100年続いた牛乳屋から、放牧の牛乳を集めた「クラフトミルクスタンド」への転身。77歳の父と始めた挑戦から、ようやく6月11日にお店がオープンしました。このミルクスタンド開店の準備で大きく影響を受けたのは、いずれも「無理をしない」を大切にした牧場と、コーヒースタンドでした。(木村充慶)
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父と乳を搾りに行く――。急なダジャレですいません。これは、ミルクスタンド構想を思いつくはるか昔、5年以上前に雑誌の編集をしていたときに編集長に提案した連載の企画案です。
元々実家が牛乳屋だったこともあり、「父親と牧場を周り、牛乳を搾らせていただく。牛乳を飲みながら、牛乳や牧場の魅力を伝える連載はどうですか?」と無邪気に提案しました。
編集長からは一蹴されました。今考えれば当然です。よくわからない。いま自分が編集長なら絶対採用しません。しかしながら、この企画がずっと頭に残っていました。
放牧牛乳のミルクスタンドをやろうと決意したとき、父と私はとにかく「牧場の魅力を伝えたい」と考えました。飲食業のプロでもない。味に繊細な感覚をもっているという自信もない。だからこそ、味だけでなく、牧場の魅力を伝えることが大切なのではないか。
父(中央)と訪れた北海道・清水町の出田牧場。右は出田義国さん
そう思って、放牧の牧場を徹底的に回ることに決めたのですが、その際にすぐにピンときました。
「そうだ、父と乳を搾りに行こう!」
その後、猛烈な勢いで、牧場を回りました。「3日以上休みがあったら牧場に行く」。
北海道から熊本まで、2年かけて、トータルで50か所以上の放牧の牧場を回りました。
牧場に伺ったら、必ずインスタとFacebook、Twitterに投稿しました。その際はもちろん「#父と乳を搾りに行く」をつけて。
ある種「異常」と思われるほど牧場を回っている気がするのですが、なぜそこまで駆り立てられたのか。
牛乳嫌いだった私が飲めるようになるくらい美味しい放牧牛乳が、東京ではほとんど流通していないからです。
普段飲んでいる牛乳の多くは牛舎で飼われている牛から搾られた牛乳です(もちろんそれが悪いわけではありません)。
放牧牛乳は酪農の業界でも5〜10%と決して多くなく、それらの多くも普通の牛乳と混ぜられることが多く、東京では「放牧牛乳」として入ってくることは多くありません。
神奈川・山北町の「薫る野牧場」。ジャージー牛たちが放牧されている
もちろん、高級スーパーや百貨店で一部売られたり、自分のお店やECサイトで販売する牧場もあったりします。ただ、全国各地の放牧の牛乳を取り揃えているようなお店はほとんどありませんでした。
大きな理由のひとつは流通です。大量に生産してまとめて送れば輸送コストを抑えられますが、放牧は少量生産で輸送コストが高くなります。
個人で宅配すると、放牧牛乳の一本の価格の2倍以上になることもしばしば。加えて、牛乳は賞味期限が短いこともあり、一般的にはなかなか浸透しませんでした。
調べれば調べるほど、難しいことがわかってきましたが、不思議とやめたいとは思いませんでした。
その根源は、牧場の魅力に尽きます。
「牛乳の味なんて一緒じゃない?」
「50カ所以上行ったら飽きない?」
周りからも、いろいろ言われました。僕も牛乳だけを、ただ飲み続けていたら飽きていたかもしれません。だけど、牧場に行くのは全く飽きませんでした。
たくさんの牧場を巡った中でも、私が感動した牧場のひとつは、北海道・道東の足寄の「ありがとう牧場」です。
360度山々に囲まれた絶景の中で、牛たちが伸び伸び過ごしています。それだけでも感動するのですが、牛たちを育てる人間たちの幸せもしっかり追求しています。
牛は人間と同様、子牛を出産し、その後の一定期間、乳が出ます。それが私たちの飲む「牛乳」になります。バラバラの時期に子牛を産むよう調整することで、年中牛乳が安定して供給されているのです。
北海道・足寄の「ありがとう牧場」。牛たちが自由気ままに歩きながら草をはむ
ただ、牛は生き物のため、育てる人間は休めなくなります。特に牛乳を搾る作業は大きな手間です。
そこで、「ありがとう牧場」では牛が妊娠する時期を一律で揃え、牛乳を製造販売する期間を4~12月の間とし、1〜3月は乳を搾らないようにしました。人間の手間が大幅に減り、家族でゆっくりできる時間を確保したそうです。
放牧で牛の幸せも考えながら、育てる人間の幸せも実現しました。牧場主の吉川さんと話すと、いつも幸せな気分になります。
一杯の牛乳にもこんな素晴らしいストーリーがあることを多くの人に伝えていきたい。そんな思いが募りました。
「ミルクスタンド」といえば、有名なのは秋葉原駅構内のホームにある牛乳屋さんです。電車から降りたら目の前にあり、通勤通学の多くの方々が牛乳を購入しています。
ミルクスタンドを作ると話したとき、かなりの確率で「秋葉原みたいなの作るの?」と言われます。もちろん、参考にさせてもらった部分はありますが、私が一番参考にさせてもらったのは、根津にある「Jiminy's Coffee & Milk」さんでした。
ミルクスタンドを作ると決めてから、毎週のように東京近郊の人気のカフェに行きました。人気の店はどこも素敵な空間でしたが、放牧の牛乳だったらどういう店がいいのか。納得いくイメージがなかなか完成させられずにいましたが、そんな最中、知り合いから「根津においしい牛乳を出すコーヒースタンドがあるよ」と教えてくれました。
根津にある「Jiminy's Coffee & Milk」。住宅地に近く、静かな場所に店を構える
店舗は上野公園から少し離れたところにあり、まさにスタンドという店構え。席もなく、購入してその場でパッと飲むか、持って帰るスタイルです。
日本全国のジャージー牛乳をそろえ、とにかく牛乳を大切にしています。日本に4カ所しかないと言われる「特別牛乳」のひとつ、福岡の「白木牛乳」をはじめ、こだわりのジャージー牛乳が並びます。店前にはそれぞれの牛乳の入荷日が貼られていて、こだわりがヒシヒシと伝わってきます。
興奮してどれを頼もうか悩んでいたら、まずは牛乳を試飲させてくれました。貴重な牛乳ながら、おしげもなく振る舞ってくれます。こんな牛乳を使っていますよと。「なんだ、この素敵な感じは」。
悩んだ末、私は酒粕ミルクを飲みました。酒粕がおいしいのはもちろん、しっかり牛乳の風味がでていて、飲みやすい!
牛乳について話し始めると、話が止まりません。店主のつよしさんは牧場主の思いをたっぷりと語ってくれました。
あふれる牛乳愛に思わず感動し、私はいてもたってもいられず、自分の素性を明かしました。
「今度、父親と牛乳屋をやめて、放牧牛乳のミルクスタンドをやるんです!」
そこから1時間以上話し込んでしまいました。
牛乳へのひたむきな姿勢に、次第にぼくもこんな店をつくりたいと思うようになりました。
あまりに素敵だったため、3日後に再度お邪魔。その後、数週間のうちに、父はもちろん、母親、ミルクスタンド作りを手伝ってくれているメンバーなどたくさんの人を連れて行きました。
一時期、毎週数回もお邪魔したこともあったので、迷惑だと思われていたかもしれません。しかし、ここでミルクスタンドの方向性が定まった気がしました。
牛乳への思いはもちろん、地域とのつながりも参考になりました。地域柄、観光客は少なく、お客さんは近隣住民が中心。地域に支えられていると話します。
近くに住むおじいちゃんやおばあちゃんたちが、定期的に買っていくため、牛乳の量をしっかり用意しているそうです。
「無理はしない」も大切にしています。営業時間はなるべく短く、延長もしないといいます。
それというのも、以前の仕事は飲食店のチェーン展開を行うものでした。規模が大きく、初期投資も高く、多くの人が関わります。失敗すれば、それが担当者に重くのしかかることが多く、苦しんでいる人をたくさんみてきたと言います。
「暮らしながら働きたい」。自分一人で無理のない形で長くお店をやっていきたいと笑います。
大規模店ではないからこそ、単価が高く賞味期限も近い、こだわりの牛乳を扱える。行くたびに、言葉をスマホにメモしまくりました。
実家兼会社の倉庫をリノベーションしてつくる「クラフトミルクスタンド」。
放牧牛乳を扱うこと、実家で行うこと、そして、77歳の父親とはじめること。いろいろな思いがある中で、構想から2年以上が経ち、牧場めぐりやカフェめぐりでようやく形が定まり、6月10日にオープンしました。
77歳の父とミルクスタンドをオープンすることになった「きっかけ」はぜひ、過去の記事をご覧ください。
【関連記事】76歳の父が事故ったので「ミルクスタンド」の夢をかなえることにした
オープンして2週間が経ちますが、ありがたいことに多くの人に来てもらっています。オープン当日こそ知り合いが多かったものの、いまは地元の方々も多く訪れてくれています。
牛乳のおいしさに感動して、「定期的に来たい」という声もいただきました。
うれしいのは、牛乳が完売できていることです。一滴残らず、すべて売れるのは、なんだか清々しいです。
牧場主たちが一生懸命手間暇かけて作った牛乳は無駄にしたくない――。そんな願いが叶ったなと思っています。この状況が続き、牛乳の魅力をさらに広げられるよう精進していきたいと思います。