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連載

#13 #ふしぎなたてもの

存在しない川に架かった〝紅い橋〟の正体 密かについた「菊の紋章」

住宅街を歩いていると突然、出くわす“赤い橋”には、数奇な運命を感じさせる由縁があった。
住宅街を歩いていると突然、出くわす“赤い橋”には、数奇な運命を感じさせる由縁があった。 出典: 朝日新聞社
東京都江東区の富岡八幡宮付近を歩いていると、突然、行き当たる「紅い橋」。川もないのに架かっており、鉄製でとても丈夫そうです。調べてみると、“国指定の重要文化財​​”“元は別の場所にあった”という情報も。一体これは何なのでしょう? 文化庁、江東区、同教育委員会を取材しました。(withnews編集部・朽木誠一郎)
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存在しない川に架かる紅い橋

全国的にも有名な東京都江東区の富岡八幡宮。その付近を歩いていると、住宅街の中に、突然、紅い橋が出現します。鉄製で丈夫そうな橋ですが、渡る途中で下を見ると、すぐそこは遊歩道。大きな高低差があるわけでもなく、そもそも橋を架ける理由が判然としません。

橋の近くには『八幡橋(旧弾正橋)』と記されたプレートが。どうやら、国指定の重要文化財​​であるようです。一体これは何なのか、文化庁とプレートを設置した江東区教育委員会に話を聞きました。

文化庁によれば、この橋は1878年、明治時代に作られたものです。明治政府の工部省赤羽製作所が製造しました。長さは約15mで、このような形の橋は単径間アーチ(タイドアーチ)と呼ばれます。

アーチ部分は鋳鉄、他は錬鉄からなる「現在では見られない珍しい材の組み合わせ方」。同庁は「東京に架けられた最初の鉄橋」「日本の土木技術史上貴重な遺構である」とします。

なぜ、川のないところに橋が架かっているのでしょうか。この橋、実はもともと東京市京橋区(現東京都中央区)の楓川(現在は埋め立てられ消滅)に弾正橋として架けられていたものです。1929年、現在地に移され、1977年6月に​​国から重要文化財に指定されました。

江東区教育委員会によれば、この橋が移されたのは、関東大震災後の帝都復興計画により廃橋になったため。移された後は富岡八幡宮の隣に位置することから、名称が「八幡橋」と改められました。同委員会は「現存する鉄橋としては最古に属するもの」「菊の紋章がある橋としても有名」としています。

菊の紋章については、前述した工部省の製作であるため、つけられたものと考えられています。しかしこの菊の紋章、普通に橋を渡っても確認できません。見るためには迂回して、橋の下を通る遊歩道へと移動し、下から欄干を見上げる必要があります。
欄干の下部には複数の菊の紋章がある。
欄干の下部には複数の菊の紋章がある。 出典: 朝日新聞社
遊歩道へ遠回りすることにも、もう一つ事情が。江東区文化観光課文化財係の担当者によれば、この橋が移設された当時、まだここには八幡堀という堀があったのだそう。1955年ごろ、八幡堀に架かるこの橋の写真が現存していると言います。

後に、八幡堀は埋め立てられ、遊歩道に。このような経緯であるため、八幡橋付近から直ちに橋の下の遊歩道に降りることはできず、少し離れたところまで歩かないと遊歩道に合流することはできないということでした。

ただし、このような経緯ゆえに、下から橋の欄干の菊の紋章を確認できるようになったとも言えます。

約140年前に作られながら、その優れた構造ゆえ保存され、場所や社会の様相が大きく変わった今も現役の生活道として人が往来するこちらの橋。近くに立ち寄った際は、その歴史にぜひ、思いを馳せてみてください。

【連載】#ふしぎなたてもの

何の気なしに通り過ぎてしまう風景の中にある #ふしぎなたてもの 。フカボリしてみると、そこには好奇心をくすぐる由縁が隠れていることも。よく見ると「これなんだ?」と感じる建物たちを紹介します。

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