変わりゆく上野、変わらない“らしさ”

そのうちの一つが「ABAB UENO」。地下1階から7階までの8フロアで構成されており、休日には1階正面入口横のタピオカとクレープの店に並ぶ列を見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。
逆に言えば、一見して目を引くのはそのくらい。街に溶け込むこの商業ビルには、そう変わった点もないように思われます。
しかし、このABAB UENO、実は75年に及ぶ歴史のある店です。
運営するのは株式会社アブアブ赤札堂。都内で地域に根ざした食品スーパーチェーンの赤札堂と、ファッションビルのABAB UENOを運営しています。
現在ABAB UENOがある上野の中心地で、太平洋戦争終戦の1945年から、業態の変化や建て替えをしながら、戦後の復興と共に75年以上、営業を続けてきました。

店内に入ると、他の商業施設にはあまりない、独特の雰囲気に驚かされます。全体的に売り場と売り場の間隔が狭く、商品が詰め込まれている印象で、すぐ裏にあるアメ横を思わせます。
同社責任者の森保浩さんに話を聞きました。森さんは85年に入社、以来、35年以上、ABAB UENOに関わっていると言います。
森さんによれば、同社のモットーは「良品廉価」。100円均一が流行する以前から「95円均一」を企画していたこともあるそうで、現代の「プチプラ」人気につながる考え方を、昭和から貫いていると説明します。
「とにかく、いい商品をたくさんのお客様に手に取っていただきたい。かつては『通路の幅を増やすなら商品の量を増やせ』と言われていたくらいです。今はそれでも、売り場改革などを経て、通路は広くなりましたね」
森さんは、いわゆる“ギャル系”ファッションのバイヤーを長く務めてきました。もともとメンズ服の展開もあったABAB UENOですが、渋谷の109が力をつけてきたことを背景に、ティーン・ヤングの女性をターゲットに絞ったのが2000年前後のこと。当時、利用客からは「上野の109」と呼ばれたそうです。
現在、“ギャル系”ファッションの中で特に“キャバ系”“セクシー系”と呼ばれるジャンルを縮小する同業他社も多い中、ABAB UENOでは「あえてニッチを攻める」というマーケティング戦略のもと、一定の需要に応え続けているということでした。
こうした戦略が反映されているのが、いわゆる“アジアンコスメ”の展開です。韓国コスメの人気もさることながら、ABAB UENOでは近年、中国コスメやタイコスメなど、よりニッチなジャンルを開拓。豊富な売り場を活用し、多様なニッチ需要を取り込む姿勢も、専門店が立ち並ぶアメ横に通じます。
上野らしさとは、人の集まりやすい土地柄、さまざまなニッチに応えることで生まれる“カオス”だとも言えます。ABAB UENOはレディースファッションというジャンルで、こうした“上野らしさ”を、時代に順応しながら脈々と受け継いでいます。
一方で、コロナ禍はやはり、上野の街にも大きな打撃を与えました。インバウンド客の激減です。
コロナ禍以前は「主に中国からのお客様がツアーで店の前に1〜2台の大型バスを乗りつけることもあった」(森さん)ものの、この数年はそれもなくなりました。
森さんらが集客施策を検討する中で、“上野らしさ”をもう一度、見つめ直したとき、あらためて注目したのが“カオス”でした。
「アメ横など商店街だけでなく、ABAB UENOの目と鼻の先には上野公園や動物園、博物館、美術館などの文化施設も立ち並んでいます。一見、雑多な要素が渾然一体となっていることによる“上野らしさ”を私たちとしても打ち出せないかと考えました」
その一環として、6月4日から12日までは東京藝術大学大学院壁画第一研究室『ヘキイチ実行委員会』とともに「私を着ること/服を着ることについて考える現代アート展『WEAR ME』」を開催。
東京藝術大学の大学院生を中心とした若い作家らの作品が、売り場と売り場の間、時に売り場の中に突然、出現するという、実店舗を舞台にした展示が行われました。
コロナ禍以後を見つめ、現在も今後の戦略を模索していると森さん。統一感がないこと、雑多であることの裏側に突き通される、生き残るための柔軟な姿勢には、戦後の上野のたくましさの名残りがありました。
【連載】#ふしぎなたてもの
何の気なしに通り過ぎてしまう風景の中にある #ふしぎなたてもの 。フカボリしてみると、そこには好奇心をくすぐる由縁が隠れていることも。よく見ると「これなんだ?」と感じる建物たちを紹介します。