連載
#1 火事に遭ったら?
まさか火事に…黒こげで水浸しの自宅に呆然 「初期の支援」の大切さ
「助けて」声あげづらい理由
「家が燃えてる」――。そう電話をもらったときは耳を疑ったという番組プロデューサーの河瀬大作さん。「まさか自分が火事に遭うとは思いもしませんでした」と振り返ります。体験者との交流を通じて「初期の支援」の重要性を感じ、サポートプロジェクト「火事部」を発足しました。きょう9日から15日は秋の火災予防運動期間。「火の用心」や火災直後のサポートについて考えてみませんか?
河瀬大作さん:1969年、愛知県生まれ。NHKの「有吉のお金発見!突撃 カネオくん」「おやすみ日本」などを手がけてきたプロデューサー。2019年に災害からの復興を支援するFUKKO DESIGNを設立。2022年7月には退社して株式会社Daysを起業。映像制作やSNSなどのコミュニケーションをお手伝いしている
河瀬さんの都内の一軒家が火事に遭ったのは2年前の2月10日。
早朝に出勤し、自分のスマホに電話があったのは9時前でした。
「家が燃えてる」
すぐに自宅へ引き返し、午前9時過ぎに到着。ぼうぼうと火が上がっているというよりも、家の中から黒い煙が出てくすぶっているように見えました。
子どもたちは着の身着のままで、近くの工務店の軒先に避難していました。受験を控えた当時高校3年生の息子は靴下のままで、貸してもらったスリッパを履いていました。
「まさか、火事なんて……何があったんだ……」と呆然としたといいます。
最初に気づいたのは、当時小学生だった2人の娘でした。玄関付近で煙が出ていると驚くと、その後の火の回りは早かったといいます。
火が酸素を求めてはい回り、ガラスがバンバンと割れる音が響くなか、子どもたちはそのまま家を飛び出しました。
その付近で出火原因になりそうなものといえば、電気ストーブか電動自転車のバッテリー充電器ぐらい。しかし実況見分などをしても、「どちらもコードがショートしていて、どちらが先に出火したのかは分からない。それが燃え移ったのだろう」と言われました。
出火原因が分からず、どこにもぶつけようのない思いになったそうです。
鎮火して13時ごろには自宅へ入れましたが、家の中は真っ黒でした。
焼け残ったのは1階の書斎と寝室だけでしたが、消火の際に水浸しになり、とても使える状態ではありませんでした。
その日のうちに区の担当者が現場を訪れ、おずおずと「被災した方へ」という案内を手渡しました。
燃えたゴミの処理方法、税金の減免措置……さまざまなことが書いてあり、「落ち着いたら区役所に来てください」とも言われました。
「ところで、今日はどこで寝られるんですか?」
そう尋ねられて、初めて河瀬さんは「そうだ、家族みんな、寝るところがないんだ」と気づいたといいます。
河瀬さんの住んでいた区では、火事の被災といった緊急時に対応するためにホテルがおさえてあり、予約しなくても1泊5000円ほどで泊まれると説明を受けました。
しかし、仮住まいを見つけるにしても、少なくとも10日から2週間ぐらいはかかります。その間、妻と、当時高校3年生の長男、小学6年生の長女、小学3年生の次女の5人がホテルに宿泊するとしたら、かなりの出費になってしまいます。
Airbnbで家族みんなが泊まれる宿泊施設を探したところ、コロナの流行が始まった直後で、インバウンド客がいなかったことが幸いし、「1泊1万円でキッチンもあるところが見つかって、本当に『助かった』と思いました」と話します。
河瀬さんは「火事に遭った時は、まず『罹災証明書』がないと何もできないんです」と話します。すぐに発行してもらいたかったけれど、翌日は祝日でした。
保険の請求やゴミの処理、ご近所へのおわびや、次の住宅のめどなど、目の前に積み上がった問題が何ひとつ解決しない。ネットで情報を探しても、役立つ情報がほとんどありません。
明確に分かっていたのは「なるべく早く次の家を探さなければならない」ことでした。
「気が動転して、1週間ぐらいは家族みんな気を張ってましたね。火事の片付けや、子どもたちの学校のこと、やらなきゃいけないことが押し寄せてきて、でも普通のことをする意欲が全くわきませんでした」
河瀬さんは当時のことを思い返し、「被災直後の最初の2週間に、支援者がいる大切さをひしひしと感じた」と話します。
河瀬さんの同僚ふたりが毎日、宿泊場所を訪れ、さまざまなことを手伝ってくれたのです。
ふたりがFacebookに河瀬さんをサポートするグループを作り、そこに友人たちが参加してくれました。ほしいものを登録したAmazonウィッシュリストを作ってくれて、調理器具や洋服など、生活に必要なさまざまな物資が届いたといいます。
都内の空き家を紹介してくれる人も現れ、広さや立地など、条件のいい次の住まいを選ぶこともできたといいます。
「しなければならないことが山積みなのに、何もできないような気持ちになっている2週間。誰か一人が助けてくれるだけで、復興までの時間が全く変わるなと思いました。そういう仕組みを作れたらいいのになと思うようになりましたね」
自宅の近所の、妻の友人たち「ママ友」LINEグループのサポートも力になったといいます。
仮住まいに交代で訪れ、タッパーでごはんを持ってきたり、きれいなランドセルを譲ってくれたり……。
「自分の身の回りの『セーフティーネット』が可視化される感じ。普段、こういう人たちに支えられて生きているんだ、と実感しました」
逐一「何がほしい?」「何に困ってる?」と聞くのではなく、リストに応じてサポートしてくれたり、自身の生活に置き換えて困っているものを想像したりしてくれることが何より助かったといいます。
「『困ったことがあったら言ってね』と言われても、こちらはなかなか『助けて』『困っています』と言えないんですよね。本当にありがたかったです」
特に火事は、近隣にも迷惑をかけてしまうことが「困っている」と言いづらいことにもつながっていると、河瀬さんは指摘します。
幸い、河瀬さんの場合、延焼の被害はあまり広がりませんでした。「これが集合住宅だったらさらに大変だっただろうと思います」と話します。
「自分が火事に遭って初めて知ったんですが、出火した人に重大な過失がない限り、延焼で被災した家は、そのお家が入っている火災保険で直すそうなんですね」
「でも、不安な思いをさせたでしょうし、ひどい匂いもしました。消火のために隣の家に消防隊が上がらせてもらって水をかけたとも聞きました。火事から4日後、お詫びに伺いましたが、ご近所の皆さんは、逆に心配してくれたり、荷物を預かってくれたり……涙が出るほどありがたかったですね」
河瀬さんは、そんな自身の体験を、noteで発信してきました。言いづらさも感じましたが、勢いで一気に書き上げて投稿すると、同じように火事に遭った人から「自分は10年間も火事に遭ったと言えずにいた」「火事で妻を亡くし、誰にも正直な思いを打ち明けられなかった」などと連絡がくるようになったといいます。
河瀬さん自身も、火事の経験者3人で集まり、誰のことも気にせずに自身の体験を話せたことで、思わず涙したといいます。
「火事になると必ず聞かれることってあるよね」「家族は無事だった?」「出火原因って気になるよね」「相手に心配されちゃうと、元気にふるまっちゃうことってあるよね」……。
こんな風に、火事の当事者が集い、つらい思いを打ち明けられる場があったら――。
「この人になら、自分の体験を話しても大丈夫、と思える人がいるというのは本当にラクなんですよね。伴走してくれる人がいるだけで、被災直後のつらい気持ちが本当に変わります」
そんな思いから、河瀬さんは今年10月、代表理事としてたずさわる「一般社団法人FUKKO DESIGN」に「火事部」をつくりました。
これまでも河瀬さんは、FUKKO DESIGNで災害の被災地支援や、防災の情報発信などに取り組んできました。
自分が火事で支援される側になり、メンバーと話し合ったところ、火事からの復興をささえるプロジェクトをFUKKO DESIGNのなかにつくったらどうか、と「火事部」が発足することになりました。
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