら、命がけでも、生きるために声を上げたいと考えていたはずだからです。

中学時代のメヘリーさん=2013年ごろ、イラン、本人提供
中学時代のメヘリーさん=2013年ごろ、イラン、本人提供

ーーメヘリーさんは父の仕事の関係で日本とイランを行き来し、14歳までの10年間ほどはイランで生活していたそうですね。

徹底的な男尊女卑の社会でした。「女は外でゲラゲラ笑うな」「すました顔で下を向いて歩け」「日が暮れたら女だけで外出するな」。周りの大人たちから、そう言われて育ちました。

イランでは9歳以上の女性は、ヒジャブの着用を義務づけられていて、私は8歳の時から着ていました。外では髪の毛も出しちゃいけないし、体のラインが見える服も着てはいけない。私は歌が好きでしたが、公の場で歌うことは許されない。ある程度自由でいられるのは家の中だけ。とても窮屈でした。

だから、14歳で日本に戻ってきたときは、あまりの違いに驚きました。

男女が同じ教室で、みんなワイワイ楽しそうに遊んでいて、恋愛の話も堂々としている。学校での会話内容これでいいの?と拍子抜けしてしまうくらい。

でも、考えてみれば、イラン女性の法定結婚年齢は13歳なので、日本より早く大人にならないといけなかったのかもしれません。日本社会は、子どもが子どもらしくいられるところなんだなと感じました。

校外でも、友達とプリクラを撮ったり、サイゼリアで試験勉強したり、自転車で遊びに出かけたり。文化祭では大勢の前で生まれて初めて歌を披露し、「うまい」と褒めてもらえてうれしかったです。同じアジアでもこんな世界があるんだと。驚きの連続でした。

両国を知る私だからこそ

ーー普段はSNSで歌う動画コンテンツなどを配信しているメヘリーさんですが、今回は、そういったイランルーツの背景とともに、イランの現状について発信しましたね。

イラン現地の人々は発信を制限されているし、そもそも発信できる余裕はありません。一方で、私は自由に発信できる日本にいる上、ペルシャ語の情報が理解でき、イラン現地の雰囲気も知っている。そんな私だからこそ、日本人に向けて発信しなければ、と思ったんです。

1~2分ほどのショート動画で、私自身のイラン生活を振り返りながら、人権侵害や物価高の状況も紹介しました。「これは遠い国の政治の話じゃない。人間がどう扱われるかの話なんだよ」と、日本人の皆さんにもつながっている話だということを感じてもらえるように訴えました。

大半の日本人は、イランで多くの人々が犠牲になったというニュースを見ても、「ああ、日本に生まれて良かった」「自分とは関係ない遠い国」「かわいそう」という感想で終わってしまうかもしれない。

日本人の多くにとってイランは「別世界の危ない国」かもしれませんが、イランも半世紀前までは、日本と同じように比較的自由な国でした。

イラン革命の後、国はある日突然、「危ない国」になったわけじゃない。小さな制度変更や取り締まりが積み重なって、国民は「この程度なら」と慣らされていきました。気づいたときには、自由が削られた状態が〝普通〟になっていたんです。

今の日本が自由なのは当たり前じゃないし、将来ずっと同じ状態かどうか保証はない。だから、イランの人権侵害も他人ごとじゃなくて、今の日本にあてはめて考えてほしいんですよね。

今の日本社会は、言論の自由があるのにもかかわらず、政治関連の話をしづらい雰囲気がありますよね。でも、話しづらいからと言って、そのまま無関心でいることは、権力者側の思うつぼになってしまう可能性もあると思うんですよ。

高校時代のメヘリーさん(右から2番目)と、同級生たち=愛知県、本人提供(画像の一部を本人が加工しています)
高校時代のメヘリーさん(右から2番目)と、同級生たち=愛知県、本人提供(画像の一部を本人が加工しています)

ーー今回のメヘリーさんの発信には、大きな反響がありましたね

「イラン国民を応援しています」「平和が訪れますように」と、たくさん温かいコメントをもらいました。ここまで他国のことに関心を持ち、一緒に悲しんでくれるとは思わず、とてもうれしかったです。

「イランの状況を知ることができて良かった」というコメントも多かったです。小中学生からも「勉強になった」とメッセージが届きました。

今後もイランの情勢は刻々と変わっていくので、引き続き発信を続けたいです。情勢はもちろんなのですが、より伝えたいのは「イランで起きていることは、他人ごとじゃない」ということ。そして、「自分の国を変えるのは政府ではなく、あなた自身だ」ということ。だから、先日の衆院選挙にかぎらず、普段から政治や選挙を身近な問題として関心を持ってもらいたいと思っています。

政治状況は最悪なのですが、イランに悪いイメージばかり持ってもらいたくはないんです。イランの国民は、親切でおもてなしが大好き。初対面でも困っている人をすぐ助けるし、すぐに仲良くなれる。いつでも家に友達を招待できるように、室内をきれいにして、スイーツや果物を常備しています。

私も早くイランに遊びに行きたいですし、みなさんにもイランを楽しんでもらえる日がはやく来るといいなと願っています。

東京で路上ライブをするメヘリーさん=本人提供
東京で路上ライブをするメヘリーさん=本人提供

力強い語り口にひかれて取材依頼

記者の私が取材を申し込んだきっかけは、Instagramで偶然目にしたメヘリーさんの動画でした。母国の危機を訴える力強い語り口にひかれ、話を聞いてみたいと考えました。

両国を行き来しながら、イランで10年ほど、日本で15年ほど過ごしたというメヘリーさん。インタビューでは「両国を見たからこそ、自由が当たり前のものじゃないと実感した」と、語ってくれました。

女性が男性と同じ教室で授業を受けられること、自転車で自由に出かけられること、カラオケでも路上でも自由に歌えること。日本に戻ってきたばかりのころは、すべてが新鮮に映ったそうです。

「いまは自由に歌える日本にこそ、自由を奪われた国の歴史を知ってほしい」

イランのニュースはなじみが薄いと感じがちかもしれませんが、メヘリーさんの視点を通じて学べることがあると感じました。

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