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連載

#16 名前のない鍋、きょうの鍋

唐辛子とニンニクたっぷりチゲ 母の味を思い返す〝名前のない鍋〟

キムチを洗って「えぐみをなくす」

サバとキムチを入れた鍋料理をつくる寅宰(インジェ)さん。母から作り方を教わりましたが……
サバとキムチを入れた鍋料理をつくる寅宰(インジェ)さん。母から作り方を教わりましたが…… 出典: 白央篤司撮影

みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。

いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。

「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。

夏だって、鍋を食べたい……。この時季にぴったりな〝ホットな鍋〟をつくる、韓国生まれの男性のもとを訪ねました。

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名前のない鍋、きょうの鍋
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白寅宰(ベック・インジェ)さん:1982年、大韓民国釜山広域市生まれ。大学時代に日本語を勉強し、2009年に来日。長崎市役所で国際交流のスタッフとして4年間勤務する。現在は東京都在住、会社員。趣味はウェイトリフティング

「韓国では、本当にたくさんニンニクを使うんです。だからまとめてみじん切りやすりおろしにして、冷凍保存する人も多いんですよ」

寅宰(インジェ)さんはそう言って、ニンニクを刻みだした。

手元をまっすぐ見つめて、丁寧に切っていく。野菜ひとつ切るのにも性格が出るものだけど、なんとなく実直な感じがした。

コロナ禍からずっとリモートワークになり、現在は週に3~4日ほど自分で三食をまかなっている。39歳、韓国のご出身だ。

「(コロナの)前から料理はしてました。面倒ではあるけど、毎日外食だと経済的にも、気分的にも嫌なんです。でも、テキトーにやっています」

材料はサバ、キムチ、大根、玉ねぎ、にんにく、韓国製の粗びき唐辛子と梅シロップに醤油
材料はサバ、キムチ、大根、玉ねぎ、にんにく、韓国製の粗びき唐辛子と梅シロップに醤油

暑い時期でもチゲ(鍋料理)はよく作っている。

きょうの献立はサバとキムチがメインの鍋。母親が季節を問わずよく作っていたものだそう。

「作り方を教わりました。といってもレシピになっているわけではなく、ざっくりと。途中で味見しながら作るんだよ、って言われて」

ああ、うちと一緒だ。

母に作り方を聞いたら、「ここで醤油をひとまわし、みりんはドボッと入れて」なんて言われたな……と思い出していたら、寅宰さんがキムチを洗い出す。驚いた。

「サバとキムチのチゲのときは、洗うんです。驚かれる人多いですね、そのまま使うと雑味というか、えぐみが出るんですよ」

うーん、知らなかったなあ。続けてサバをボウルに入れて酒で洗い、大根と玉ねぎを刻んでいく。

大根は厚めのいちょう切り、玉ねぎは縦半分に切ってから、繊維に沿って1.5㎝幅に。

ストウブの鍋は30歳の誕生日のとき、自分へのプレゼントとして買ったもの。「なんとなく、憧れがありました」
ストウブの鍋は30歳の誕生日のとき、自分へのプレゼントとして買ったもの。「なんとなく、憧れがありました」

そして鍋に、サバとキムチと野菜を交互に重ねて詰めていく。

刻んだニンニクと唐辛子をたっぷり、韓国の醤油と梅シロップ、全体が軽く浸かるぐらいの水を加えて煮始める。

あちらではよく使われるという、梅シロップをひとなめさせてもらった。梅の感じはさほど強くない。みりんのように甘みを加える役目だろうか。

唐辛子の量に驚くかもだが、寅宰さんは「これでもまだ母親に言わせれば足りないそうです」と。完成して味見させてもらうと激辛ではなく、ほどよい辛さだった
唐辛子の量に驚くかもだが、寅宰さんは「これでもまだ母親に言わせれば足りないそうです」と。完成して味見させてもらうと激辛ではなく、ほどよい辛さだった

煮上がるまでに、これまでのことをうかがう。

寅宰さんは日本に来て、今年で13年目。言葉はとても流暢だ。

細かいようだが、助詞・助動詞(いわゆる「てにをは」)の使い方もおかしなところがない。おざなりにしない性格がしのばれる。

「大学時代に日本人留学生と友達になったんです。とても楽しく新鮮な体験でした。彼らに日本の音楽やドラマ、お笑いなどをすすめてもらって」
ハマった、わけである。

もっとコミュニケーションを取れるようになりたいと、大学で日本語を勉強。次第に「現地で働きたい」と思うように。

日本の自治体国際化協会(CLAIR)が主軸となって進めているJETプログラム(外国青年招致事業)を知り、応募して合格。長崎市役所国際課のスタッフとなった。

「翻訳や通訳をしたり、市内の小中学校で韓国文化を教えに行ったりしていました。教えに行くというのも、おこがましいんですけど。市役所の人たちはとても親切でした」

食べものがいきなり変わって困りませんでしたか、と問えば「いえ、好き嫌いはないので」とあっさり。

「現地の食べものを恋しがる人もいるけど、自分はあまりそういうのはなくて。あ! でも長崎は甘めの味つけで、醤油も甘くて驚きました。ちらし寿司もとっても甘かったな」と懐かしそうに笑った。

勤務ぶりは好評だったようで、1年の契約が4回更新された。「引き続き」と言われたが、30歳になる2013年に「やったことのないことをやりたい」という思いから転職。大阪で商社の営業職に就いた。

「正直、とても仕事がハードでした。でも『石の上にも三年』というから」と、実際に3年勤めて転職、東京へ移転。

現在はコンサルティング関係の会社で、グラフィックデザインに関するチーフディレクターを務めている。

火にかけて15分ほど、いい感じに鍋が煮上がった。

「でも、もうちょっと大根に火を通したいですね。あと10分か15分は煮たい……」と粘る寅宰さん。

スマホを開いて、何かを見返している。それは母親に作り方を教わったときの履歴だった。ざっくり伝えるお母さんと、具体的に質問する彼のやり取りがなんだか目に浮かんでくる。

部屋はきれいに片づけられて、無駄なものがほとんどない。キッチンに近い棚に1冊、料理研究家のケンタロウさんのレシピ本があった
部屋はきれいに片づけられて、無駄なものがほとんどない。キッチンに近い棚に1冊、料理研究家のケンタロウさんのレシピ本があった

さあ、完成だ。一緒にいただく。

おお、しっかりとキムチの味がする。確かに味がきつすぎず、全体のまとまりがいい。

大根とニンニクの香り、玉ねぎの甘み、サバの強いうま味とキムチの酸味に唐辛子の辛み。すべてが協和して整った、味わい深い鍋だった。

「これ、サバとキムチのチムという蒸し煮料理なんです。父が魚料理が好きだから、よく出てきて。私も好きですが、家にいた頃はもっと肉を食べたいと思ってましたね(笑)」

実家のある釜山へは、コロナ禍になって3年ほども帰れていない。

「今はもう帰ろうと思えば帰れるんですけど、いろいろ大変で。秋には仕事も落ち着くから、休暇を取って必ず帰りたい。去年生まれた姪っ子にも会いたいんです」

海の向こうのファミリーを語るとき、なんともいえない笑顔を見せた。久しぶりに一族が集まったら、食卓にはどんな料理が並ぶのだろう。そのとき、寅宰さんは親の料理する様子を隣で見るんじゃないだろうか。

そして次に作るサバとキムチのチムは、家の味にもっと近づくんだろうな。

取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416

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