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#19 ゴールキーパーは知っている

Jリーグチェアマンに届いた遺品整理士からの手紙 きっかけは7年前

新人研修で書いた「サッカー、続けていますか?」

Jリーグのチェアマンだった村井満さん
Jリーグのチェアマンだった村井満さん 出典: 朝日新聞

目次

2020年。一通の手紙が当時、Jリーグのチェアマンだった村井満さんに届いた。「僕はサッカー選手としては成功できませんでしたが、今は遺品整理士として、人生の最後をお手伝いさせていただいています」。書いた主は、木和田匡さん(25)。村井さんと同じ、元GKの選手だった。

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「今もサッカー、続けていますか?」

木和田さんは、サッカーJ2のファジアーノ岡山の育成組織から2015年に昇格し、プロ選手になったものの、Jリーグの出場はなく、わずか3年で引退した。

今は地元の広島県福山市で同級生と会社を立ち上げ、身寄りがなく、亡くなった方の遺品を整理する仕事を請け負う。

2人の接点は、2015年のJリーグ新人研修。村井チェアマンは新人選手たちに手紙を書いてもらった。タイトルは「5年後の自分へ」だった。

「Jリーグの選手って、だいたい6年くらいで引退してしまうんです」と村井チェアマンは語る。

毎年百数十人の新人選手がJリーグクラブに入団するが、そのうち約4割の選手は10年後、50試合にも出場できない。

5年目にもなれば、自分がプロ入り後に思い描いていた理想とのズレが出てくる。その初心を、覚えていてほしかったのだという。

「日本代表になりたい」
「子どもたちに夢を与えたい」

ほとんどの選手が当たり前のようにそういうことを書き連ねる。岡山でプロになったばかりの木和田さんもそんな夢を20行ほどで記した。そして、こうも書いた。

「今もサッカー、続けていますか?」と。

ファジアーノ岡山時代の木和田さんの写真。前列左から加地亮、岩政大樹、渡邊一仁、伊藤大介、後列左から矢島慎也、西林直輝、似鳥康太、木和田匡、宮本樹明の各選手=2015年1月14日、岡山市北区
ファジアーノ岡山時代の木和田さんの写真。前列左から加地亮、岩政大樹、渡邊一仁、伊藤大介、後列左から矢島慎也、西林直輝、似鳥康太、木和田匡、宮本樹明の各選手=2015年1月14日、岡山市北区 出典: 朝日新聞

「未練はありません」

5年後の2020年。木和田さんはすでに引退していた。自宅に届いた手紙を見て、懐かしさを覚えたという。

「読んでいて、ああ、こんなの書いたなあ、くらいだったんですけどね」と木和田さんは笑う。

現役引退を決めたのに、後悔はなかった。

「僕のなかでは、サッカーは職業の一種だったんです。サッカーだけで生活できなければ、辞めようと思っていました」

プロ生活を送った2015~17年の間に、Jリーグのリーグ戦公式戦出場はゼロ。JFLのクラブに移籍もした。所属していたファジアーノ岡山から戦力外の通告を受け、別のクラブに行けばアルバイトを続けながらアマチュアのチームでプレーをする選択肢もあった。だが、それはプロじゃない、とすっぱり決断した。

「僕は高卒でしたから。4年目だったら、大学にいったのと同じだなって。未練はありません。プロとしてできないのであれば、サッカーを続ける気はありませんでした」

「それも立派な判断です」

村井チェアマンから届いた手紙には、返信封筒が入っていた。チェアマンに現況を報告する手紙を書いた。

同級生とともに遺品整理士になったこと、第二の人生では地元に貢献したいと考えていること。その返信を村井チェアマンは覚えていた。

「三年でピリオドを打つことになるとは、新人研修では思いもつかなかったでしょう」。その続きとして、こう記した。

「それも立派な判断です」

昨年12月のインタビューで村井チェアマンは感慨深げにこう振り返った。

「GKというプレッシャーを受けて、困難を乗り越えて成長した人の人生には、そういう素晴らしいドラマもあるんだよね」と。

「彼以外にも、いろんなドラマがあるんですよ。海外に行っていますとか、ビジネスの世界に旅立っています、とか。いまだに日本代表で頑張っています、とか、いろんなドラマがある。プロになるのは本当に厳しいけど、残るのは、もっと厳しい。逆にいうと、困難に立ち向かった人の人生がいいものであるように、僕らJリーグは応援しないといけないよね」

3月15日をもって、村井満チェアマンは退任した。その日、木和田さんに電話をかけると、こういって笑った。

「僕なんかがいうのもあれですが、Jリーグを支えてくださって、本当にありがとうございますと、伝えたいです。僕も、手紙に書いたように自分の人生に誇りをもって生きていきます」

今は、「困っている人のためになりたい」と地元の広島県福山市で亡くなった方の家族を回り、仕事に奔走しているという。

遺品整理士として働く木和田さん
遺品整理士として働く木和田さん

取材を終えて――その後の人生にも続きがある
昨年12月、埼玉・浦和高のGKだった村井チェアマンにインタビューをしたときのことだ。

中学までバスケットボールをしていながら、高校入学と同時にGKになった村井さんに「僕の話はいいんだよ」と苦笑いされつつ、「もっと、GKのいろんなドラマをとりあげてほしい」といわれ、木和田さんの話を聞いた。

新人研修のときに手紙を書いたこと。そして、返事が届いたこと。退任から時間が経ってしまったが、2人の話を伝えたいと思い、記事を書いた。

11人のうち、1人しかピッチに立てないGKは試合に出られる機会も限られる。木和田さんのように、3年で引退するケースだってある。

ただ、その決断やその後の人生にも続きがある。Jリーガーのその後の人生がよいものになるように。GKを中心に見守っていきたい。

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