連載
実名で仕事をしたかった 虐待サバイバーを美談で終わらせないために
「ないもの」にされる痛みを、もう誰にも…
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「ないもの」にされる痛みを、もう誰にも…
虐待サバイバーが抱える足枷は、目に見えない。でもそれは、水を吸った砂袋のように、ずっしりと重い。重くて重くて、時々、何もかもが嫌になってしまう。
私の職業は、「エッセイスト/ライター」である。この仕事は、“実名・顔出し”のほうが信頼されやすい側面がある。匿名であることは、イコール実体が見えにくいと捉えられてしまうのだ。
しかし、私は名前も顔も出せない。自身の過去を実名でつまびらかにすることは、私にはできない。両親が私を虐待していた証拠はなく、名誉毀損で訴えられる恐れがあること。そして何より、息子たちに自分の過去を知られたくないことが大きな理由だ。幼い彼らが知るには、私の過去はあまりに重すぎる。知らないままのほうが身軽に生きられる事実を、敢えて突きつける気にはなれない。
“実名・顔出し”でなければ、応募さえ叶わない案件もある。その現実を目の当たりにするたび、学歴の壁で面接さえしてもらえなかった過去を思い出す。
変えられないものを嘆いて歯ぎしりしている暇はない。そう思う一方、周囲を羨ましいと感じるのも事実だ。「匿名の者は信用に値しない」などの文面を見ると、胸が焼ける思いがする。自身が持つ「名前・顔を出せる環境にある」優位性を知らないからこそ、出てくる言葉であろう。
「虐待は連鎖する」という言葉もまた、私を苦しめる要因のひとつだ。
虐待被害に遭ったからこそ、連鎖させまいと歯を食いしばっている人たちは大勢いる。そのことをすっ飛ばして、「またしても虐待の連鎖です」と訳知り顔で騒がれるたび、心がぎゅっと縮こまる。だからこそ私は、実生活においては、未だに自身の過去をひた隠しにして生きている。謂れのない差別は、あらゆるところに転がっている。
それでも、今はどうにか人並みの日常を営めている。仕事の収入と障害年金を併せれば、納豆や卵を買うのに通帳残高とにらめっこしなくてもいい、外食や映画鑑賞にも手が届く生活水準を、私は得られた。でも、それはただ単に運が良かっただけに過ぎない。生と死の境目は、案外近しいところにある。私は幾度となく、そのボーダーライン上に立った。たまたま、向こう側にいかずに済んだ。ただそれだけの話だ。だから、「がんばればどうにかなる」なんて、絶対に言いたくない。
生き抜いた人が振りかざす根性論は、一種の暴力だ。性格も環境もそれぞれ異なるなかで、「私は耐えられた」なんていう一人よがりの自慢は、何の役にも立たない。真っ只中の人がそれを聞いたときに感じるのは、途方もない絶望だけだ。
このコラムの連載を通して、自身の過去を改めて振り返った。我ながら、よく生きているなと思う。
当然のことながら、私の40年は数千字では書ききれない。ここに書いたものは、ほんの一部だ。「書けなかったもの」のほうが、はるかに多い。表に出ている被害の実態が、氷山の一角であるのと同じように。
間違っても、「悲惨な生い立ちのサバイバーがエッセイストになった」などと、きれいに解釈してほしくない。美談にはなり得ない過去もある。美談にしてはいけない痛みが、この世にはある。
細い糸でつながっていた実家との縁は、昨年の私自身の離婚時にすっぱりと断ち切った。その際、身を守るための制度である「住民基本台帳事務における支援措置」を活用した。これは、例え一親等であっても住民票の閲覧を制限できるシステムである。現在の住居を両親や兄弟に知られることが、身の危険に直結する人のための制度だ。この手続きのために、警察と役所に足を運び、受けた被害の具体的内容と後遺症の実態を訴えた。当然のことながらフラッシュバックを起こし、役所のトイレで嘔吐した。それでも、身の安全を確保するために、この手続きを怠るわけにはいかなかった。
被害者は加害者の影に怯え、息をひそめて隠れるように暮らしている。
罪を犯した側ではなく、人としての尊厳を踏みつけられた側が、制約を課せられる。
「逃げていいんだよ」という言葉は、ときにやさしく、ときに残酷だ。なぜ、いつだって被害に遭った側が、それまでの生活や本来持ち得るはずの権利さえも放棄して、逃げ隠れしなければいけないんだろう。私だって、普通の生活がしたかった。逃げも隠れもせず、実名で仕事をして、顔を出すことを恐れない日常を手に入れたかった。でも、それは叶わない。
虐待は、逃げて終わりじゃない。そこから始まるサバイバルの過酷さと、それゆえの足枷の重さは、自力でどうにかできるほど生易しいものではない。現状の「児童福祉法」だけでは、18歳以上のサバイバーは救えないのだ。
見える場所で書き続けて、もうすぐ3年が経つ。トータル何万字書いたかなんて、もう覚えていない。すべての虐待被害者に「あなたは悪くない」と伝えたい一心で、これまで書き続けてきた。でも、これからは一歩、その先に進みたい。
今この瞬間も、現在進行形で苦しんでいる人たちがいる。
30年前の私と同じ状況にある10歳の子どもが、20年前の私と同じ状況にある20歳のサバイバーが、たった独りで蹲って(うずくまって)いる。
子どもの政策を担う省庁(子ども家庭庁)の創設を目指し、国では議論が進められている。実現するのであれば、そういう人たちに手が届く仕組みがほしい。蹲っている人が前を向くために必要な支援を、生きる力を蓄えられるまで寄り添える仕組みを、これらの体制を整えるための改革を、国をあげて迅速に進めてほしい。傷だらけの人間に立ち上がることを求める前に、まずは手当てをしてほしい。それは、決してワガママな願いではないはずだ。
私たちの痛みを、「ないもの」にしないでほしい。被害を繰り返さないためにできることは、きっとある。国単位でも、個人でも。ひとりの力は小さくても、集まればそれは大きな力になる。
虐待サバイバーは、圧倒的なマイノリティだ。私たちの声は、なかなか国の中枢には届かない。だからどうか、力を貸してほしい。人ひとりの声は、あまりにも小さい。でも、その「ひとり」の集合体が、国をつくっている。
過去も未来も現在も、ひと続きで生きている私たちは、そのすべてを「なかったこと」にはできないし、どちらか一方だけにすがって生きることもできない。地続きであるからこそ苦しい。今と未来だけに全振りしようにも、過去に足を取られるからこそ、うまく息ができない。言葉にしきれないこの閉塞感を、見えないがゆえに「ないもの」にされる痛みを、もう誰にも味わってほしくない。
ここに書いた内容は、事実であって物語ではない。映画でもなければ、小説でもない。
私たちは、存在している。
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