連載
#19 名前のない鍋、きょうの鍋
転勤族が見つけた、うちの定番〝名前のない鍋〟 志した仕事への喜び
「わた鍋」をつついて語る、漫画への愛
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、漫画への愛がほとばしる、編集者の女性のもとを訪ねました。
渡邉澄恵(わたなべ・すみえ)さん:1987年生まれ。父親の転勤に伴い、18歳までを8県で暮らす。漫画好きで、高校時代に同人活動を始める。駒澤大学国文学科卒業。2014年、電子書籍の出版社にアルバイト勤務を経て入社。2019年に同社の社長となり、現在は顧問として勤務。夫とふたり暮らし。
朝の霞のまち、なんていい名前だな。そう思いながら、はじめての道を歩く。
埼玉県の南部、朝霞(あさか)市に渡邉澄恵さんは暮らしている。
駅からバスで10分ほどの新興住宅地に住まいはあった。大きなホームセンターが徒歩すぐ、買いものが便利そうだ。
「ここを選んだ理由のひとつです。といっても、夫が立地や施工会社を調べて『良さそうだ』と言ってたので、じゃあいいんだろうな、って。住んで3年目になります」
渡邊澄恵さんはにこやかに迎えてくれた。
今年35歳、物心ついたのがちょうど平成初期という世代だ。生まれたのは鳥取県米子市。だが記憶はまったくない。
「父の転勤が多かったんです。各地のおみやげものの製造販売会社で。生まれたのは鳥取ですけど、三重、石川に行って、山口県で小学1年から5年までを過ごして、次に宮崎、また石川、高校時代は和歌山と大阪で」
なんとまあ、忙しい……。実は私も転勤族の子、聞いていて当時の複雑な心情がよみがえってきた。
渡邉さんはどんな思いだったろう。転校の連続が、自分に与えた影響などはありますか。
「ありますね。人を観察するクセがついたというか……どうしたらこの場でうまく生き抜けるだろう、と考えるようになったかな。私、山口県に引っ越したのがちょうど小学校に上がるタイミングで。すでに幼稚園や保育園の仲良しグループがあるわけですよ。どうやったらそこに入れるかと考えて、得意だった絵を描いたんです」
当時人気だったセーラームーンの絵を描いたら「すごい!」「私にも描いて」と喜んでもらえた。打ち解けるきっかけができた。
小さい頃から大の漫画好き、描くのも得意だったという澄恵さん。
「きょうだいもいなくて、引っ越しが続くからか、本や漫画は親がわりと惜しみなく与えてくれたんです。クラスの子と貸し借りもして、小さい頃からあれこれ読んでましたね。少女漫画、少年漫画問わず」
好きな作家を訊けば、いくえみ綾、矢沢あい、志村貴子、浦沢直樹、手塚治虫の名がすぐ上がった。
澄恵さんが中学生の頃、ざっくり20年前ぐらいから「この漫画は男(女)が読むもの、大人(子ども)が読むもの」というボーダーが薄れてきたように感じる。
と、話がちょっと逸れてきた。この企画はいろんな方の「普段の鍋」を見せていただくのが本軸。
今回も「その日の気分で、お鍋を作ってください」とお願いしてある。ご用意いただけますでしょうか?
「知ってます? 『とり野菜みそ』って。石川に引っ越したとき、母親が『めっちゃおいしいね』とハマって、以来うちの定番になったんです。石川を離れても取り寄せるぐらいで」
『とり野菜みそ』は石川県のメーカー、まつやの人気商品だ。いわゆる鍋の素で、まろやかでちょっと甘めの味噌味。
「とり野菜」とは野菜をたっぷりとりましょう、的な意味が込められている。石川とその周辺県では知らぬ者はないほどの人気だ。近年は関東のスーパーでも見かけるようになった。
「具材はあるものや気分で、決まりはないです。きょうはこんな感じ。白菜に割切シールついてるの恥ずかしいな……でもまあ、撮っていいですよ(笑)」
ご実家では『とり野菜みそ』を使った鍋を「わた鍋」と呼んでいる。具材は何だろうと、うちのお決まり鍋だね、渡邉家の「わた鍋」だね、と。
「今晩は何?」「わた鍋だよ」なんて会話を想像して楽しい気分になった。
料理は好きでもなく得意でもない、と澄恵さん。
大学時代に東京でひとり暮らしを始め、「まあ、しょうがないな」ぐらいの感じで料理を始めた。
ネットで検索してレシピを探るというのが世の中的に定着してきた頃だった、と振り返る。
「夫はたまにシチューとか作りますね。私よりずっと本格的。ただお互いあまり食に対してこだわりが強くないんです。私は……食べたいものが浮かばない日も結構ある。お菓子でいいや、なんてときも(笑)」
澄恵さんは現在、漫画編集者として働いている。
リーマンショックの影響をもろにかぶった世代だ。
「就職状況、前の代までは良かったんです。でも私はもう大変」
好きだった漫画や本に関係する仕事に就きたかった。電子書籍の制作会社に23歳のときアルバイトで入る。
「事務作業員として入ったんですが、私わりと喋るほうなんです。『営業補佐もやってほしい』となり、そのうち本当にやりたかった編集など制作方面もやらせてもらえるようになって」
27歳のとき、社員として登用される。女性向け漫画レーベルの立ち上げを任され、売り上げを伸ばした。
「学生時代、漫画の同人誌を作ってて。商業誌で描かせてもらった経験もあり、仕事に役立ちました。作家さんが何を望むか、どう扱われたいかを少しは分かっていたというか。うちで描きたいってどうやったら思ってもらえるかを考えましたね」
4年ほど編集制作として働き、係長の待遇を得る。
そしてなんと親会社の役員から急に「社長をやらないか?」と声がかかった! この会社をどういう会社にすべきか考えられる人材と見込まれての話だった。
「驚いたし、固辞しましたよ何度も。経営のことなんて分からない。でも『数字は分かる奴に任せればいい。不似合いな地位と思っても、就くことで人間は成長できる』と言われて。今後は『会社を編集するということか』と思って、引き受けました」
2年後にグループ企業の再編があって代表取締役ではなくなるが、貴重な人生経験になり、社長職をやってよかったと振り返る。
「いろんな角度で漫画と関わることができた。今は顧問として、また編集者として現場にも関わっています。漫画の可能性を広げたい」
現在企画中の話をこっそり教えてくれた澄恵さん、漫画や編集論の話になったら止まらなくなった。志した業界で、好きなフィールドで働ける喜びを忘れない人だな。
話を聞いていたら、なんだか私も初心のようなものを思い出してきた。妙に歩きたい気持ちになって、もう日も暮れていたけれどバスを使わずに駅まで帰った。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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