マンガ
「私のためにある」と感じる漫画 谷口菜津子さんの〝多様性の筆致〟
描きたいことは「生きづらっ」と思った時に思いつく
斬新な表現、画期的なテーマなど清新な才能の作者に贈られる、手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)の新生賞。これまでに『ヒカルの碁』のほったゆみと小畑健(第7回)や、『夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国』のこうの史代(第9回)、『鋼の錬金術師』の荒川弘(第15回)らがこの賞に輝いています。今年の第26回で受賞したのは、『教室の片隅で青春がはじまる』(KADOKAWA)と『今夜すきやきだよ』(新潮社)の谷口菜津子さんでした。(朝日新聞文化部・黒田健朗)
手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)は、マンガ文化の発展、向上に大きな役割を果たした手塚治虫の業績を記念する賞。第26回マンガ大賞は魚豊さんの『チ。―地球の運動について―』、新生賞は谷口菜津子さんの『教室の片隅で青春がはじまる』『今夜すきやきだよ』、短編賞はオカヤイヅミさんの『いいとしを』『白木蓮(はくもくれん)はきれいに散らない』が受賞。
1988年生まれの谷口さんは2011年にエッセーマンガでデビュー。近年はストーリマンガも手がけるようになり、意欲作を次々と発表している。
宇宙からの留学生がいる世界を舞台に特別な存在になりたい女子らを描く『教室の片隅で青春がはじまる』と、結婚観の異なるアラサー女性2人が同居する『今夜すきやきだよ』。
設定こそ異なるが、両作には登場人物たちの生きづらさからの解放を描いているという共通点がある。
谷口さん自身が経験した、子どもの頃嫌だった同調圧力や、結婚で名字が変わり感じた苦しみなども反映されているという。
インタビューした際には「『生きづらっ』と思った時に描きたいことを思いつくかな。常識に縛られて苦しんでいる人の役に立つようなものを作りたい」と語っていた。
とはいえ、重々しい物語にはなっていない。作中にはギャグや食べ物の描写も交えながら、軽やかに描き上げた。
3月下旬の最終選考会、新生賞の議論では、マンガ解説者の南信長委員と芸人・漫画家の矢部太郎委員が谷口さんを推薦した。
南委員は『教室の片隅で青春がはじまる』について「今の若者の姿が感受性豊かに描かれている」と評価。
『今夜すきやきだよ』についてもジェンダー格差や同調圧力、選択的夫婦別姓などが盛り込まれている点をあげて、「パーソナルな恋愛的なことを入れながら、社会問題にも切り込んでいくというその手際がすごくうまい」とした。
矢部委員も「現代のいろんな問題をマンガとして面白く読める中で、考えることもたくさんさせてくれる。絵柄もオリジナリティーがあって、テーマとすごく重なっている」と推した。
当初は別の作品を推薦していた学習院大学フランス語圏文化学科教授の中条省平委員も、最終選考では谷口さんを支持。
「一方では高校生のさまざまな自分の言い分をものすごく上手に描いていて、一方では大人にも直結するような問いかけもどんどん出していける、まなざしの多様性がある」
実は、選考ではもうひとつ支持を集めた作品の作者がいた。
『【推しの子】』(集英社)の赤坂アカさん、横槍(よこやり)メンゴさん。推しのアイドルの子に転生した主人公を描く、人気作だ。
ただ、議論では、『【推しの子】』の作者を強く推す委員からも、谷口さんを評価する声があがっていた。
「女性の心理的な部分とか固定観念について『うん、なんかすごくわかるなあ』と思いながら読んでいました」(タレント・高橋みなみ委員)
「谷口さんの作品って、誰の本棚にあってもおかしくないんですよね。読者が『これ、私のためにある作品だわ』という読み方ができる、それだけ、実は幅広い価値観をもっている」(マンガ家・里中満智子委員)
最終的には競り合いの末、受賞は谷口さんに決まった。受賞理由はこうだ。
「『教室の片隅で青春がはじまる』と『今夜すきやきだよ』で多様性を柔らかな筆致で描いたことに対して」
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