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連載

#48 Busy Brain

発達障害の当事者=困った人?小島慶子さんが訴えたい人間の多面性

「相手も自分も不完全な存在である」

小島慶子さん=本人提供
小島慶子さん=本人提供 出典: Getty Images

目次

BusyBrain
「カッコいい年のとり方」を考えたら、見えにくいモノが見えてきた(PR)

40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが綴る、半生の脳内実況です!
今回は、いよいよ最終回。ADHDについて知る前に、その動機を知る大切さについて、綴ります。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)

ADHDのある人が100人いたら、100の異なる人生がある

 早いもので、もうこの連載も第48回になりました。元々は数年前に「一冊の本」という小冊子に掲載された全6回の連載だったものです。それをより詳しく、生い立ちなどを振り返りながら書いたのがこの連載です。

 なんでまた専門家でもないのに、それも自分のことばっかり書き散らしているのかと呆(あき)れている人もいるでしょう。こんな人もいるんだなくらいに思って読んでもらえれば幸いです。

 私が書いているのは、人は複雑で曖昧(あいまい)な存在であるという、とうの昔から言い古されてきたことです。だけど今は、わかりやすくてめんどくさくない人であることがよしとされているので、「いや人間って、もっと得体の知れないものでは?」と、念の為リマインドすることも大事かなと思いました。

 あなたや他の人がそうであるように、私も自分のことがよくわかりません。私がどういう人間であるかは、ADHDだけでは説明できないし、ADHDが何であるかを、私の話だけで示すこともできません。

 何度かお伝えしていますが、この連載を読んで、「なるほどADHDの人はみんなこういうふうに考えるのだな!」とは決して思わないでください。これは個人的な体験に基づいて極めて主観的に語られた、一つの事例に過ぎません。ADHDのある人が100人いたら、ADHDと生きる100の異なる人生があるのです。一つとして同じ脳みそはありません。

 また、今後メディアで私を見かけた時に、「小島慶子がああなのは、やっぱりADHDだからだな!」と思うかもしれませんが、そのときは、私の言動は、発達障害以外にも生まれ持った性格やその時の体調などいろいろなものの影響を受けていることを思い出してほしいです。あなたがそうであるように。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: Getty Images

ADHDポリスになる前に

 人の言動は、その人の内的な要因だけで決まるものではありません。会話の文脈や一緒にいる人の態度などによっても違ってきますよね。他人には窺(うかが)い知れない事情もあるでしょう。

 また、それがどう見えるのかは、見る人の価値観や心境にもよります。ADHDポリスになる前に「待てよ、あれは発達障害のせいかもしれないし、それ以外の理由かもしれないし、その両方かもしれないな。そもそも自分はあの人のこと、どれぐらい知っているんだっけ」と考えてみてください。そしてなぜ、「出た! 発達障害だ!」と言いたくなってしまったのかを考えてみましょう。何か発見があるかもしれません。

 私はあなたの親友に似ているかもしれないし、あなたの嫌いな上司に似ているかもしれません。けれど私は、あなたの知らない人です。これを読んであなたが私をどう思うのかはあなたの自由です。でもそれをあなたの周りの、たまたま私と似たような特性がある人にそのまま当てはめないでくださいね。

 恐らく、この記事は多少なりとも発達障害に関心がある人が読んでいると思うのですが、あなたはなぜ、発達障害について知りたいのでしょうか。自分や親しい人の困りごとの原因を探るため? それとも、「健常者」とそうでない人の見分け方を知るため? ADHDについて知るより前に、その動機を見つめることが大切です。

 発達障害がある人を、みんなの迷惑になる”困った人”と捉えると、社会の邪魔者のように思うでしょう。まず知ってほしいのは、発達障害がある人は、”困っている人”だということです。「困っているのは発達障害の人だけじゃない! 私だって困っている。だけど言い訳せず、不平不満も言わずに頑張っている」とあなたは言うかもしれません。

 そうですね。きっとあなたは、辛い思いをたくさんしてきたでしょう。頑張ったのに報われず、悔しい思いをしたでしょう。困っていても誰にも言わず、一人で耐えてきたのは、本当に大変だったと思います。もしもあなたが、困っていることを安心して誰かに打ち明けることができたら、困っているときに助けてもらえたら、どれほど生きるのが楽だったでしょうか。そうだったらよかったのにと思います。

 発達障害のある人が暮らしやすい社会は、人との違いが生きる上での妨げにならず、困りごとを相談しやすい社会です。人と違っていない人はいません。物事がうまくいかずに困ることも、それぞれにあります。人との違いや困りごとを隠さなくてもいい社会なら、どんな人も安心して生きていけます。発達障害がある人の困りごとを減らす取り組みは、それ以外の困っている人にとっても、生きやすい世の中を作る助けになるのです。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: Getty Images

これからも、うっかり村の仲間たちと励まし合いながら

 もしかしたらあなたは、発達障害のある人がどこか遠くにいるのはいいけど、身近には来てほしくないと思っているかもしれません。でも発達障害がある人は、すでにそばにいます。あなたが気づいていないだけで、あるいは本人も気づいていないだけで、発達障害がある人はあなたの生活圏に以前から存在しています。

 その人に診断名がついているかどうかは、あなたには関わりのないことです。専門家による診断は、周囲が”まともな人”とそうでない人を見分けるためにあるのではなく、困っている当人の困りごとを減らすためにあるものだからです。

 もし、この人は発達障害なのだろうか?そうでないのだろうか?と気になったときは、なぜそれを知りたいのかを考えてみてください。障害者とは関わりたくないから知りたいのか、それとも相手との関係をより良くするために知りたいのか。関わりたくないという人は、その感情が排除や差別を生むのだと知ってください。障害のある人を排除したり差別したりしてはなりません。

 なぜ差別してはならないのかわからない人は、人権とは何かを知ることから始めてください。そんなの大袈裟(おおげさ)だと思うなら、あなたが人権のことなんかちっとも考えないで生きていられるのは、まさにあなたの人権が日々守られているからだと気づくことから始めるといいでしょう。

 相手との関係を良くするために発達障害であるかどうかを知りたいなら、肝心なのはまず診断名を確認することではありません。相手も自分と同じように、多面的で複雑で曖昧で、変化し続ける不完全な存在であると考えることです。そして相手に敬意を払い、丁寧に扱うことです。人と接するときに「何か困っていることはないかな」「自分にできることはあるかな」と考え、困っている人には声をかける習慣をつけることです。

 この人、発達障害かも?と思ったら、そうかもしれないし、そうでないかもしれないと思って接すればいいでしょう。どっちであっても、その人はその人なのです。

 この連載はこれが最終回です。本当はもっと早く書き終えて今頃はとっくに本になっていたはずなのですが、えらく長くかかってしまいました。読んでくださって、ありがとうございました。根気強く支えてくださった編集者の皆様にも、心から感謝しています。書き忘れた話やすっ飛ばしたエピソードは、本にするときに入れようと思います。

 これからも、「うっかり村」の仲間たちと励まし合いながら、この賑(にぎ)やかで濃密な、疲れる脳みそと生きていきます。また機会があったら、新たな事件簿や失敗談を聞いてください。

(文・小島慶子)

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: Getty Images

小島慶子(こじま・けいこ)

エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。

※小島慶子さんの連載「Busy Brain」は、今回で完結です。長らくご支持頂き、ありがとうございました。
 
  withnewsでは、小島慶子さんのエッセイ「Busy Brain~私の脳の混沌とADHDと~」を毎週月曜日に配信します。
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