連載
#12 名前のない鍋、きょうの鍋
料理研究家の母に荒療治 入社2年目ひとり暮らしの〝名前のない鍋〟
レシピ検索に載っていないこと
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、築地場外市場そばのワンルームに住む、ひとり暮らしの男性のもとを訪ねました。
上田和範(うえだ・かずのり)さん:1997年、東京都武蔵野市生まれ。学習院大学卒業後、2021年に就職。現在、都内にひとり暮らし。
東京に開花宣言が出たうららかな春の日、中央区にある上田和範さんの住まいを訪ねた。
今年(2022年)で25歳、社会人生活は2年目に入る。ひとり暮らしの場所として選んだのは築地。食品卸などの関係かなと思えば、職種はまったく違うものだった。
「ウェブのマーケティング会社に勤めています。まだまだ分からないことだらけですけどね(笑)。この仕事は、いろいろな業種の方と関わることができる点に魅力を感じました」
お茶を出してくれつつ、はきはきと丁寧な口調で答えてくれる和範さん。なんだか、こちらが就活の面接官になったような気持ちに。どうかどうか、気楽にしてください。
部屋の間取りは1K、広さは24㎡。玄関からすぐがキッチンになり、扉の向こうがリビング兼寝室になる。いわゆる“つっぱり棒”を使って玄関上やらに収納スペースを作り、うまいこと物を収めている。
なぜ、築地をひとり暮らしの場所に選んだのだろう。
「会社が近くにあるんです。そして何より、築地市場に近いのが面白いなって。マグロのテールとか、丸鶏をぶつ切りにしたのとか、面白い食材がとにかくたくさん。朝に散歩して買い物をするのが楽しみなんですよ」
平日の起床は大体午前6時、朝の散歩がてら築地をめぐって食材を買い、会社に持っていく弁当を手作りしている。
就業は9時半、定時は18時30分までだが、忙しいと社を出るのが22時を過ぎることも。
「残業代はつきますけど、その分を外食で使っちゃうのも、もったいないなと思いまして。夜に帰ってきてから手軽に食べるために、鍋をすることは多いんです」
よくやる鍋はいくつかあるが、冷凍野菜を使って手軽に作る鍋があると聞き、作り方を見せてもらった。
まずコーヒーメーカーのポットを出したので何をするのかと思えば、鰹の削り節とお湯を入れてだしをひかれた! 鍋つゆのベースにするのだという。液体だけがうまいこと鍋に入り、確かに使いやすそうだ。
そして冷凍野菜は市販ではなく、自ら刻んで用意されたもの。ニンジン、キャベツ、ほぐしたキノコのミックス。これらと、食べやすい大きさに切り分けた鶏もも肉がメインの具材に。
「帰宅が遅いと料理をイチから始める元気も湧かないので、休みの日に刻んで、フリーザーパックに詰めて冷凍しておくんです。炒めものにも使えますし。鍋を煮ている間に着替えたりもできて、いいですよね」
味つけはその時々で様々のようだが、本日は味噌とみりん、塩で。
冷蔵庫のホワイトボードにはレシピ本から写した調味料の分量がメモされていた。必要な生活必需品の買いものリストを書き留めておくこともあるそう。
あっという間に完成、こなれた流れに感じ入る。実は和範さん、親が料理研究家の上田淳子氏。小さい頃から彼女に料理を習ってきたのだろうか。
「全然そんなことはないんです。試作の味見係として実験台になることはよくありましたけど。大学に入ってお酒も飲むようになって、友達とワイワイやるのが好きで。そういうときにみんなで料理を作って、一緒に食べる機会ができてから、料理に興味が湧きました」
有名人の子どもというのは「(親と同じように)できるだろ?」などと周囲から言われがちなものだが、和範さんも例にもれず「お前のお母さん、料理研究家なんだろ。料理作ってよ」とよく言われた。
そこで抵抗を覚えるケースもあるだろうが、「じゃあ、やってみようかな」と思えたそう。母親が著したレシピ本を参考にいろいろと作り出す。
「自分が食べたことあるものも多いから、再現しやすかったんです。分からないことはすぐアドバイスもらえますし」
そして和範さん、親と同居していた頃に“荒療治”も受ける。
「就職先が決まった春にちょうどコロナ禍に入って、やることもなくずっとゴロゴロしていたんです。見かねた母が『1週間、あなたが家事を全部やりなさい!』って」
他にやることもなかったし、就職後はひとり暮らしをするつもりだったので、予行演習的な気持ちで引き受ける。
「すぐに行き詰りました。麻婆豆腐とか酢豚とか作れるメニューはいろいろあるんですけど、ありものを使いまわしていくのが大変で。何気ないごはん作りのルーティンって、難しいんだなと。買いものに行けば、鶏モモ肉ひとつでも安いのから高いのまでいろいろある。うちでいつも食べてたのはどれか分からない。洗剤やトイレットペーパーも同様で」
安さだけで選んだ肉を見て、母親はひとこと「それでもいいけど、いつのもうちの味にはならないよ」と言った。レシピは検索できるけど、こういうことは体験してみないと分からない。
どうにも献立が浮かばないとき、父や弟に「何が食べたい?」と聞いて「何でもいい」と返されるとつらいということも知った。
単に料理するだけでなく、毎日の炊事をつなげていく。誰かと暮らす中で家事を担うという体験を20代半ばで出来たというのは、貴重なことと思う。直接的ではないにせよ、会社でも活かされる経験ではないだろうか。
「今、やってみたいことはありますか」と尋ねたくなった。
数秒あって、「会社の人たちと飲んでみたいです」と返ってくる。そうか、彼らの世代は入社してからずっと、ずっと、コロナ禍なのである。
「連携が大事と言われつつも、基本ずっとリモートワークで。横のコミュニケーションが全然ないんです。人を招いてごはんをふるまうなんて、してみたいですね」
自分が作ったごはんを誰かが食べてくれたり、そこで交流が生まれたりというのをもっと経験したいと。若い世代が直接他者の反応を肌で感じる機会が激減している現状を、あらためて思う。
和範さんは今、日々の弁当をインスタグラムに上げている。自身の料理を誰かと直接シェアすることはむずかしいが、SNSを通じて返ってくる反応が、日々の自炊のモチベーションにもなっているようだ。
帰り道、少し周辺を散歩してみた。
パン屋さん、洋風の惣菜店、品物充実のミニスーパーにお酒屋さんと、なかなかの買いもの環境である。どうか、料理好きの若い芽がすこやかに伸びていきますように。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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