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注目の裏側、コント師らの苦労 コントが漫才に〝遅れ〟をとったわけ

『THE CONTE』でMCを務めたお笑いトリオの東京03。(左から)豊本明長、飯塚悟志、角田晃広=2016年7月22日撮影
『THE CONTE』でMCを務めたお笑いトリオの東京03。(左から)豊本明長、飯塚悟志、角田晃広=2016年7月22日撮影 出典: 朝日新聞社

目次

6日に日本一のコント師を決定する賞レース「キングオブコント」の決勝進出メンバーが発表され、話題を集めた。直近の8月には大型コント特番『THE CONTE』(フジテレビ系)が放送されるなど、ここにきて「コント」そのものが盛り上がりを見せている。過去を振り返れば、『THE MANZAI』(同)や「M-1グランプリ」の例が示すように、特番や賞レースは漫才が先行し、コントは遅れをとっていた。その理由はどこにあるのか。「コント」の勢力が増し始めた近年、その背景やターニングポイントをたどる。(ライター・鈴木旭)
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目を見張る「コント」の盛り上がり

「キングオブコント2022」のファイナリストが6日に発表された。決勝メンバーは、いぬ、かが屋、クロコップ、コットン、最高の人間、ニッポンの社長、ネルソンズ、ビスケットブラザーズ、や団、ロングコートダディの10組。岡野陽一と吉住のコンビ・最高の人間が即席ユニット初の決勝進出を決めるなど、開催前から大きな話題となっている。

8月7日にはコント師によるコント師のための特番『THE CONTE』(フジテレビ系)が放送された。MCの東京03、かまいたちのほか、バイきんぐ、かもめんたる、シソンヌら歴代のキングオブコント王者、アンガールズ、チョコレートプラネット、ザ・マミィなど中堅から若手まで総勢15組がコントを披露した。

前日の6日昼には、『THE CONTEへの道』(同)の中で本編の出場権を懸けた若手コント師20組による戦いの模様が放送され、ゼンモンキーが優勝。本編でも同じネタ(アウトドアショップで巻き起こる一人用テントにまつわるコント)を披露し、東京03・飯塚悟志から「あれは最後絶対盛り上がる」と称賛された。

『THE CONTE』は、昨年のキングオブコント王者・空気階段が発した「なんで『THE MANZAI』(同)のような番組がコント師にはないのだろう」という一言をきっかけに立ち上がったそうだ。『THE MANZAI』とは、1980年代初頭の漫才ブームを象徴する演芸番組であり、現在は漫才の祭典として毎年12月に放送されている特番である。

なぜ漫才の特番は早くから存在し、コントは遅れをとったのか。そこには、各ジャンルの特質と関東と関西の土壌、ある時期までのお笑い界の閉塞感が大きく関わっている。

コントに“ブーム”はなかった

『THE MANZAI』は、1980~82年に渡って放送されていた伝説的な演芸番組だ。B&B、ツービート、紳助竜介、ザ・ぼんちといった若手コンビが次々と登場し、若者を中心に全国的な人気を獲得。それまでの「関西で支持される年配者向けの演芸≒漫才」というイメージを覆した番組である。

同番組は『花王名人劇場』(フジテレビ系/関西テレビ制作)とともに漫才ブームをけん引。主要メンバーは『オレたちひょうきん族』(同)にも出演してテレビスターへの道を駆け上がり、同時にフジテレビにおける総合バラエティーの基礎を築いた。

2001年に『THE MANZAI2001ヤングライオン杯』として放送され、2010年のM-1終了を受けて2011年~2014年まで賞レースとして復活。その後M-1が再スタートすると、実力派漫才師が次々とネタを披露する祭典へとリニューアルし、年末恒例の番組となった。

コントには、1960年代のトリオブーム(伊東四朗ら「てんぷくトリオ」などがけん引した演芸番組発のブームの一つ)を除けば大きな流行がない。『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)や『8時だョ!全員集合』(TBS系)など古くからテレビで親しまれていたからこそ、後からあえて特番化したり、賞レースを始めたりといった、ジャンルとしてのブームが起きにくかったと考えられる。

どちらかと言うと、旬なコメディアンや芸人が(通常枠の)コント番組をスタートさせるイメージが強い。コントは漫才に比べて長尺に向いており、別ジャンルの俳優やアイドルを参加させやすい利点もあるからだろう。

M-1には明確な意図があった

「ラーメンズ」(2020年にコンビでの活動を終了)。片桐仁さん(左)と小林賢太郎さん=2002年2月7日
「ラーメンズ」(2020年にコンビでの活動を終了)。片桐仁さん(左)と小林賢太郎さん=2002年2月7日 出典: 朝日新聞社
M-1は2001年、キングオブコントは2008年のスタートだ。テレビと連動した賞レースにおいても、漫才はコントに先駆けている。

というのも、M-1には明確な意図があった。主催の吉本興業は、エンタツ・アチャコの登場以来しゃべくり漫才を事務所の軸としてきた。それまでに文化としてあった三河万歳、尾張万歳といった「万歳」の表記を「漫才」としたのも吉本興業である。それほど思い入れのある漫才を、さらに活性化させたいと考えるのはごく自然なことだ。

これに加えて、大会実行委員長を務めた島田紳助氏は漫才ブームの恩恵を受けた張本人である。だからこそ、あえて結成10年以内(現在は15年以内)の出場資格を設けて若手を奮い立たせようとしたのだろう。また、後続のダウンタウンの登場によって漫才そのものにポテンシャルを感じた部分もあったのかもしれない。

一方のコントは、テレビ的なものと演劇的なものとに分かれていた。若手の場合、テレビでは短い尺を求められ、ストーリー性のあるコントは披露しにくい。これを受けてダウンタウンと同じ「お笑い第三世代」にあたるウッチャンナンチャンは「ショートコント」を確立した。

「ショートコント、○○」と先にタイトルを言ってからコントに入り、コンビニの自動ドアが開く模様を手の所作と「ウィーン」という声で表現するなど余計な説明を省いた。これは、「ラ・ママ新人コント大会」(コント赤信号のリーダー・渡辺正行が主催するお笑いライブ)に出演していたバンドおよびお笑いグループ・ジャドーズから影響を受けた画期的なコントスタイルだった。

ただ、ウッチャンナンチャン以降の1990年代は、無表情のままシュールなボケを繰り出し、やや強めのトーンでツッコむスタイルの漫才やコントが大半を占めた。ダウンタウンの影響力が非常に強く、独自性を打ち出しにくかったためだろう。このフォーマットを昇華したコント師と言えばバカルディ(現:さまぁ~ず)やフォークダンスDE成子坂などごく一部に限られていた。

2008年にキングオブコントが開始した時点では、キャラを演じない雑談とも受け取れるようなネタを披露する芸人も予選に出場していた。まだ大会の色が定まっていなかったのと同時に、“コメディアンではなく、芸人によるコント”の概念も若干曖昧だったのではないかと思う。

漫才師に対して「コント師」という呼称が使われ始めたのも、日本一の漫才師を決定するM-1がスタートし、東京を拠点とするバナナマンやラーメンズ(2020年、コンビでの活動を終了)らがライブシーンで確固たるポジションを築いた2000年代前半あたりだったと筆者は記憶している。

当時からコントの主流は東京にあったものの、ライブシーンとバラエティーの状況があまりにも乖離していた。そんな背景もコント師の躍進を遅らせたのではないだろうか。

関西で育ちにくかったコント文化

大阪吉本に所属するコント師は、ある時期を境に東京へと拠点を移す。次長課長、GAG、蛙亭らは、これに該当する芸人たちだ。なぜこうした流れがあるのか。それは大阪という特殊な土壌が関係している。

昨年、筆者は東京進出したうちの1組であるGAG・福井俊太郎を取材した。そこで福井は「東京と大阪では、コントをやれる土壌がぜんぜん違います」とその理由を語ってくれた。

「大阪はやっぱり漫才の国。まずお客さんが劇場に足を運んだ時点で『漫才を見せてくれるもんだ』と思っていらっしゃるんです。とくに地方から来られる方は漫才を見たくて来る。コントを始めると、『これは何をしてるんだ?』みたいな空気がちょっとあるんです。ガッカリ感というか。それに比べて東京は、コントを見たいお客さんの分母が本当に多い」(2021年12月9日に「FRIDAYデジタル」で公開された「KOC4度決勝進出のGAG福井が語る『コント界の大変化』」より)

関西のコントを守るべく結成されたユニット「関西コント保安協会」(メンバーはロングコートダディ、セルライトスパ、ニッポンの社長。2021年に特番が放送された)のように、大阪を拠点に活動する芸人も出てきてはいる。

しかし、彼らは大阪の土壌にコントを根付かせようと奔走する先駆者たちだ。それくらい大阪にはコント文化が育ちにくかった。この点もコント師とテレビの結びつきを遅らせた一因だろう。

コント番組復活の裏に若手の行動力

長らく日本経済の不況が続き、そもそも“コント番組はできない”という雰囲気があったのも事実だ。

2019年に「コント村」(ゾフィーの上田航平、ハナコの秋山寛貴、かが屋の加賀翔、ザ・マミィの林田洋平からなるコントユニット)や前述の「関西コント保安協会」などが立ち上がった背景には、芸人主導の活動で「コント師が生活できるようにする(または、コントを守る)」という目的があった。

「お笑い第七世代」ブームが訪れるまでのバラエティーは、中堅芸人の活躍が目立ち若手につけ入る隙を与えない空気感があった。また、「M-1王者は活躍するが、キングオブコント王者は売れない」というイメージも根強かった。さらには芸人のYouTubeチャンネルが増え、個々の活動が目立ち始めたタイミングでもあった。

昨年、この件について「コント村」の村長(リーダー)であるゾフィー・上田に直接取材したのだが、その言葉から感じたのは想像以上に当時のお笑い界がコント番組をスタートさせることに後ろ向きだったことだ。

「2019年ぐらいまでは、『絶対、コント番組なんかできない』ってすっごい言われたんです。けっこう上の先輩に相談しても、『不景気でお金ないからセットも組めない』とか『毎週新ネタとか無理だよ』とかって。でも、やりたいって言い続けてたら、特番のコント番組『お助け!コントット』とか『東京 BABY BOYS 9』(ともにテレビ朝日系)につながったんです。

(中略)そういうのもあって、『周りに言ったほうが現実になる』とか『やりたいからやる』って流れになっていったんじゃないかなと思うんですよね」(2021年12月15日に「FRIDAYデジタル」で公開された「『コント』で世界を目指す!ゾフィー上田が追いかける野望」より)

上田の行動力もあり、その後『Do8』や『新しいカギ』(ともにフジテレビ系)など続々とコント番組が増えた。漫才は大道具や小道具が必要ないうえ、ネタ時間も調整しやすい。コント番組が敬遠されてきたのは、こうした業界内の空気感によるところも大きいだろう。

開かれた状況だからこそコント番組を望む

この数年、コント界は非常に活気づいている。吉本興業の劇場にかが屋、トンツカタンといった他事務所のコント師が登場することも珍しくなくなり、事務所の垣根を超えたライブイベントも数多い。

また、今年1月には「アキナ×かが屋」、6月には「アキナ×かもめんたる」のツーマンライブが京都のよしもと祇園花月で開催されている。アキナ・山名文和、昨年のキングオブコントで準優勝した男性ブランコなど、関西出身でありながらラーメンズに影響を受けた芸人も珍しくなくなった。そのことで、東西の壁もなくなってきたように思う。

昨年11月には、ニコニコ生放送のネット配信番組『もリフのじかん』から派生した武道館ライブで東京03・飯塚がザ・ドリフターズの加藤茶、仲本工事、高木ブーとコント共演を果たした。幕間ではかが屋もネタを披露し、ゾフィー・上田が提供したコントをももいろクローバーZが演じるなど、世代やジャンルを超えた交流も深まっている。

これに加えて、劇団ともコント集団とも名乗らないZ世代の男女8人組「ダウ90000」も台頭。東京03・飯塚などの実力派コント師だけでなく、元テレビ東京のプロデューサー・佐久間宣行氏といったテレビマンも支持するなど、多くの業界関係者から熱い視線が注がれている。

今年のキングオブコントの決勝メンバーを見ても、各組のスタイルは実に幅広い。しかも、年を追うごとに人物描写とストーリー展開がレベルアップし、5分という短い時間を感じさせないものとなっている。漫才と同じく、コントもまた賞レースによって進化しているのだ。

ネタの作成、稽古や演出、美術セットなど、手間も時間も予算もかかるコント。しかし、それだけに見る者は心躍るものだ。叶うなら今の開かれた状況がさらに拡大し、結果的にバラエティー界やお笑い界の発展につながっていくことを願う。
 

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