話題
「泣いてもいいよ!」運動 子連れ専用車両、「すみ分け」の先へ
ポジティブな声を見える化
鉄道で「子連れ専用車両」などのスペースができています。「子どもが騒いで迷惑をかけるかもしれないと、気がねしないで過ごせる」と歓迎する声も上がります。一方で、子連れを「すみ分け」ることが、公共空間で心地良く過ごすための「解決策」になってしまうようで、なんだかモヤモヤ。赤ちゃんを連れている保護者へ「泣いてもいいよ!」と気持ちを示す運動を進めている人たちと一緒に、モヤモヤの原因を考えました。
紫原明子さん:
エッセイスト。赤ちゃんの泣き声を温かく見守っている人たちが居ることを可視化する「WEラブ赤ちゃん ―泣いてもいいよ!―」ステッカーの発案者。子どもは20歳と16歳で、子育ては落ち着いてきた。
石上有理さん:
ママ向け情報サイト「ウーマンエキサイト」の編集者。「WEラブ赤ちゃん」プロジェクトを担当。3歳、7歳の子育て中。
――「泣いてもいいよ!」というステッカー。始めて6年で、いまや自治体や企業の賛同が広がっていますよね。どんなきっかけで始まったプロジェクトなんですか?
紫原さん:
多くの人でにぎわう都心のコーヒーショップで、私の向かいの席に赤ちゃん連れの女性が座っていました。
赤ちゃんは途中で目を覚ますと、元気よく泣き始めました。もともとがやがやしていた店内に赤ちゃんの泣き声が響いたところで、私は全く気にならなかったけど、女性は周囲にとても気を遣って、一刻も早く泣きやませようと、懸命にあやしていました。
――当時のまわりの雰囲気はどうだったんでしょうか。
紫原さん:
私を含むノマドワーカーがいましたが、その場で「うるさい」と怒る人はいませんでした。
でも、当時は、「泣く赤ちゃんと新幹線で乗り合わせて嫌だった」といった著名人の発言などが次々とニュースになっていた時。そんな発言に合わせて、Twitterなどネット上で「嫌だ」という人の声をすごくよく見かけました。
だけどカフェで赤ちゃんが泣いたからって、すぐ「うるさい」なんて言う人はいなかった。
でも女性はすごく焦ってらっしゃった。世の中のネガティブな声が目立つなら、「私はそう思っていないよ」というポジティブな声も見える化したいなと思ったんです。
――そしてプロジェクトが始まったんですね
石上さん:
2016年5月5日にプロジェクトを立ち上げました。
紫原さんから話を頂いた時は、私も当時1歳の息子がいて、電車やバスに乗るときは子どもが泣かないように、と緊張しながら出かけていました。だからこそ、紫原さんにそう言ってもらえたのが、ありがたくて。もちろん、誰もが「泣いてもいいよ!」と思わなくとも、「ポジティブな思いを持った人が、その思いを可視化する」という発想にハッとしました。
最初「泣いてもいいよ!」のステッカーを作って「30名様にプレゼント」と呼び掛けたら、約900人の申し込みがあったんです。ものすごい反響でした。おじいちゃんおばあちゃん世代もいて「こんなのが欲しかった」「何かしたいと思っていました」と声を届けてくれました。
私たちのところだけでこの声を眠らせてはいけないと、サイトも立ち上げて、多くの賛同者の声を投稿できるようにしました。
――反響があったというのは、それだけ「泣いてもいいよ!」という声を上げづらかったんでしょうか。
石上さん:
ポジティブな声を出す場所がなかっただけのように思います。
実はネガティブな声はごくわずかかもしれないのに、SNSやネットニュースで一つのネガティブな事例を知ると、世の中すべてがそう見えてしまうこともありますよね。マタニティマークを付けていたらおなかを蹴られたという悲しいニュースを見たら、怖くてつけるのをやめたくなるのと同じように。
――うるさいという声が出た瞬間に、いつも「子連れ」対「社会」みたいな対立構造になってしまうのも不幸だなと思っていました。
紫原さん:
人の感じ方を否定はできないので、ステッカーは「私はうるさく感じないですよ」ということの表明だけです、と言っています。
「『泣いてもいいよ』、でも泣きやませない親への反発も」みたいにバランスをとって紹介しようとしてくれた記事もあったんですけど、本当に泣きやませようとしていないかどうかは、案外、簡単には判断できないとも思います。
友人の子どもは小さい頃に発達障害と診断されていて、泣いている時に外から刺激を与えてしまうと、余計に混乱してしまうという特性がありました。なので、早く泣きやませるためには、わざと放っておくしかない、ということもありました。
でもまわりから見ると、そんな事情があっても「泣きやませない親」だと思われてしまう。
いろんな事情を抱えているかもしれないことを考慮せず、ただ親を判断しようとする他人のまなざしが、時にすごく冷たいなと思うんです。
もしかしたら子どもの泣き声を「うるさい」と感じる人の中にも聴覚過敏とか、とても疲れているとか、何らかの事情があるのかもしれない。それを無視したくないとも思います。
お互いに、その場にいる人には何らかの事情があるんだとできるだけ思い合いたい。
――公共空間で子どもが騒いでいるという話題には、「子どもよりも親が許せない」とか「親がもっと申し訳なさそうにしていれば許せるのに」という声をSNSなどでよく目にします。「親を判断するまなざしが冷たい」の一端でしょうか。
紫原さん:
親、特に今の社会では母親に対しては、その傾向が強いなと思います。常に「良い親かどうか」を判断されているような気がしてしまうんですよね。
子どもが小さい時は、「子どもを泣かせない親かどうか」。
少し大きくなると「過保護か過干渉じゃないか」、逆に「放置していないか」とか。
親と親以外の人との間に、まだまだとても深い溝があると思うんですよね。社会の人が親を遠巻きに見ているような空気が親を孤立させるし、それは子どもにとってもよくないことです。
ポジティブな声を見えるようにするというのは、社会がちょっとでも親子に寄り添う気持ちがありますよ、という姿勢の表明でもあると思います。
――社会が「子どもを一緒に育てよう」と言ってくれる安心感があればいいなと思います。
紫原さん:
でも難しいですよね。応援する気持ちはあっても、どう伝えれば良いのか。その保護者がどれくらいのかかわりを求めているか、おせっかいを欲しているのか。
子育て中の親御さんが、人に突然言われた一言でとても傷ついたという声もツイッターで目にします。おせっかいが全くないのも寂しいけど、度が過ぎたおせっかいで困った人が多くいたのがこれまでの時代。
「親子を支えたい」と言う気持ちがあっても、どう表出していいか分からない。
だから、LGBTの「アライ」(味方=LGBTを理解・支援する人)のように、私たちはあなたたちを応援しています、という意識を示しておけたらと思ったんです。
困ったことがあったら力になれますよ、というような「扉を開いている」表明が大事なんだと思います。
――ちなみに「泣いてもいいよ!」ステッカーをお二人はスマホに貼っていますが、親御さんから何か声が掛かったことはありましたか?
紫原さん:
ないですね(笑)。でも、親子連れのそばで見えるようにしたことはあります。
石上さん:
カフェで赤ちゃんが泣いてしまって必死にあやすママを見て、知人の娘さんがこのステッカーを貼ったスマホを赤ちゃんのママに見せたそうなんです。そのママが涙ながらに「ありがとうございます」と言ってくれたと聞きました。
――見せただけでも、安心を与えられたかもしれないですね。プロジェクトを続けて、社会の変化はありましたか?
石上さん:
2017年に自治体として三重県が初めて賛同してくださいました。直近では世田谷区と京都府も賛同してくれて、賛同自治体数は27に広がりました。自治体の後押しで、企業にも広がっています。
有り難いことにみなさんから「賛同したい」と声をかけてくださるんです。
プロジェクトを始めた当初は、「バスや電車の車内にも貼ってあったらうれしいね」と某社に提案してみたものの、「すべての人に優しくなければいけないので、赤ちゃんだけを対象にするのは……」と渋られてしまいました。
それが今は、各地の電車内で掲示されるようになりました。
紫原さん:
電車内に貼れるようになったのは大きな変化ですよね。
石上さん:
今年度は、一部の高校の教科書にも載ります。
――すごい! 「泣いてもいいよ」が可視化された数で変化を感じます。
紫原さん:
京都が大きく展開してくださり、ニュースに取り上げられたとき、昔よりもネガティブな声が少なくなったと感じました。「これは当然だよね」「赤ちゃんは泣くものだから」と。
以前よりも幅広い人が賛同してくれている気がします。実際にDMで、大学生だという男性の方が「どこでもらえるんですか」と聞いてくれました。
それに、逆に「こんなのが必要な時代かぁ」と言っている人も増えた気がするんです。つまり、こう思う人たちの中には「赤ちゃんは泣くのが当たり前」という思いがあるんだろうなと。
プロジェクトを始める時に「こんなステッカーはいらないよねと言われるのがゴール」と石上さんと話していました。
少しずつその息吹を感じてます。
――1980年代は全世帯の半数に子どもがいたのに、この40年で2割にまで減り、今や子育て世帯は「マイノリティー」になっているそうです。子どもが多い社会とは、雰囲気は全く違うはずです。
石上さん:
確かに、賛同してくださる自治体さんからも、少子化を問題視する声を良く伺います。子どもがいないと社会が回らなくなってしまう事実を目の当たりにされているのかもしれません。
「マイノリティー」と言っても、誰でももともと赤ちゃん。「自分も誰かに助けられていたのかもしれない」と感じることで、赤ちゃんを身近に感じてもらえないかと思い、サイトへのコメント投稿画面でも、属性で「元赤ちゃん」というのを選べるようにしています。
――最近は、公共交通や公共の場で、「子ども専用」の場所も増えています。これ、親にとっては「迷惑かけないで済む」と安心できる場なのかなとは思うのですが、ちょっとモヤモヤしてます。
紫原さん:
私は、子連れが気兼ねなく列車に乗れることや、いろんな事情を抱えた人が安心できるための配慮は決して悪いことじゃないと思います。ただ、それなら「すみ分け」を完璧にしたら良いかというと、そうではないと思う。
私は若者や家族連れが多い街に住んでいるんですが、だからこそ生活の中でお年寄りと接する機会がとても少ないんです。たまに地元に帰ったりしてお年寄りと接する機会があると「こういうふうに世界が見えているんだ」とハッとする時がある。
自分と立場や世代の違う人たちとの触れ合いが少ないと、彼らがどういう生活をしているのか、何を考えているか、どういうことが起きるのか、全く想像つかなくなってしまいます。
子どもが社会の中で「マイノリティ」になっているとおっしゃってましたが、昔に比べて、大人が子どもに接触する機会はどんどんなくなっています。
会社と家との往復だけだと、大人にしか会わない、同世代にしか会わないという人もたくさんいると思う。それだと、見るべきものが見えないと思うんです。
――「最適解」を探そうと思うと、それぞれの事情を想像したり、歩み寄る努力が必要になりますね。誰かをすみ分けして、「見えないものにする」のは、手っ取り早い方法かもしれないけど、目指すべき社会とは違う方向なのかも。これからの「子連れ」を巡る社会に期待することはありますか。
石上さん:
すみ分けしすぎると、すみ分けされた側が「触れてはいけないもの」になってしまう恐れもありますよね。
自宅近くで保育園が決まらないから電車で子どもを連れて行かないといけないという人も、産後赤ちゃんと1対1の時間につらくなって友達に会いたいというママもいるかもしれない。赤ちゃんと電車やバスに乗ることが、決して特別な理由である必要はないと思うんです。
また、SDGs×赤ちゃんという思考も重要です。会社に子育て支援の制度はあるけど、風土がないという話は良く耳にします。赤ちゃんが熱を出したけど休みにくい、パパが育休をとりたいと思っていても言い出しにくい……。まだまだ解決しなければいけない問題は山積みです。
紫原さん:
私は、最近、いろいろな人が抱えているストレスや「罪悪感」みたいなものを、どうしたら減らしていけるのだろうかと考えています。
赤ちゃんに怒鳴る人がいるとして、それは赤ちゃんが憎いのではなく、日常のストレスや窮屈さが、社会で一番「弱い」赤ちゃんに向かってしまっているのだと思うから。
――社会のストレスは、弱者に向かってしまう。
紫原さん:
その原因が分かったら、たぶん解消できるものはたくさんあると思うんです。
満員電車が改善されるとか、休みが増えるとか、適切にお給料が上がるとか。それから人生において自分の大切なものは何か、と問い直す、とか、観念的なようだけどそういうことも大事だと思います。
――インクルーシブな社会は理想ではありますが、「面倒くさい」という人もいます。受け入れるには、余裕や、その状況が最終的に自分にとって大切なんだと思える視点を持つことが必要になりますね。
紫原さん:
余裕がないから誰かに怒りをぶつけるのでなくて、余裕のなさは一体何が原因なのかを、ちゃんとみんなで考えられたらいいですよね。
子連れ以外の属性の人の話もたくさん聞きたいです。お互いが腹を割って話せたら、きっとみんなが、今よりもうちょっと楽に生きられるようになると思うんです。
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