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連載

#13 名前のない鍋、きょうの鍋

「誰か」を演じ続けた半世紀 〝名前のない鍋〟作る時に見せた素の姿

父のかばんに入っていた、舞台のチラシ

畑からとってきた新鮮なホウレン草を、慣れた手つきで「鍋」にしていった瓜生和成さん
畑からとってきた新鮮なホウレン草を、慣れた手つきで「鍋」にしていった瓜生和成さん 出典: 白央篤司撮影

みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。

いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。

「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。

今回は、妻と娘の3人で暮らし、家事は料理を担当している俳優のもとを訪ねました。

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名前のない鍋、きょうの鍋
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瓜生和成(うりゅう・かずなり)さん:俳優。1970年、千葉県四街道市に生まれる。28歳のとき劇団「東京タンバリン」に入団、20年間在籍する。現在は劇団「小松台東」に所属。5月27日からの舞台公演を控えて、現在稽古中。東京・小平市に在住。既婚、一女あり。ツイッターは@caznary

駅から続く遊歩道には、花を楽しむ人が多かった。

「きょうがもう最後の見ごろだねえ」「そうだねえ」なんて会話が聞こえる。誰もがゆっくりと歩を進め、桜並木を眺めつつのそぞろ歩き。

うららかである。菜の花やレンギョウも咲いている。私も花を愛でつつ歩いていたら、「白央さんですか」と声をかけられた。きょう取材させていただく、瓜生さんが迎えに来てくれたのだった。

わざわざすみません、と礼を述べれば「ちょっと家が分かりにくいので。鍋に入れる野菜もほしかったんです」と。

そのまま近くにあった畑に入って行き、慣れた手つきでホウレン草を抜いていく。

妻さんの実家の畑で、近くに住む義理のご両親がずっと野菜を作られているのだそう。

ご自宅は目と鼻の先だった。

流しで野菜の泥を落としていく。白い長袖シャツをまくりもせず、次々とホウレン草をきれいにしていき、シャツは汚れも濡れもしない。慣れているなあ……と舌を巻いた。

瓜生さんは今年52歳、妻さんと小学生の娘さんとの三人暮らし。料理は昔から好きで、家事の中では食事の用意を専任としている。

洗ったホウレン草を、キッチンばさみで切っていく。

15分ほど前まで大地に根付いていたのだから、ハリが違う。サクサクと、刻まれる音までみずみずしい。

「今の時季はホウレン草がたくさんとれるんです。きょうはホウレン草と豚でしゃぶしゃぶにしましょう」

たくさん、という言葉の言い方に実感がこもる。先の畑の広さだと、かなりの量だろうなあ。どんどん消費するには、しゃぶしゃぶがうってつけだ。

瓜生さんの職業は俳優である。
入社試験のない世界。「今」までをどんなふうに歩んできたんだろう。お鍋をいただく前に、子ども時代のことから伺ってみた。

「小さい頃から、自分じゃない誰かを演じていたような気がします。両親とも仕事をしていて、家にいるのが好きな子どもで。ドラマを見て物語に入りこんで、自分と違うものになるのが好きでした」

特撮ヒーローものの『宇宙鉄人キョーダイン』になりきったり、好きな小説の映画化を想像して自分をキャスティングしたりしていた少年時代。

高校を卒業し、予備校に通っていたころ、新聞広告で俳優養成所の案内を見つける。卒業生には芸能界のビッグネームもいた。

自分はここに入るべきだ、という気持ちになり、アルバイトして費用を貯めて入所する。

瓜生さんはとてもおいしいアイスコーヒーを作ってくれた
瓜生さんはとてもおいしいアイスコーヒーを作ってくれた

「父親に勘当されました。大学を目指していたんじゃないのか、と。半年ほど友達のところに泊めてもらい、アルバイトしてお金を貯めて、ひとり暮らしを松戸で始めて。母親とは連絡を取っていたんですけどね」

時は90年代に移る頃、ドラマ界では今井美樹や石田純一などがスターだった時代である。

まず紹介されたのはエキストラの仕事。演技の基礎的なことを少しずつ経験していった。

ここで「そろそろ鍋、始めましょうか」となる。

鍋底が見えないほどのだし昆布。そうそう、このぐらい入れたほうがシンプルな鍋ほどおいしいんだ。

ふと見れば、桜の花びらがホウレン草の葉の上に。風に吹かれて葉の間に挟まっていたらしい。

「きれいだし、このままにしておきましょうか」と瓜生さん。あ、鍋も桜模様だ。
「春用の鍋なのですか」
「いや、そういうわけじゃないです。いつも使ってる鍋ですよ」

偶然にせよ桜柄の鍋に、花びらまじりの青菜。風雅な取り合わせだなと感じ入った。豚肉もなんだか桜色に見えてくる。

だしにくぐらせたホウレン草が、なんともおいしい。

味の濃さとアクの少なさに感激していたら、瓜生さんの義理のお母さんが、畑から採れたてのブロッコリーを持ってみえた。新鮮な野菜に満ちた生活がうらやましい。

料理中は帽子をかぶり、眼鏡をかけられていた瓜生さん
料理中は帽子をかぶり、眼鏡をかけられていた瓜生さん

さて、好きで飛び込んだ役者の世界。オーディションを受けていく間に業界の知人も増え、舞台にも興味を抱くように。

28歳のとき劇団に所属し、「代表とウマが合って」20年を過ごした。役者としての自信を培った時代。アルバイトを続けながら舞台出演を重ねてきた。

月並みとは思いつつ、訊いてみたいことがあった。
「役者を辞めようと思ったことは、ありますか」
役者稼業が嫌になったことや、会社員生活を考えたことなどは……と尋ねて、ありませんと即答される。

「次の芝居が決まらないと不安にもなりますけど、半年予定が空いたことって(思い出すように考えつつ)……これまでなくて」

その言い方に、虚勢的なものは微塵も感じられなかった。

「むしろ、舞台がハネて(=終わって)、元の自分の生活に戻るほうが嫌ですね。舞台は稽古の時間、本番の間、その役でいられるのがいい」

この言葉を聞いて、瓜生さんは私と会っている間も「インタビューを受ける俳優A」的な誰かを演じていたのかもしれないと思った。

ご自身の業(ごう)のようなものを仕事にするには、俳優が一番フィットするのだろう。そして現在、舞台以外の仕事も増えている。

「50歳を過ぎて映像の仕事が多くなって、監督と話し合いながら役を作っていく機会が増えて。その面白さがようやく、分かってきたところなんです」

とても嬉しそうに笑われる。その瞬間はまぎれもなく「素の瓜生さん」で、インタビューの最後に「はじめまして」なんて気持ちになった。

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瓜生さんは30歳のとき、病気で父親を亡くす。勘当はそれ以前になんとなく解けていたが、舞台を見に来ることは一度もなかった。

「でも父が死んでから、いつも使っていたバッグを開けてみたら、僕の舞台のチラシが入っていたんです」

はじめて青山劇場という大きな舞台に出演したときの、記念のチラシ。ずっと大事に取ってあったようだった。

お父さんはどんな思いでそれを見つめていたんだろう。

取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416

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