今月7月5日、『笑いの正体』(NHK総合)の第2弾が放送された。テーマは「女性芸人という生き方」。10代の若さで漫才師となった上沼恵美子、“OL”と二足の草鞋を履く中で人気者となった大久保佳代子などのリアルな声が実に新鮮だった。女性芸人は、バラエティー史の中でどんな笑いを提供してきたのか。一世を風靡した山田邦子、2000年前後の過激なパフォーマンス、賞レースやネタ番組における躍進など、改めて女性芸人の歩みを振り返る。(ライター・鈴木旭)
漫才師のみならず、テレビタレントや歌手としても成功し、初めて“アイドル”的な人気を博した芸人。それが、海原千里・万里だった。万里は現在の上沼恵美子、千里は実の姉である。
1970年代まで、一部を除いて漫才師の主な活躍の場は寄席や営業だった。テレビで芸人のポジションが変わり、映画俳優や歌手と並んで扱われるようになったのは1980年初頭の漫才ブーム以降のこと。海原千里・万里は、そうした潮流の先駆けとなった。
彼女たちは海原お浜・小浜に入門し、1971年に漫才コンビとしてデビュー。当時、芸人と言えば年配の男性がほとんどで、寄席では男女で楽屋を分ける概念さえなかった。10代と20代前半という姉妹コンビが、劇場やテレビの世界でどれほど珍しかったかは想像に難くない。上沼は、7月5日に放送された『笑いの正体』(NHK総合)の中で当時をこう回想している。
「今のお笑いとぜんぜん違いますからね。もう寄席の世界とか言うのは、まぁ一番憧れない。若き乙女が一番嫌がる。父親がとにかく芸人に、本人がなりたかったみたいで。『海原お浜師匠のところに行け』って無理やり行かされて。嫌々です、姉も私も嫌々。(中略)活躍させてもらったのは負けん気ですわ。楽屋にいてたら(師匠たちに)いびられるっていうのがあるから。ここにずっと座って2回目の公演待つより、どっか行ってるほうがいいなと思ったので『売れなあかん』と」
海原千里・万里は、恋愛をモチーフとしたネタや人気歌手の替え歌やものまねなど、彼女たちらしいフレッシュな芸風を得意とした。テンポのいい掛け合いは玄人をもうならせ、1973年に「NHK上方漫才コンテスト」で優秀敢闘賞を受賞。早くからその実力は認められた。その後テレビ・ラジオを合わせてレギュラー13本を抱える人気者となり、全国からファンレターが殺到。1976年に発表したシングル曲『大阪ラプソディー』は40万枚を売り上げるヒットとなった。
順風満帆だったコンビは、1977年に上沼が結婚したのを機に解散。一度は芸能界を引退する。しかし、上沼は子どもを出産して間もなく個人で芸能活動を再開し、1994年、1995年には2年連続で『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を担当。以後、関西の番組を中心に活動し、長らく「M-1グランプリ」の審査員を務めるなど現在も活躍している。
“女性芸人”の道を拓いた上沼。とくに1970年代は、世間一般でも映画俳優や歌手への憧れが強かった時代だ。ここに芸人が入り込む先駆者となったのは間違いない。それは、もともと上沼自身が歌手志望だったことも大きいだろう。
この方向性は、1980年代にも引き継がれている。1980年代初頭の漫才ブームで台頭したザ・ぼんちはシングル曲『恋のぼんちシート』をヒットさせ、B&B、ツービート、紳助竜介らはドラマや映画の世界でも活躍。また、こうした漫才コンビに明石家さんまらを加えた『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)もスタートし、ますます芸人人気は加速していく。その中で、頭角を現したのが山田邦子だ。
名物企画「ひょうきんベストテン」(音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)のパロディー)では、欧陽菲菲や島倉千代子といった歌手のものまねで笑わせ、担当コーナーの「ひょうきん絵描き歌」もヒットした。その後、バラエティーでの露出を増やし、1989年に冠レギュラー番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系・1992年終了)がスタート。歌や踊り、コント、トークなど、幅広いパフォーマンスで視聴者を楽しませた。
この件について山田は、かねてよりラジオ番組などで「『ルーシー・ショー』がやりたかった」と語っている。『ルーシー・ショー』とは、1960年代にアメリカで制作され、日本でも放送されていたテレビドラマのことだ。主演はコメディーの女王と呼ばれたルシル・ボール。会話劇で笑わせつつ、歌や踊りも披露される賑やかなホーム・コメディーである。
『やまだかつて~』にも、お洒落でのどかな古き良きアメリカの匂いがあった。日本のバラエティーは『エド・サリヴァン・ショー』(アメリカ・CBS)などアメリカのバラエティー制作を参考としながら独自の進化を遂げているが、『やまだかつて~』はその系譜を色濃く引き継ぐ形で一世を風靡した最後の番組だったのかもしれない。
『ひょうきん族』の後期では、甲高い声が特徴の清水よし子と演技派の竹内都子とのコンビ・ピンクの電話も活躍。お茶の間の人気者となった。
1991年に始まった『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)は、今思えば日本のバラエティーにおける転換点の一つだったように思う。
初期こそ女優・松雪泰子らによるコミカルな歌や踊りも披露されていたが、その後は多種多様なコントや大喜利系の企画など笑いに特化していく。彼らにとって歌や踊りはショーアップではなく、あくまで笑いの一つだった。この時期からバラエティーのジャンルが細分化し、2000年前後の『ガチンコ!』(TBS系)や『¥マネーの虎』(日本テレビ系)といったリアリティーショー全盛の時代へとゆっくりと移行が始まった印象がある。
例えば、ジャニーズアイドルのSMAP(2016年解散) は、1990年前後の歌番組の減少を受けて本格的にバラエティー進出を図っている。冠番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系・1996年~2016年終了)では、“着ぐるみを着てコントに臨む”というような、当時としてはアイドルらしからぬ一面を見せて人気を獲得した。単にバラエティーショーを踏襲した番組ではなく、アイドルとしての戦略的かつ貴重なプロモーションの場だったのである。
また、1990年代~2000年代をけん引した『めちゃ×2イケてるッ!』(同・以下、めちゃイケ)は、「岡村オファーシリーズ」をはじめとするドキュメンタリータッチな企画で成功した代表的なバラエティーだ。この番組で活躍したのがオアシズである。2000年から新レギュラーとなった大久保佳代子は、前述した『笑いの正体』の中で女性芸人についてこう語る。
「(『めちゃイケ』は)スタッフも男が多いし、やっぱりメイン的な役割するのはナイナイ(ナインティナイン)はじめ男性が多いし。たまに役割いただきますけど、そしたら、そこに入れられた女性芸人は“隙間の役割をちゃんとこなす”のが仕事かなぐらいに思ってました」
大久保は、幼い頃に漫才ブームを見て、『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に熱を上げた。そんな原体験から、どこかで「笑いは男のもの」という意識があるという。芸風こそ違うものの、『夢で逢えたら』(フジテレビ系)に出演していたものまねタレント・清水ミチコにも同じようなスタンスがあった。また大久保と同時代では、元オセロ(2013年解散)の中島知子が思い浮かぶ。彼女はウッチャンナンチャンを中心とする『笑う犬』シリーズ(フジテレビ系・1998年~2003年終了)の中で、トークもコントも器用にこなす絶妙な立ち位置をキープしていた。
一方で、2000年前後は“いかに目立つか”という方向に走った女性芸人も台頭する。彼女たちの芸風は、若手時代に突飛な言動やパフォーマンスで注目を浴びた久本雅美や野沢直子にも通じるものがあった。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)では、山崎方正(現:月亭方正)とモリマン・モリ夫がプロレス形式で対戦する「山崎 VS モリマン」が人気となり、ダウンタウン・浜田雅功に猛アタックする企画の中で森三中・大島美幸が上半身裸でサウナに登場するなど、過激なものも多かった。
また、青木さやかは男性タレントに「どこ見てんのよ!」と言い放つ芸風でブレーク。その後のネタ番組を見ても、奇抜なモヒカン刈りで毒舌を吐くスタイルのまちゃまちゃ、SMの女王様キャラで漫談するにしおかすみこなど、インパクトの強さで勝負する女性芸人の流れはしばらく続いた。
『めちゃイケ』の後を追い掛ける形で、2001年にスタートしたのが『はねるのトびら』だ。この番組では北陽が活躍し、同様のコンセプトで2009年にスタートした『ふくらむスクラム!!』(ともにフジテレビ系)では少年少女(2014年解散)、ニッチェがレギュラーの座を獲得している。
この流れとは別に、2000年代から大きな賞レースが始まり、たくさんのネタ番組がスタートした。そのことで、圧倒的に女性芸人の露出が増えた時期でもある。
2002年に始まったピン芸人日本一を決める大会「R-1ぐらんぷり」(現:R-1グランプリ)では、だいたひかるが初代王者の座を射止めた。また同大会でファイナリストになった友近は、その後5年連続で決勝に進出。ネタ番組やものまね番組でも活躍した。
「M-1グランプリ」では、2005年にアジアン(2021年解散)、2006年に変ホ長調、2007年、2009年にハリセンボンが女性コンビで決勝に進出。一方で、『エンタの神様』(日本テレビ系)や『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)といったネタ番組の最盛期となり、エド・はるみ、柳原可奈子らもブレークした。
2010年代に入ると、『ピカルの定理』(フジテレビ系)にレギュラー出演した渡辺直美が存在感を示す。とくに異彩を放ったのは、番組終了後のことだ。2014年のアメリカ留学をきっかけにインスタグラムの投稿が話題となり、日本のみならず海外のファンからも支持される存在となった。現在、アメリカを拠点に活躍しているのは周知の通りである。
一方で、『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)のワンコーナー「おもしろ荘へいらっしゃい!」が独立し、2012年から若手芸人がネタを披露して優勝者を決める元日特番となった。初代王者は横澤夏子、2015年はおかずクラブ、2017年はブルゾンちえみ with Bが優勝するなど、この番組で注目を浴び、その後ブレークする女性芸人も増えていった。
ネタ番組こそ減少したが、年1回の賞レースや特番がイベント化し、年を追うごとに注目度を高めていったのが2010年代だったように思う。
これに呼応するように、『学生HEROES!』(テレビ朝日系)の企画「わらいのゼミナール」、大学のお笑いサークル日本一を決める「NOROSHI」、“もっとも面白い無名芸人”を決定する『爆笑ファクトリーハウス 笑けずり』(BSプレミアム)など、大学お笑いのコンテストや若手のネタバトルも盛り上がりを見せた。
Aマッソ、オダウエダ、ラランド・サーヤらは、まさにこうした時流の中で切磋琢磨した芸人たちだ。一方で、蛙亭・イワクラ、ゆりあんレトリィバァなど、吉本興業の養成所からも着々と若手が育っていった。
しかし、世帯視聴率を重視するテレビの世界では、相変わらず中堅以上の活躍が続いていた。さらに2012年の「キングオブコント」ではバイきんぐ、2016年の「R-1ぐらんぷり」ではハリウッドザコシショウが優勝するなど、遅咲き芸人の活躍も目立った。
2010年代後半は、現在につながる変化の兆しが見られた。今売れっ子のヒコロヒーは、2019年のM-1グランプリの予選でみなみかわと芸人社会におけるジェンダーの問題に切り込む漫才を披露して話題となった。その後も遅刻癖や借金のある“クズ芸人”として注目を浴び、ネタの面白さやトーク力も相まって支持され続けている。
こうした若手のカウンターとして、阿佐ヶ谷姉妹も注目を浴びた。彼女たちは、昨今ネットメディアが取り上げる“傷つけない笑い”を象徴するような存在だ。日本社会の基盤の揺らぎが懸念される時代だからこそ、見る者を癒すようなキャラクターが求められているのだろう。
『イワクラと吉住の番組』や『トゲアリトゲナシトゲトゲ』(ともにテレビ朝日系)といった番組を見ても、男性芸人には作りようがない空気感が漂っている。今後も、“女性芸人”が良い個性としてさらに拡張していくことに期待したい。
関西では、海原やすよ ともこも人気を博している。『やすとものどこいこ!?』(テレビ大阪)や『やすとものいたって真剣です』(朝日放送テレビ)といった冠番組を持ちつつ、なんばグランド花月の看板としても活躍。コンビともに結婚し、ともこは出産・育児も経験しながら活動を継続している。ダウンタウンと同期のハイヒールをはじめ、大阪を拠点とする芸人も多く独特の文化が築かれているように思う。
このような空気の中、2017年に初開催されたのが、「女芸人No.1決定戦 THE W」だ。当時、若手中心の女性芸人による大会は議論を招き、「笑えなかった」という声も見られた。
その理由は大きく二つ考えられる。一つは単純に、まだ一般的な視聴者にとって知名度の低かった若手が顔を揃えたことだ。大会のイメージがつく前から知らない若手ばかりが登場するのは、よほどのお笑いファンでないと興味を失いやすい。
もう一つは、そもそもお笑いの賞レースを男女で分けることに対する疑問だ。すでに多くの大会がある中で、あえて女性だけの大会を設ける必要があるのか、という疑問を抱く人もいただろう。
とくに2010年代、M-1グランプリやキングオブコントといった大きな大会では、女性のコンビやトリオが決勝に姿を見せることがなかった。それゆえに「THE W」が立ち上がったという見方をする向きもある。活躍の場が増えたことを歓迎する声がある一方、あえて大会に参加しない女性芸人もいた。
振り返ってみると、この大会まで女性芸人という立ち位置の難しさが大きな議論を呼ぶことはなかった。男性が圧倒的に多い芸人社会の中で、女性芸人にスポットが当たる機会も少なかったからだ。多様な活動スタイルが見られる女性芸人。その在り方を浮き彫りにしたのが「THE W」だったとも言える。
というのも、テレビ創成期から、女優はコメディアンとコントを披露していたし、1970年代~1980年代はアイドルがコント番組で活躍することも多かった。また1980年代後半あたりから森口博子、松本明子といったバラドル(バラエティーアイドル)が人気を博したこともあり、バラエティーにおける女性芸人のポジションは確立されてこなかった。
そもそも「お笑い=芸人」という認識が広く一般に浸透したのも1990年代からだ。こうした流れがあったからこそ、2000年前後の女性芸人は過激なパフォーマンスへと走ったのかもしれない。
しかし、「THE W」はあらためて、“女性芸人がネタで勝負する”というシンプルで根源的な方向性を打ち出した。
それも、かつてのネタ番組で見られたインパクト優先のネタはほとんど目にしない。毎年のように大会のレベルが上がっていき、優勝した3時のヒロイン、吉住らがその後バラエティーで活躍している。2021年に物議を醸したオダウエダの優勝も含め、“勝負ネタを見せられる注目度の高い場所”として十分機能しているように思う。
加えて、2020年には、本来カルテットでありながらトリオで決勝に進出したぼる塾も注目を浴びた。メンバーの酒寄希望は子育てを行う母親であり、あんりとネタを作るブレーンでもある。彼女たちのように、出産や育児を視野に入れて活動を続けるグループも今後、増えていくことだろう。
1970年代から脈々と続く、女性芸人の系譜。「THE W」で再び提示された「ネタで勝負する」ことの価値も高まり、これからのバラエティーはより多様でよりニッチな面白さによって進化していくことが想像される。