連載
#5 #探していますの物語
迷子役を演じた黒猫が「本当に失踪して…」 結末に起きた小さな奇跡
猫好きたちの〝リレー〟が起こしたもの
猫が迷子になってしまうストーリーの短編映画に出演した黒猫「びび」が、本当に「迷子」になってしまいました。フィクションだった物語がいきなり現実になり、飼い主でもある映画の助監督は、不安な日々を過ごします。失踪から3週間、「もう会えないかも知れない……」と半ばあきらめかけた時、小さな奇跡が起きました。(朝日新聞社メディアデザインセンター・山内浩司)
「びび」は、推定年齢5歳の雄の黒猫。東京都小金井市在住の映像クリエイター、老山綾乃さん(23)が3年前、埼玉県のお寺から譲り受けた保護猫です。
名前は、臆病でびびりな性格からつけられました。ちょっと曲がったカギ尻尾とおなかのあたりの毛が抜けているのが特徴です。
「びび」が失踪したのは5月7日の午後、東京都立小金井公園でのことでした。
老山さんによると、ずっと室内で飼っていましたが、自宅内で暴れることが増えたため、ストレス解消のため散歩に連れて行ってみようと計画。
猫用のハーネスをつけて、ベランダで何度か練習を重ね慣れさせた上で、この日、初めて自宅から離れた小金井公園に連れていったそうです。
しかし、「びび」をケージから出したところ、名前の由来通りにとても怖がり、がたがたと震えだしたように見えました。
これはまずいと老山さんが抱き上げたところ、すごい力で暴れだし、その拍子にハーネスがはずれ、そのまま、隣接する「江戸東京たてもの園」の敷地内に逃げ込んでいってしまったのです。
「怖がっているところを、私もあわてて、さらに驚かせてしまったのだと思います。うかつだったと反省しています」
30分ほど鉄柵越しに名前を呼び続けましたが、戻ってきません。事情を話し、園内に入れてもらい1時間ばかり捜しましたが、出てきませんでした。
翌日から、老山さんはチラシを50枚ほど作成し公園や近くのスーパー、ペットショップなどに貼らせてもらい、ツイッターや地域のネット掲示板にも掲載して情報提供を呼びかけました。
#拡散希望 #猫 #黒猫 #保護猫 #小金井 #小金井公園 #武蔵小金井 #小平 #迷子猫 #迷い猫
— 老山 綾乃 (@oiyamaaaa) May 8, 2022
もし目撃情報や保護された方がいらっしゃいましたら、こちらのアカウントもしくは
oiyamama1031@gmail.com
までご連絡ください…。
どうか何卒よろしくお願いいたします。 pic.twitter.com/sujUCsblQY
実は「びび」が迷子になるのは2回目でした。
2年ほど前、閉めたと思っていた自宅マンションの玄関ドアが少し開いたままになっており、そこから外に出てしまったそうです。この時は1週間ほどたって近所で無事見つかりました。
この時の体験を、映像制作の師匠である映画監督・小谷忠典さんに話したことがきっかけで、「びびのゆくえ」という短編映画が生まれました。
実際に「びび」が出演したほか、老山さんも助監督として制作に参加しています。
作品は新型コロナで活動の場を失ったクリエイターを支援する東京都の「アートにエールを!」事業で制作されたものです。
脱走した愛猫を捜す主人公の姿を通し、家族や友人とオンラインでしかつながれないコロナ禍の日常や、100年前のスペインかぜで犠牲になった先祖の記憶を幻想的に描いた約30分の作品です。
まさか、映画のストーリーと同様、びびが迷子になってしまうなんて――。
映画の主人公と同じように、老山さんも時間が許す限り、公園周辺を捜し歩きました。
保護された黒猫はいないか保健所に問い合わせ、交通事故に遭った猫の情報はないか警察に聞いて回ったそうです。
ネットの掲示板やSNSでつながった猫好きの人たちが情報の拡散に協力してくれ、目撃情報がいくつも寄せられました。
「家の防犯カメラに映っていた猫が似ている」「公園の近所で黒猫をみかけた」……しかし、残念ながら「びび」ではありませんでした。
「空振りが続くとどうしても、心理的なダメージが大きくなります。最初の時は自宅から逃げたので近所にいるはずだと信じることができましたが……」
1週間、2週間たっても有力な手掛かりは得られませんでした。「もう会えないのかもしれない」と思い始めていた5月30日、一通のメールが届きました。
写真も添付されていました。
実はこのメールを送ったのは、筆者です。妻と日課にしているウォーキングの最中、たてもの園横のフェンス前の草むらで黒猫と目があいました。
公園に掲示されていたチラシで、行方不明の猫がいることは知っていたので、「びび」かもしれない!とピンときました。
毛づやもよく、遠目からみても「やさぐれ感」はなく、明らかに飼い猫の風情を漂わせています。
妻がチラシのところまで全速力で走っていって、老山さんの連絡先をメモして、まず一報のメールを送りました。
筆者と妻が、飼い主さんにぜひ情報を伝えたいと思ったのは、一度だけ朝の公園で「びび」を捜す女性を見かけたことがあったからです。
キャリーバッグを持って柵越しに名前を呼びながら、たてもの園内をじっと見つめている姿がとても印象に残りました。同じ猫飼いとして愛猫がいなくなった不安や辛(つら)さは痛いほどわかります。
公園を一周して40分後に戻ると同じ場所に黒猫はいました。「びび!」と妻が声をかけると、小さな声で返事し、こちらに近寄ってきます。
しかし、筆者と目が合うとピタリと足が止まります。「怖がっているから、あっちに行ってて!」と妻に命じられ、離れて見守ることに。筆者は猫にあまり好かれないタイプなのです。
1メートルほどまで近寄ってきましたが、接近はそこまで。無理して捕まえようとして逃がしてしまうリスクを考え、その場を離れて妻が老山さんにメールしました。「おそらく、びびちゃんだと思います!」
しばらくして妻のスマホが鳴りました。老山さんからの電話でした。
詳しい目撃場所を説明していると「あっ!いました!すみません」という声を残して電話は切れました。
その後、老山さんから、無事に保護できたこと、動物病院で血液検査をしたが異常はなかったこと、感謝の言葉をつづったメールと、おうちでおいしそうにカリカリを食べている「びび」の写真が届きました。
老山さんによると、びびは、草むらではなく、たてもの園内にある管理棟に設置されているらせん階段にちょこんと座っていたそうです。
老山さんが呼ぶと、素直にとことこと下りてきて、あっさりやってきたそうです。
「特に感動の再会!というわけでもなく、“そこにいたの”みたいな感じでしたね」。体重もほとんど減っておらず、おそらく誰かにえさをもらっていたのではないかと推測します。
筆者からの目撃情報のメールが届いたとき、老山さんは、公園まで捜しに行くかどうか少し躊躇(ちゅうちょ)したといいます。
「また行っても見つからなかったり、違う猫だったりすると、しんどいな」「今日は仕事の予定が入っているし」
でもそんな迷いを振り切って探しにいって、本当によかった、と振り返ります。
そして、筆者と妻が公園で見かけた、「びび」を捜していた女性は老山さんではありませんでした。
「おそらくネットで情報を知って心配してくれた方だと思います。面識はないのに捜索やチラシの掲示など複数の方が、力を貸してくれました。本当に感謝しています」と老山さん。
猫好きの人々の善意が少しずつ重なり合って、びびと再会することができたのかもしれません。
【ご報告】
— 老山 綾乃 (@oiyamaaaa) June 2, 2022
5月7日に行方不明になった愛猫と先日無事再会できました。
たくさんの人にご心配をおかけし、申し訳ございませんでした。
そしてツイートの拡散、アドバイスや目撃情報を寄せてくださった皆様、本当に本当にありがとうございました!! pic.twitter.com/WagujkniTJ
老山さんは鹿児島県出身で、映像制作に興味を持って都内の専門学校に進学、在学中に映画監督を志しますが、卒業後はテレビの報道番組スタッフとして働きながらチャンスをうかがっていました。
昨年、動画配信サービスHuluが次世代の映像クリエイターの発掘と育成を掲げて始まった「Hulu U35クリエイターズ・チャレンジ」に参加。
自身が企画・監督した短編「まんたろうのラジオ体操」がグランプリに選ばれ、賞金100万円と次回作を企画制作する権利を獲得しました。次回作の準備の時期に、「びび」の失踪騒動が重なったといいます。
「昨年から信じられないラッキーな出来事が続いていたので、ぜったい何かばちがあたるに違いないと思っていました。だから、びびがいなくなり、『びびにばちを背負わせてしまった……』と本当に落ち込んでいたんです」
小谷監督とは「びびのゆくえ2」を作らなきゃね、と話しているそうです。
動物病院の先生からは「脱走癖がついてしまったかもしれないから気を付けて」といわれたそう。
これを機会に「(飼い主情報が登録された)マイクロチップの埋め込みを真剣に検討しようと思います」と老山さんは話しました。
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