連載
コーヒー沼の店長は〝むっちゃ汚い〟農園に300キロの豆を注文した
「絶対うまくできる自信はありました」
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「絶対うまくできる自信はありました」
牛乳販売を営む父が事故った。76歳だった。高齢者の交通事故がこんな身近に起きるとは……。そこで始まったのが親子で取り組む「ミルクスタンド」づくり。会社員を続けながら、自然放牧の牛乳を集めたお店を実家の倉庫を改装してオープンしたい。そんな目標を持ち、準備を始めると、いろんな人たちとの出会いが生まれるもの。その一人が、コーヒースタンドを営む川野優馬さんです。なんでコーヒー? 開店もしていないのに牛乳愛はもう冷めた? そんなわけありません。すべては、とびきりの牛乳を広めるため。コーヒーと酪農には「生産・流通・販売」で同じような悩みとチャンスがあったのです。(FUKKO DESIGN 木村充慶)
親子でつくるミルクスタンド
川野さんのお店は吉祥寺に本店を構える「LIGHT UP COFFEE」。最近流行の浅煎りのコーヒースタンドです。
「これ、コーヒー?」
最初にいただいた時、腰を抜かしました。口に含むと紅茶のようなフルーティーな味わい。コーヒーはよく飲んでいましたが、決しておいしいものという感覚で飲んでいませんでした。それが「コーヒーってこんなにうまいんだ!」と、まるで違うもののような印象を与えてくれました。 そして、こう思ったんです。
「コラボして、おいしい牛乳を使ったカフェオレが作りたい」
これは牛乳に対する筆者の大人になってからの原体験に通じるものでした。
牛乳屋の息子として、牛乳のおかげで大学まで出させてもらったのに、あの臭いが苦手だった私……。それが自然放牧の牛乳を飲んだとたん世界が変わり、いつしか、ミルクスタンドでそれを提供したいと思うようになったのです。
そんなデジャブーから、さっそく川野さんにコラボの相談しにいったら、期せずしてコーヒーへの熱い情熱を聞くことになりました。
コーヒー業界には多くの課題があるといいます。でも、川野さんは、その様々な課題を可能性と捉えて、いろいろなチャレンジをしています。
あれ? なんか酪農にも通じるところが……。
たとえば市場規模。コーヒーも酪農も市場規模が大きく、多くの人たちが「生産・流通・販売」に関わっています。気軽に安価に供給される一方で、それは、こだわりの商品がうまく流通できないというもどかしさを生んでいます。
酪農は、様々な牧場が生産した牛乳が一カ所に集められミックスされるので、個々の牧場のこだわりが見えなくなります。コーヒーも同様に世界中の様々な農家さんの豆が地域ごとに混ぜられて流通することが多いのです。
川野さんは農園ごとに異なるコーヒー豆の本質的なおいしさに注目。厳選した豆の風味をそのままいかす浅煎りという形で新しいコーヒーの価値を提供しながら、業界の課題にも斬新なアイデアでチャレンジしようとしています。これは、まるで私たちがミルクスタンドで提供しようとしている自然放牧の牛乳そのものでは……?
川野さんはいかにして業界の課題に踏み込むようになったのか。いちから聞いてみました。
きっかけは大学生の時。「なんとなく始めた」カフェでのアルバイトでした。
カフェの店長がたまたまドリップの大会に出ている人だったこともあり、いろいろ教えてもらい、のめり込んでいったそうです。もともとコーヒーラブ!ではなかったという……そこが逆に親近感を覚えます。
しかし、その後は、コーヒー好きの同僚たちと一緒に閉店後のお店で朝まで練習。休みの日はカフェ巡りもしていました。
そんな中、目黒にある人気店「ONIBUS COFFEE」で飲んだ、浅煎りコーヒーの繊細で果実味のある味に感動したそうです。
もともとはエスプレッソマシンを使ったラテが好きだった川野さんですが、それ以来、浅煎り豆を使ったハンドドリップのコーヒーの沼にハマっていきました。
苦いからコーヒーが飲めないという人も、浅煎りのおいしいコーヒーなら飲んでもらえる可能性がある。コーヒーの可能性に未来を感じ、大学生ながら、コーヒー事業をはじめたそうです。
浅煎りからのコーヒー事業……おお、これって、自然放牧の牛乳で目覚めた私と一緒じゃないか。
川野さんが最初に買ったのは業務用の焙煎(ばいせん)機。自宅に設置し、個人事業として自家焙煎オンラインショップを始めました。すると、週に数件注文が来て、毎週焙煎して配送するように。
「焙煎によって味は全然異なります。なので、温度や時間などを調整しながらひたすら試し、仲間に飲んでもらいフィードバックをもらうというのを繰り返しました。」
それだけでもすごいのに、ここで満足しないのが川野さん。さらなる味の改良をするためには、もっと外で勉強しないといけないと感じ、自分で作った豆を持ってヨーロッパに40日の旅に出てしまいます。
誘い文句は「一緒にカッピングしませんか?」
メールやFacebookのメッセンジャーでアポを取り、デンマークの「coffee collective」、ノルウェーの「FUGLEN COFFEE ROASTERS」といった世界的な名店を回りました。
初対面からいきなり「カッピング」を誘われたら、普通、身構えます。でもそこは同じコーヒー沼の住人たち。世界でもトップクラスのバリスタたちが「日本からよく来たな」と歓迎してくれて、一緒にテイスティングしたり、豆の焙煎に対してのフィードバックをもらったりしたそうです。
そこで味わった忘れない光景があります。みんなで豆の話で盛り上がると、最後は農家さんの話に行き着つくのです。川野さんは語ります。
「結局は豆。バリスタができることはいい農家さんの豆を見つけ、それを焙煎して伝えるだけなんだ」
おいしいからこそ付加価値をつけて高い値段で販売できる。高い値段で販売できるからこそ、農家さんが作り続けられて、さらにおいしい豆ができる。そういう〝幸福な循環〟が必要だと学んだそうです。
日本に戻った川野さんは2014年7月にお店をオープンさせました。この時、まだ大学生。とんでもない行動力です。
ここで少し、日本のコーヒーの歴史についておさらい。
昔、日本ではコーヒーといえば、地元の喫茶店で飲むものでした。それが、2000年に入ってスターバックスが一世風靡(ふうび)し、エスプレッソマシンを使った「カフェラテ」を筆頭に様々なコーヒーをおしゃれに、気軽に飲めるようになりました。
その後、アメリカを発端としたサードウェーブコーヒーが一大ムーブメントになりました。豆の味をもっと感じられるように、ハンドドリップで丁寧に入れたコーヒーのブームです。日本でもブルーボトルコーヒーが有名になりました。
そのころから徐々においしいコーヒーのお店が出てきて、商社などがその流れに追いつき、安定しておいしい豆が供給されるようになっていきました。
その後、現れたのがこだわりの豆を少量で輸入する「マイクロインポーター」です。そうして、おいしい豆のラインアップが増え、豆の味を生かす浅煎りコーヒーが広がっていきました。
コーヒーを淹れるバリスタたちの中には直接、買い付けたい人も出てきます。そして、店が成長すると商社と連携して自分たちも買い付けに関わるようになります。川野さんたちもその流れに乗って、少しずつ直接輸入するようになったのです。
大学時代に店まで立ち上げた川野さん。卒業後、どうしたかといえば、意外にも普通に就活し会社員になります。
「2016年から2018年までリクルートで働きました。土日だけなら、カフェも続けても良いと言うことだったので(笑)」
そこには「一度ちゃんとビジネスを学ぼう」と考えがありました。
なので、やっぱり普通の会社員とは違います。新入社員としての夏休みとすべての有給をバリ島にぶっ込みます。現地でカフェをやりたいから手伝ってほしいという日本人の知り合いからの依頼を受けての訪問でした。
バリ島に行った川野さん、せっかくなので、コーヒー農園に行きました。しかし、皮むきなどを行う「精製所」の光景は予想と違いました。
「めっちゃ汚かったんです」
人生初のコーヒー農園。ワクワクして行ったのに、想像した場所とは程遠い光景でした
「腐ったコーヒーチェリーが地面に落ちて、ハエがたかっていました」
実際にその農園でできたコーヒーを飲むと、いつものインドネシアの味でした。
「土っぽくて、ほこりっぽくい味です。それが逆に良いと言われていたんですが……」
現場の惨状を見た川野さん。定番のインドネシアの味は変えられるんじゃないかと直感しました。精製といわれるコーヒーチェリーの実を取る段階で、丁寧に発酵させれば、今よりもおいしいコーヒーにできると確信したのです。
ここも酪農と重なる部分があります。実は日本の酪農の3割は放牧されていません。牛乳パックに描かれているのんびりした牛の姿、あれはあくまでイメージなんです。
多くの乳牛は「牛舎」と呼ばれる施設の中でつながれて過ごしています。それによって大量の牛乳を手頃な価格で安定供給できるので、それ自体が悪いわけではないです。
でも、最近では、アニマルウェルフェアと呼ばれる家畜であっても動物に過度のストレスを与えない考え方が広まっています。なので、スーパーに売っている牛乳が、従来の製造方法だけのものだけでいいのかというと、ちょっとモヤモヤしてしまいます。
川野さんも、今までの市場に新しい選択肢を生みだすという意味で、酪農につながると感じました。
コーヒー農場の現状を見た川野さん。そこからの行動力が普通じゃなくて、いきなり300キロのコーヒー豆を注文しちゃいます。そして、「大量に買うので、自分で考えたレシピで精製させてもらえないか」と農家の人に頼みこみました。
「絶対うまくできる自信ありました」という川野さんのテンションにおされ現地の人もOK。
とはいえ、川野さん、実は精製なんてしたことはありませんでした。そこで、日本に帰ってから、工程ごと、いろいろな動画を見ながら研究して、製造方法をまとめました。
水が透明になるまで洗う、発酵も細かくチェックする。特に発酵についてはPH計を使って酸度を計測することにしました。
製造方法を決めたら、現地に計器を送って、デジタルで徹底管理してもらいながら作ってもらいました。そうしたら、「死ぬほどおいしくなって帰ってきました」。
手応えを感じた川野さんですが、その後、失敗も経験します。翌年の2017年は、全然おいしくならなかったのです。実は、発注量が増えた結果、農園のオーナーさんが部下に任せていたのです。
「精製はその意義をしっかり理解した人、つまり自分たちで作るしかない」
そこで、1カ所で集中させるため、2018年にバリに精製所を作ることになりました。
精製所を作るというと、かなり大規模なものを予想するかもしれませんが、現地だと100万円くらいで済むレベルでした。そこで、クラウドファンディングを使ってお金を集め実現させました。
精製所をあらためて見つめなおすと、湖が目の前に見える崖の高い場所にあり、山の見晴らしがすごい。そこで精製所と周りのコーヒー農園を回るツアーも始めました。
「めちゃくちゃ好評で、30人の定員がすぐに埋まりました。こんな味がするんだ、こんな景色がいいんだとか、参加した人はみんなずっと興奮していました」
おいしくするのには限界がありますが、全然違う軸を作ると価値はもっと上がる。そのためにはコーヒーが作られる過程を体験化するのがいい。
体験という視点。酪農も、生産地が国内に点在し、観光に特化した牧場も多いことである程度広がっています。牧場を見学した後に飲む牛乳は格別です。
ただし、牧場のオリジナルの牛乳がスーパーに出回ることはほとんどなく、その体験が日常の飲み物につながっているかというと、そうではない現状があります。川野さんの挑戦を聞いて、酪農もまだまだ体験化には可能性があるなと感じました。
農場の観光地化を進めた矢先に起きたのが新型コロナウイルスの感染拡大でした。でも、川野さんはめげません。行かなくても体験を届けられるコーヒーの木のオーナー制度を始めたのです。
木ごとに番号を振ってあり、「何番から何番まではあなたの木です」と割り振られます。1年間代理で現地のスタッフが育てます。毎月育っていく様子はリポートとして共有され、実際にできたコーヒーが届けられます。
「やっぱり当事者にならないと生産の話って入ってこないと思うんです。いくらカフェで『この生産者は良いですよ』と言っても響かない。だけど、オーナーとして主体的に関わるようになると、自然に農園のことを知るようになるんです」
川野さんのオーナー制のアイデアを聞いて思いだしたのが、東京・八王子にある「磯沼ミルクファーム」の取り組みです。
八王子の住宅地のど真ん中にある都市型牧場ということもあり、牛たちのいる牛舎に面した道が通勤通学に使われており、名前を覚えて可愛がる住民もいます。
そんな地域密着の牧場で、牛の名前がついているヨーグルトを販売しています。普通であれば、いろいろな牛のミルクが混ぜられて作られますが、こちらでは特定の牛のミルクだけを使ってヨーグルトを作っているのです。しかも、牛に名前を付けられる取り組みも行っており、自分が名前をつけた牛のヨーグルトを食べることもできます。
牛ごとに味の違いを感じることもでき、自然と自分自身のつながりを感じられるようになっています。
川野さんは、コロナの状況を打開すべく、新商品も作りました。淹れたてのおいしさをオンライン化できないか考え、行き着いたのがエスプレッソキューブでした。
これは、エスプレッソを固めた氷です。型に入れたエスプレッソを急速冷凍機で凍らせ、すぐに真空保存。お客さんには冷凍便で届け、お湯で溶かせば、家で淹れたてのおいしさが味わえます。お店で淹れたエスプレッソとも差が分からないほどの味になっていると言います。
この商品は、2020年4月の緊急事態宣言の時に生まれました。配達をやるにも、コーヒーが届く頃には冷めて、酸化してしまう。そもそも1杯だけだと割に合わない。そこで凍らせて保存するアイデアに行き着きました。
「試しにエスプレッソを凍らせて、お湯をかけて飲んでみたら、めちゃくちゃおいしかったんです。エスプレッソなら9杯分の濃さで作れる。これはいけると思って、機械をすぐに購入し、1カ月後の5月には販売を開始しました」
牛乳の場合、生産量が余ってしまったことによる値崩れが問題になりました。
その時、コンビニではホットミルクを半額で販売したり、一般の人の中でも、SNSで牛乳を使った料理のレシピが多数投稿されたりするなどの動きが広がりました。ピンチの時ほど、新しいアイデアは生まれるようです。
川野さんは副生産物の価値化をすべく、日々様々な商品を生み出しています。
むいたコーヒーの皮「カス殻」を乾燥させてシロップにしたものを使って、コーヒーチェリーソーダという名前で販売していました。
むいた皮は通常、土に捨てられます。農園ではカス殻の周りにハエが発生してしまいます。
「コーヒーチェリーはフルーツとして普通においしい。これはもったいないと感じ、現地に落ちていた乾かして袋に詰めて持って帰りました」
コーヒーを淹れた後の「出し殻」はなんとお酒のジンにしてしまいました。
「ずっと興味があって、いろいろ調べていました。脱臭剤のようなものもありますが、世の中にはあまりいいプロダクトないと感じていました」
そんなことを考えていたら、偶然知り合いが手がけていたクラフトジンとつながったと言います。
「コーヒーのジンは今までもありましたが、深入りのコーヒーらしい苦い香りのスモーキーなジンばかりでした。でも、私たちの場合、浅煎りでフルーティーなコーヒーの出し殻なので、今までにないジンになるんじゃないかなという確信がありました」
その後、10回くらい試作を繰り返して、最近ようやく商品ができました。
結果的に、実にたくさんのコーヒーにまつわる商品を手がけるようになった川野さんですが、そこには〝より深い体験〟への思いがあるそうです。
「興味がある農園のオーナーシップを持つと、ツアーができたり、副生産物の加工品が届いたり、コーヒーの煎れ方のワークショップにも参加できたり、集約していろいろなものができないかなと考えています」
〝より深い体験〟への問題意識は、酪農にも重なります。
商品を生み出すだけではその価値が浸透しない時代。最近では、牛乳を搾るだけではなく、自社で商品を製造したり、ECサイトで販売したり、牧場ツアーを行ったり、カフェを運営したり、様々な取り組みを行うところが増えています。
他方で、地域で牛乳を配達していた牧場が配達をやめたり、その地域だけで展開することの限界がある場合も多いです。そういった時に、地域を越えたコミュニティーを作ることの大切さが必要になると感じます。
コーヒー業界と酪農。一見、違う業界なのに同じような課題を感じるのは、どちらも市場が大きく、様々な人たちに親しまれているからかもしれません。
多くの人たちが日常的に飲むため、大規模な消費量となります。そのため、味のムラが出ないように、安定して供給できるよう、ブレンドして販売する。そうして、いつでもどこでも同じ味が飲めることが当たり前になっています。
しかし、実際には農産物である以上、作り手、場所、地域によって味は違いますし、時期によって味も変わります。そういった当たり前への気づきが、大規模化によってわかりづらくなっているのかもしれません。
「最高のカフェオレができる」という思いから打診したコラボでしたが、コーヒーと酪農が共通の課題があると知り、その意義が深まったと感じました。
おいしいことはもちろん、それぞれの生産の背景も伝えられるようなカフェオレをつくりたい。ミルクスタンドはこれからですが、引き続き、川野さんとおいしいカフェオレづくり、そして、業界について話をしていきたいと思います。
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