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志村けんファミリー集結 ダチョウ、桑マン、磯山さやか…語り尽くす

「志村魂」稽古、厳しい視線の理由

三回忌を前に集合した舞台『志村魂』の共演者たち。前列左からダチョウ俱楽部の肥後克広さん、上島竜兵さん、寺門ジモンさん、ラッツ&スターの桑野信義さん、俳優の野添義弘さん、坂本あきらさん、西村直人さん、タレントの磯山さやかさん、パフォーマーの川村理沙さん、女優の種子さん、スギゾー撮影
三回忌を前に集合した舞台『志村魂』の共演者たち。前列左からダチョウ俱楽部の肥後克広さん、上島竜兵さん、寺門ジモンさん、ラッツ&スターの桑野信義さん、俳優の野添義弘さん、坂本あきらさん、西村直人さん、タレントの磯山さやかさん、パフォーマーの川村理沙さん、女優の種子さん、スギゾー撮影

目次

2006年から2019年まで14回に渡って開催された舞台『志村魂』。ダチョウ俱楽部の肥後克広さん(59)、寺門ジモンさん(59)、上島竜兵さん(61)、ラッツ&スターの桑野信義さん(64)、俳優の坂本あきらさん(72)、野添義弘さん(63)、西村直人さん(52)、タレントの磯山さやかさん(38)、女優の種子さん(52)、パフォーマーの川村理沙さん(37)は、その主要メンバーだった。志村けんさんの三回忌を前に座談会を開催し、改めて出演までの経緯、稽古中のエピソードを振り返ってもらった。(ライター・鈴木旭)

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肥後克広さん=スギゾー撮影
肥後克広さん=スギゾー撮影
寺門ジモンさん=スギゾー撮影
寺門ジモンさん=スギゾー撮影
上島竜兵さん=スギゾー撮影
上島竜兵さん=スギゾー撮影
ダチョウ俱楽部
1985年に結成された肥後克広、寺門ジモン、上島竜兵からなるお笑いトリオ。2006年から舞台『志村魂』全公演に出演。数々のコントで志村けんと共演している。
桑野信義さん=スギゾー撮影
桑野信義さん=スギゾー撮影
桑野信義
コーラス・グループ「ラッツ&スター」のメンバーとして活躍後、志村けんとの出会いによってコメディアンとしても人気を博す。2008年から舞台『志村魂』に出演。
坂本あきらさん=スギゾー撮影
坂本あきらさん=スギゾー撮影
坂本あきら
1973年、劇団「東京ヴォードヴィルショー」の立ち上げから参加。俳優として活躍する傍ら、バラエティー番組でも人気を博す。2006年から舞台『志村魂』全公演に出演。
 
野添義弘さん=スギゾー撮影
野添義弘さん=スギゾー撮影
野添義弘
1982年、劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」入団。多数の映画やドラマで味のある脇役として活躍している。2008年から舞台『志村魂』に出演。現在、NHK『鎌倉殿の13人』に安達盛長役で出演中。
 
西村直人さん=スギゾー撮影
西村直人さん=スギゾー撮影
西村直人
1988年、俳優・石坂浩二が主宰する劇団「急旋回」でデビュー。その後、舞台やテレビドラマ、映画で幅広い演技を見せている。2006年から舞台『志村魂』全公演に出演。
 
磯山さやかさん=スギゾー撮影
磯山さやかさん=スギゾー撮影
磯山さやか
2000年に芸能界デビューし、バラエティー、ドラマ、ラジオなどで幅広く活躍。2010年から舞台『志村魂』に出演し、『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)など志村けんとの共演多数。
 
種子さん=スギゾー撮影
種子さん=スギゾー撮影
種子
映画やVシネマ、ドラマなどで活躍後、2006年から舞台『志村魂』全公演に出演。その後、深夜バラエティー『志村笑』、『志村軒』(ともにフジテレビ系)といった番組でも志村けんと共演。
川村理沙さん=スギゾー撮影
川村理沙さん=スギゾー撮影
川村理沙
エアリアルシルクを得意とするアクロバットダンスパフォーマー。G-Rockets所属。2009年から舞台『志村魂』に出演。
 

舞台への挑戦「本当にやるんだ」

――それぞれどのような経緯で『志村魂』に参加されることになったのでしょうか。

川村:私は第4回からで、パフォーマーのオーディション組。私より前にアクロバットをしていた方が出られなくなったことで、事務所にお話が来たんです。当時は若かったから、「絶対受かるぞ!」って。ちょうどラジオ番組の収録で竜さん(上島竜兵さん)もいて(笑)、すごく狭いところでのオーディションだったのを覚えてます。

種子:制作会社の方から声を掛けていただいて初回から参加しました。オーディションもなくポンッと入ってしまった感じで、本当に何のドラマ性もなく(笑)。『8時だョ!全員集合』(TBS系)の世代なので、志村さんについては日本中のみなさんがイメージしてる通りというか。「あの人の舞台に出られる」という感じでしたね。

磯山:第5回からの参加です。その年は春に初舞台の『ULTRAPURE!』(東京グローブ座)があって夏に『志村魂』。事務所から同時に伝えられたので、最初は「緊張するし、舞台嫌だなぁ」って(笑)。しかも、ご一緒するのは志村さん。当時はコントの経験もなくて、楽しみよりも不安のほうが大きかったですね。

野添:演出のラサール石井さんのお誘いで、第3回から出演することになりました。志村さんと最初にお会いしたのは、ある映画の打ち上げ。船で遊覧する感じで女の子がいっぱいいたんですけど、そこになぜか志村さんがいらっしゃって(笑)。本当に無口な方で、第一印象はちょっと怖いイメージがありましたね。

上島:僕らトリオは初回から。それまで毎日のように飲んでる中で、「舞台やりたい」とはずーっと言ってて。ただ、いざやると聞いて「本気だったんだ」と思って(笑)。『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)の時に、下北の本多劇場とかでライブをやられてたじゃないですか。あれがすべてで最高の舞台だと思ってたから、「これから舞台って、どういうふうにやるのかな」って、ちょっと疑心暗鬼みたいなところがありましたね。

肥後:何年も前から「舞台やりたい」って言ってたけど、なかなか実現しなかったんですよ。そんなある日、志村さんから「今年やるよ!」と言われた時には「嫌だなぁ」と思いました(笑)。単純に大変だと思ったし、僕らってライブショーみたいなのはやったことあるけど、いわゆる商業演劇の舞台は経験ないですから。「どんなもんかな……」って感じでしたね。

寺門:2人と同じで「本当にやるんだ」っていうのが最初ですね。キャスティングしていく中で、いろんな事情で出られない人もいるじゃないですか。僕らは「お前ら絶対やるだろ?」と言われて二つ返事。もう舞台に出る前提で話が進んでました。でも、やっぱり嬉しかったですよ。そもそも僕らも舞台中心だったし、何千人っていうお客さんの前でコントやることなんてないですから。始まったら、もう快感というかクセになりましたね。

音楽もお笑いも「最初は誰かのコピー」

西村:もともと僕はアトリエ・ダンカンというところに所属していて、そこが『志村魂』を立ち上げた縁で初回から出ることになったんです。所属したばっかりの頃に「直人、来年は『志村魂』だから」と言われたんですけど、よくわからなくて。詳しく聞いたら志村さんが舞台をやると。信じられなくて2、3回社長に聞き直しました。

出演後、役者陣がみんなうらやましがったのを覚えてます。「いいな、いいな」って会うたびに言われて。当時は僕も自慢してたような気がしますね。

桑野:えー、家老の桑野でございます。野添さんと一緒で第3回の舞台から出させてもらいました。2回目まで地井武男さんが家老役だったんですが、ある日志村さんから「地井さんが忙しくて外れるから、お前やってくんないかな?」と言われて参加する運びとなりました。ただ、「何で最初から呼ばれなかったんだろう」とは思いましたけど(笑)。

僕は『だいじょうぶだぁ』からのお付き合いで、『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)の最初は今のダチョウ(倶楽部)さんと同じ側用人の役だったんですね。家老役の東八郎さんがお亡くなりになった後に、志村さんから「桑マンがやれよ」と仰せつかりまして。一度は「できません」とお断りしたんですが、最終的にはお受けしました。

当時の名だたるコメディアンの方も手を挙げたんだけどね。志村さんは僕を選んでくれた。志村さんいわく「音楽もそうだけど、最初は誰かのコピーだろ?やっていくうちに自分のものにすればいいんだよ」と。嬉しかったです。それから30年ほど家老をやらせていただいて、今では本当に素で白髪になりました(笑)。

坂本:私は初回からです。ラサールさんに「志村さんがお芝居やるからどうだい?」と誘われて参加することになりました。ただ最初の顔合わせの時に、お酒を飲んで調子に乗っちゃいましてね。志村さんのこと大好きだったから、まさか本当に出られると思わなくて……。

桑野:え、何をしたんですか?

肥後:カラオケができる部屋を借りて飲んでたら、坂本さんと志村さんの年が同じだって話になったんですよ。それで酔っ払った坂本さんが「なんだ、同じ年じゃないかバカ野郎!」って志村さんの頭を叩いたの(笑)。

坂本:(驚いたように)……あー、そう!?ダメなことしたんだろうなとは思ってたけど。

上島:次の日に番組収録でラサールさんと会ったんですけど、血相変えて駆け寄って来ましたよ。「坂本さん、何かミスした?」って。「志村さんの頭小突いてましたね」と答えたら、今度は「志村さんは?怒ってた?」って(笑)。「別に何も言ってませんでしたよ」と伝えましたけど、あれは相当焦ってましたね。

坂本:あー、そう。それから14年もお付き合いさせてもらってね。志村さんには感謝しております。

何も言わないけど「厳しい視線」

――舞台の稽古期間中、志村さんから何らかのアドバイスはありましたか?

肥後:僕は『バカ殿様』かな。“闇芝居”って言い方をしてたんですけど、真っ暗になってストロボが光る中、いろいろ動いて無言でギャグをやるシーンがあったんですね。野添さんとかが演じる忍者と戦うはずが、味方である上島さんと竹刀でやり合っちゃうみたいな。

その中で、僕が頭を討たれて「へぇ~」って顔(寄り目の変顔)をするんですけど、ぜんぜんウケない。「こうやるんだよ、リーダー」って志村さんが目の前でやってくれるんですけど、やっぱり面白いんですよ。その時確信しましたね、「僕にはできない」って(笑)。結局、僕は最後までできなかったですね。

野添:志村さんって普段は物静かで、稽古中にダメ出しすることも一切ないんですよ。何にも言わないんだけど、厳しい視線を感じることはすごく多かった。それがものすごいプレッシャーなんです。一方でセリフを噛んだりすると、志村さんが大げさに険しい顔でリアクションして場を和ませたりする一面もありました。

稽古終わりの飲み会では、いろんなお話を聞きました。とくに印象に残ってるのは「コントだろうが何だろうが、とにかく芝居はしなきゃダメ」ってこと。そういうお話はよくされてましたね。

上島:コントを見てる時の志村さんってちょっと怖かったですね。腕組んでずーっと真剣な顔でこっち見てるから、やりづらいというか(苦笑)。志村さんいわく「コントなんか1回やって笑いが起きたら、練習で2回も3回もやったって面白くない」と。わざと笑わそうとしてアドリブみたいなこと言うと、その場ではウケるけど劇場でやるとウケないっていう経験もあっての考えですよね。

ただお芝居だと、けっこう志村さんと2人で絡むシーンも多かったから厳しいことは言われなかった。たぶん志村さんも真剣に自分の役やってるから、あんまり僕のあらが見えなかったんでしょうね。

寺門:今の話の流れでいくと、僕とか桑マンさんはストーリーを説明する芝居をやるんですよ。つまり、必ず次に師匠が出て来る。僕が演じてると、志村さんがじーっと舞台袖からこっちを見てるんです(苦笑)。その時はキツかったですね。

あと師匠とすれ違う時、ほんの短い間に「寺門、トーン上げろ」っていつも言われました。最初は疑問に思ったけど、要するに「高いトーンで話すと、お客さんにストーリーが伝わりやすくなる。だから普段通りの低いトーンはやめてくれ」ってことなんですよね。やっぱり舞台の人なんだなと思いましたよ。

桑野:僕はけっこうセリフを間違えちゃったりして、アドリブに弱いんですよ。でも志村さんは必ず違うことを言って来る。そうすると、もう頭の中が真っ白になっちゃうんですよね。

よく言われたのは、「桑ちゃんはいつも100%の力でやろうとするからダメなんだよ。80%の力でやりなさい。残りの20%は何かあった時の余力に取っとけ」ってこと。だけど、その20%を生かせなかったのが今の反省です(笑)。結局、あがっちゃうんですね。

食事の会話が翌日の舞台に

磯山:稽古ではないんですけど、舞台上で私が投げた小道具が志村さんに当たっちゃったことがあって。でも、私のミスを「あいたたた……」っていう志村さんのリアクションで面白く変えてくれて、ものすごい笑いになったんです。すると今度は、「次はもっと狙って来い」と言ってくださったりもしました。

志村さんと舞台でご一緒すると、不安な気持ちがどんどん自信に変わっていくんです。やるたびにお客さんも笑いで応えてくれますし。「人に笑ってもらえるのは、こんなに気持ちいいんだ」ってことを志村さんから教わりましたね。言葉じゃなくて、リアクションとか動きで。

本番以外でも、一緒にお食事した時の会話が翌日の舞台で生かされることもありました。だから、ちょっと気は抜けなかったですけど(笑)、楽しかったですね。

上島:種子さん、直人くん、坂本さんは、初期メンバーですからね。3人はきちんと志村さんの世界を支えるというか、的確に笑いにつながるお芝居をやるんです。志村さんは絶対にそういう人たちを離さない。もう『志村魂』の要(かなめ)でしたよ。

西村:ありがとうございます。僕はツッパリコントの“振り”をやってたんです。リーゼントのツッパリで、女子高生を追っ払うって役どころ。僕がやって、地井さんがやって、最後に師匠がやって落とす三段オチですね。

『志村魂』の初演って僕が36歳の時。そこそこ芝居経験もあったから大丈夫だろうと思ってたんですけど、稽古場で志村さんから「直人はちゃんと女子高生を見たか?」と言われてハッとしました。リーゼントを大げさに上下させる動きはしてましたけど、見てはなかったんです。

「ちゃんと見て威嚇するから女子高生は逃げるのか」っていう基本的なことに気付いた瞬間でした。それから、いろんな芝居をやる時に、その言葉がよく頭を過ります。志村さんっていつもファーストタッチでやられるんです。常に新鮮な気持ちでやるからお客さんも笑うし、ご本人も飽きないんでしょうね。

やっぱり拍手の量が違う

坂本:最初のうち、『バカ殿様』は出てなかったけど、コントのほうはちょこちょこ出てたんです。ただ、うまくいかないの、僕の場合は。そのうち、コントもだんだんなくなって最後は芝居だけになっちゃった。みんな『バカ殿様』とかやっていい汗かいてる中、僕だけ2時間後ぐらいに出て来る(笑)。

ただその分、志村さんとやると「芝居を的確に渡さなくちゃいけない」って緊張感はありましたね。志村さんは『バカ殿様』とコントで笑わせて、三味線を弾いて、最後に4、50分のお芝居ですよね。緊張感をずっと持続していく。はぁすごいなぁ……と。でもね、見てて楽しかった。みんなが稽古場でやるコント、何回見てもおかしかったもん。1回や2回じゃなくて何回見ても面白い。「こういうもんだな、コントは」って思ったな。

種子:私はなるべく怒られないように、志村さんの視界に入らないようにしてました(笑)。ただ、「一姫~」(「一姫二太郎三かぼちゃ」)の中で母親・おひさ(種子さん)と息子・三郎(志村さん)のシーンがあって、志村さんに言わずに本番で試した笑い方があるんです。池田成志さん(初回出演)からのアドバイスもあって。

それが、「ンハハハハッ……!」っていう不気味な笑いなんですけど、最後に「ガッ」って鼻を鳴らした時に志村さんがビクッとリアクションして笑いが来るんです。お芝居以外のところで「こうしたほうがいい」っていうアドバイスはいただかなかったんですけども、実際の現場でやった時に志村さんのリアクションで教えてもらった感じがします。

川村:思い出深いのは、第5回から空中パフォーマンスをやらせてもらったことです。天井から吊るされた布(シルク)を使って7、8メートルぐらい登っていくんですけど、必ず舞台の下手の隙間から志村さん、上手から桑野さんが見てくれて(笑)。だから、どこ見ても守られてるような安心感がありました。

すごく今に生きてるのが、「空中で回転しちゃうけど、あれちゃんと正面向けないの?」という志村さんのアドバイスです。そこを意識してみたら、やっぱり拍手の量が違うんですよ。それまでは、そんなことに挑戦しようとも思ってなかったし、やってる人もいなかったので「なるほど」と膝を打ちました。

今でも足を開く時は、必ずお客さんのほうにきれいに足が開くように心掛けてます。「志村さん、そういうところを見てるんだ」と感心したし、すごく勉強になりましたね。

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